自分はもう、人を愛すべきではなく、人にも愛されるべきではないと、オーウェルは思っている。愛はいずれ必ず失われるもので、失われた時、人に与える衝撃は計り知れない。ならばいっそ、最初からなければいい。最初からないものが失われることはなく、そうであれば誰も傷つかずに済む。
愛が怖くなったのは、いつからだったろう。愛は、掃きだめのような世の中に一抹の刺激を与え、絶望的なその海を波立て、多くの不幸と傷を残す代わりに、少しだけ光をくれるものだ、と思っていた頃が、オーウェルにも確かにあった。青白い炎のような危ういゆらめきをたたえながらも、人はそれに惹かれずにはいられない。あこがれと表裏一体の畏れはあっても、無条件に恐れることなどはなかったはずなのだ。
愛が怖くなった日から、彼はそれに背を向けて生きてきた。自分がそれに関わらずとも、ただそこに愛というものがあるという現実を直視することさえ、怖かった。
ラムザの部屋に集まったのは、オーウェルが最後だった。一人部屋とは言え、破格の広さを誇るラムザの部屋は、さきほどまで寝ていたはずの布団から椅子の配置に至るまできれいに整えられていて、彼の育ちの良さが匂うようであった。
しかし、集まったところで何かが始まるという訳もなく、議題さえ挙がらないまま、一行は意味もなく鼻を突き合わせていた。窓から見えるスラムの空は、雲一つない晴天なのに、心なしか曇り、くすんでいるように見えた。
彼らはこの時初めて、自分の選んだ道に後悔したのかも知れなかった。理想を追い求め、目の前に現れる敵と戦っているうちは見えないものが、こうして腰を落ち着けてしまうと、ぼんやりと目の前に現れてくる。最初はおぼろげだったそれは、すぐに形を成し、現実を侵食し始める。金、仕事、これから成すべきこと。「真実を知る」ために、一体自分たちはどうすべきなのか。いやむしろ、今こうして自分たちの行く末さえ見えない状況が、紛れもない「真実」ではないのか。そんな気にさえなってくる。
重苦しい、という形容がぴったりな空気だった。意味もなく室内をうろうろするバグシー、手に持った杖に身体をあずけるように、椅子に座って身をすくめるサマンサ、その傍らでサマンサの肩に手を置き、何も話せないエリー、押し黙ったままのラムザとブランドル、そして、オーウェル。
「……金は、あと一週間持つか持たんか、だ」
一行の財布役となることが決まっていたオーウェルが、何とか話の糸口を見つけ出そうと、全員に聞こえるようにそう呟いた。それに救われたかのように、全員がオーウェルの方を向く。
「この町に留まるにしても、何処かに出るにしても、とりあえず、何かしねえとな」
生きるというのは、とどのつまりそういうことだ。働き、賃金を得て、衣食住を確保する。それもまた、この世の中にある真実だ。結局この日は、それを確認しただけで散会となった。
最終更新:2009年08月23日 03:20