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星と煙草

 また、今年も夏が終わる。七月の終わり頃などは、永遠に続くものであるかのように感じられた暑さが、朝夕を中心に潮が引くように去っていく。こうなると、夏は足早にこの世界から去っていく。嘆いても仕方がない。そういうものなのだ。
 僕はその日、とある高台に上がって星を眺めていた。誰かと一緒ではない。別に流星群や皆既月食がある訳でもない。だから、その頂には本当に僕一人しかいない。僕は、首を痛くなるほど目一杯空に向けて、星を眺めている。誰も笑う人などいない。正真正銘、今この瞬間、世界には僕一人しかいない。はくちょう座もわし座もこと座も、全て僕のものだ。
 春からは社会人になる。来年の夏は忙しくて星を見るどころではないだろう。そう思った時、僕の中で何かが弾けた。マンションの駐輪場に止めてあった高校時代の通学用自転車に跨り、市の頂を目指していた。自宅から見ればその場所までは上り坂だらけだが、そんなことは関係なかった。四年前、その自転車に乗って高校に通っていた頃に比べれば若干増えた体重を、全てペダルに込めて踏み込んだ。頂は児童公園の上にある。僕は入り口に自転車を乗り捨て、走った。街灯も少ない児童公園の道は、ところどころに凹凸があって、何度か転びそうになった。それでも僕は、足を止めなかった。一気に上りきらなければ、という訳の分からない強迫観念のような衝動に突き動かされて、僕の足は一直線に頂を目指していた。そして、頂には僕だけの世界が待っていたのだ。
 僕は一旦世界に浸るのを中断し、煙草に火を点けた。うすぼんやりとした煙草の火が目の前に現れる。僕の指の細かな動きに合わせてゆらゆらとぶれている。その火の根元を咥え、思い切り吸い込んで吐き出す。その動作も、随分とこなれたものになってきたものだ。昔この場所で煙草を吸った時には、もっとぎこちなかったはずなのに、だ。
 四年前、高校三年生の夏。その時、世界には僕以外にもう一人の人間がいた。名前はもう、忘れてしまった。ただ覚えているのは三つ。星が好きな人だということ、僕の煙草を吸っている姿に惚れてくれたということ、そして、その人が星を好きなのと同じくらい、僕がその人を愛していたということ。
 星を見る楽しみはその人が教えてくれた。僕はすぐに虜になった。それからは二人で誘い合って、よく、星を見に出かけた。特等席は市の頂だ。僕たちは、季節が少し移ろうたびに、飽きもせず延々と通い続けた。寒くても暑くても、僕たちにとってその時間は、何物にも替え難いものだった。二人でベンチに座り空を見上げれば、世界には二人しかいなくなった。そんな日々を紡ぎながら僕たちは、高校三年生の夏が終わるその日を迎えた。
 その日、僕たちは背中合わせで星を見ていた。はくちょう座もわし座もこと座も、その夜だけはやっぱり二人のものだった。アスファルトの上に体育座りになって、背中を密着させて。あの人の背中は小刻みに震えていた。僕は沈黙に耐え切れず、ポケットから取り出した煙草に火を点ける。僕の指も小刻みに震えている。その震えを振り払おうと思い切り煙を吸い込むと、激しく咳き込んだ。少し粋がって煙草を吸い始めてまだ三ヶ月目のことである。吸い込んだ煙には、少し塩辛いものが混じっていた。その塩辛さと煙の苦さがあいまって、僕は何度も何度も咳き込んでしまった。
「終わり……なん?」
 僕のそんな問いに対する、あの人の返答はなかった。僕たちはただ、二人だけの世界に浸りながら泣いた。いつまでもいつまでも泣き続け、そのまま、あの人の背中を見送った。
 そして今、世界には僕一人しかいない。煙草の煙に咳き込むことはもうないが、僕の目からは、一筋二筋と涙が零れ落ちていた。
最終更新:2009年07月23日 22:20