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線香花火

 部屋の整理をしていると、線香花火が一本転がり出てきた。もういつの物かも分からないが、持ち手は捻れきっていたものの、火薬の部分は原型をとどめていた。
 いつも煙草に火を点けているライターと、一本の線香花火だけを持って、部屋を出た。日本海側は秋が来るのが早く、夜の空気はもう、肌を刺すように冷たい。風通しの悪い部屋の、ぬるい空気との差で、その冷たさは一層顕著になる。幸い風はなく、火は簡単に点いた。
 とっくに湿気ていてもおかしくない線香花火の先から、小さな火花が散った。周囲があまりにも暗いせいか、その程度の光でも、視界が明るくなった。
 照らし出された世界では、僕の影が小さく、地面を黒く染めている。
「私、線香花火が一番好き」
 何処かから、そんな声が聞こえた気がして、僕は辺りを見回した。無論、誰かがいるはずもない。
「火花も弱いし、儚いけど、そこが良いの。大事にしようって思えるから」
 線香花火が好きな人が、僕の隣にいたのは、もう一年も前の夏のこと。そのころの僕には、彼女以外にもたくさんの人が周りにいて、その中で生きていることができた。緩く、ぬるく、だからこそ心地よい世界が、僕の周囲には広がっていた。
 その時は何の意識もなかったが、そんな世界だからこそ、僕は「生きている」ことができたのだ、ということを、失ってみて初めて知った。
 線香花火を持つ彼女の横顔は、息を呑むほど可愛かった。もともと、僕の方から好きになったのではなく、彼女から僕に告白してきたのだが、僕はすぐに、彼女の虜になった。
 彼女は僕に全てを与え、与えてくれたもの全てを持って、僕の元を去った。飲み会の終わりにした花火も、月を見ながら身体を寄せ合った夜も、こたつに入って食べた鍋も、みんな、彼女が僕にくれたものだった。そして、それらは全て、もう僕の手にはない。
 周囲の人間はみな、社交的な彼女の味方だった。
「何故、彼女の気持ちを分かってあげなかったのか。もっと、彼女に尽くしてあげなかったのか」
 何も言わなくても、周囲の人間は、そういう意識を僕に向けた。
 いつからだろう。彼女のために何をしてあげられるか、ということから、彼女が僕に何をしてくれるか、に意識がシフトしてしまったのは。何より堪えたのは、周囲の評価が、紛れもない事実だったからだ。
 線香花火の儚い火に、一度だけ願ってみた。もう一度だけ、彼女をこの腕に抱きしめたい。それさえ叶うのならば、もう何も要らない。一ヶ月、一日、いや一時間でもいいから、あの日の時間をもう一度与えて欲しい。
 火は、何も応えることなく、勢力を弱め、消えた。儚い火花を大事にできない者に、そんな資格はない。闇を取り戻した世界が、僕にそう応えたような気がした。
 部屋に戻り、そのままベッドに身を沈めた。目が覚めると、またいつもの現実が始まる。緩くも、ぬるくもなく、僕が「生きて」いない現実だ。
最終更新:2009年07月23日 22:23