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a game under the sun

 一球目がファウルになった時、僕は一度打席を外した。バッターボックスのすぐ横に出て、二度ほどバットを振る。スタンドからは自分の応援歌が聞こえてくる。曲は確か、ジッタリン・ジンの「夏祭り」。いや、もしかすると、カヴァーしたホワイトベリーの方の譜面かもしれない。妙に冷めてきた頭でそんなことを考えていると、審判の声が聞こえた。
「はい、バッターラップ!」
 僕はもう一度だけ、小さくバットを振った。それからヘルメットの位置を直し。見上げた空は、眩しいくらいに青かった。
 まさかこんな所まで・・・・・・とは、周囲のみならず、チーム内でさえも幾度となく囁かれた言葉だ。スタメンとして全試合に出場し、誰よりも間近でこのチームを見てきた僕自身、今でも浮わついた感じで現実感がない。チームは今、阪神甲子園球場にいる。それも、決勝戦。おかしいと言えば、こんなにおかしいことはない。
 僕は、入念に打席の土をならした。零対零のままもつれこんだ八回の裏、一アウト二・三塁。脳天気な僕でも、喉の奥がカラカラになっている。こんな競ったゲームになるとは、予想していなかった。根がひねくれ者なのか、「互角の両チーム」という予想記事やスポーツニュースを見るたび、漠然とボロ勝ちか負けかのどちらかだろうと思った。
 相変わらず、絵の具をぶちまけた様な空の青が目にしみる。
 勝ちへの執念は、誰よりも強かったと思う。多少汚い手を用いても、ということはいつも考えていた。そして事実、大なり小なり用いてきた。結果、勝った。後悔はない。自分の「高校野球」に疑問を持ったこともない。勝つべくして勝つためには多少強引な手も必要だ、というのは、忌憚のない意見だ。
 二球目は、スライダーが外角に外れた。しかし大外れではなく、ボール半個分の計算されたボール球。さすがに、大会ナンバーワン右腕と言われているだけのことはある。一人の捕手として、今僕のすぐ後方でミットを構えている男に少し嫉妬した。俺も、こんなダンナさんが良かったなぁ、とわざとらしく呟いてみせる。彼は、目を丸くして僕の顔をまじまじと見つめた。
「そ、そんなこと言わないで下さいよ・・・・・・」
 多分、彼のような「野球少年」には、僕のような不良プレイヤーが不思議でしょうがないのだろう。僕は追い討ちをかけるように、カワイイなぁと言った。
 僕はしばしば、打席でも「ささやき」を用いた。マスクを被っている時は言うに及ばずだが、打席から捕手を揺さぶるのも効果的だ。何度が審判に咎められたこともあるが、これだけは止められない。
 三球目は内角の直球。ボール一つ分外してくる。僕がこのコースを苦手なことは、相手も多分知っている。試しているのだろう。決め球の最有力候補。決める時は恐らく、ストライクを入れてくる。僕は大きく深呼吸した。
 スタンドは、高校野球にしては珍しい超満員になっている。両校とも甲子園にほど近い地元ということもあるが、よく見てみると、応援団ともOB・OGとも無関係そうな人もいる。彼らの半分も生きていない僕たちの野球に、彼らは何を仮託するのだろう。苦労しらずのガキ共の茶番に、彼らは何を見るのだろう。
 野球は代理戦争なのだ、と書いた作家がかつていた。僕もそう思う。例えば、上司への怒り。或いは、同級生への妬み。そのような感情を自らのひいきチームに仮託し、そのチームの勝ちによってカタルシスを得る。しかし、それはあくまでプロ野球の話だ。アマチュア野球、殊に高校野球などには、そういう要素はない。高校野球には、「生活」がかかっていない。だから、戦争を想起するには、「真実味」が圧倒的に足りない。感動というテーマに沿って作られた「作品」では、代理戦争にはなり得ない。
 四球目を僕はまたファウルした。青い空に一瞬吸い込まれたように見えたボールが、三塁側スタンドへゆっくりと落ちていく。一塁側の応援団からは溜息が漏れた。
 僕たちは戦争をしている訳ではないのだ。僕たちがいくら勝ちたい勝ちたいと思った所で、見ている側からはそう見えない。それが、現実なのだ。
 それでも、僕は勝ちたかった。勝つことでしか満たされない「飢え」がいつも僕の心に固く居座って、動かない。だから、何よりも勝ちにこだわった。誰のためでもなく、ただただ自分のために。
 周囲はそれを、罵ったり、嘲ったりした。高校生らしくない。何を必死になって。フェアに戦おう。実力はあるのだから。
 僕はそれらの声を、全て黙殺した。馬鹿馬鹿しい論に耳を貸している暇はなかった。
 五球目のスライダーを、カットした。これは失敗だった。あまり変化球をカットしていると、自棄になって直球で勝負してくるかも知れない。僕は、周囲が思っているよりも直球が苦手だ。ましてや、評判の大会ナンバーワン右腕の直球など、打てそうもない。できれば、変化球を投げているうちに勝負をつけたい。しかし、これで追い込まれてしまった。間違いなく、勝負は直球で来る。
 僕は目にゴミが入ったという嘘で、もう一度打席を外した。「教育」の一環と位置づけられている高校野球では、タイム一つ取るのにも苦労する。
 緊張は、ピークに達している。手も足も、小刻みに震えている。こんなことは、生まれて初めてのことだ。
(負ける・・・・・・?)
 一瞬、そんな言葉が脳裏をよぎったことを、僕は否定しない。勝ちへの執念が強いからこそ、いざそれが揺らいだ時には、ひどくもろい。そんな人間は、何人も見てきた。そんな人間を踏み越えて、僕は今ここに立っている。その僕が、今更泣き言を言うわけにはいかない。
 六球目は、またファウル。内角の直球。見逃せば三振だった球。客席は胸を撫で下ろしているが、少し野球を知っている人が見れば、今のがただの苦し紛れでしかないことは明らかである。僕は、追い詰められていた。
 勝ちたい、勝てば良い。それだけを考えて今日までユニフォームを着てきた。周囲の雑音は、勝つことでかき消せばいい、と高を括っていた。しかし、雑音は勝つ度に溜まっていき、いつか堤防が決壊した時、一気に流れ出してくることは目に見えている。それが、怖い。
 本当は、認めてほしかった。これは僕のわがままだ。勝つためには手段を選んではいられない、という持論は曲げられない。それでも、誰かに認められたかった。ただ一言、
「間違ってなんかないよ」
 と、そう言ってほしかった。
 七球目はやはり内角のきわどいボール。恐らく僕に対するこの打席の配球の中で、唯一とも言えるバッテリーの誤算。僕は命拾いしたが、これでフルカウント。この投手のコントロールでは、もう二度とこんなことは望めない。打つしかない。打たなければ、負ける。
 何が悪いんだ、という気持ちが爆発しそうになったのは、昨日の夜のことだ。チームの中でも、僕のやっていることを理解してくれるのはいなかった。僕は夕食後の自由時間に宿舎を飛び出した。特に行くあてはなかったが、何でも良かった。
 中途半端に夜の更けた街で、僕は煙草を一本ふかした。考えられない、明日、甲子園の決勝でスタメンマスクをかぶる捕手の喫煙。ゴシップ紙の記事としては一流でも、『週刊ベースボール』の記事としては三流の事件。それを止めたのが、今、スタンドで真っ赤な顔をして、トランペットを吹いている人。
 何故か僕はこの人に、自分の悩みを打ち明けてしまった。流れでも雰囲気でもなく、ただ導かれるように。すらすらと出てきた言葉を、彼女は笑って受け流した。
「正しいんじゃないの、別に」
 時間にすればものの二秒程度。僕が何度となく寝返りをうった時間に比べれば、刹那のように短い時間。
「間違ってなんかないよ。自分でそう思ってやってきたことの、何が間違いなんさ?」
 何を悩んでいたのかすら、一瞬忘れた。僕にとって、試合に勝つこと。それは、どんなものにも代え難い喜びであり、楽しみであった。それを思い出した。勝つことで満たされるのは、僕が野球をする意味そのもの。間違いとか正しいとか、そんなことを考えたことすら間違いだったのだ。
 それを今一度思い出すと、震えは止まった。僕はいつの間にか、こんな言葉を呟いていた。
「さあ次は・・・・・・・何で来る?」
 声は、青空に吸い込まれて消えた。

※用語解説
バッターラップ…「バッターは急いで打席に入りなさい」という審判の呼びかけ
右腕…右投げ投手のこと
ダンナさん…捕手が女房なので、比喩的に投手のこと
カットする…わざとファウルを打つこと
最終更新:2009年07月23日 22:24