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こころひとつ 2-8

 生活の糧をいかにして得るか。まずはそのことが、一行に課せられた当面の課題となった。しかし、北天騎士団の影響下にあるこの町では、表だった仕事はできない。オーウェルたちはともかく、ラムザやサマンサは、見る人が見ればすぐに素性が知れてしまう。脱走した士官候補生だということが露見すれば、北天騎士団を束ねるあのベオルブ家が、彼らを放っておくわけがない。特にダイスダークなどは、躍起になってラムザを連れ戻そうとするだろう。北天騎士団の支配地域は思いのほか広く、王都ルザリアなどに出ても、それは同じことである。
「八方塞がりだな」
 オーウェルの言葉が、一行の全てを表していた。こういう状況下においては、「真っ当な」貴族として育ってきた経験はマイナスにしかならない。自分が、何か策を考えねばならないと、オーウェルは決心していた。
 夜半、各人が部屋に戻った後、オーウェルは一人、窓の外に広がるスラムの景色を見下ろしていた。昨日は、ラムザに気を遣い、彼には一人部屋をあてがっていたが、路銀を節約するため、男性陣は全員一つの部屋に入り直した。心労のためか、オーウェルを除く三人は、死んだように眠りに就いていた。オーウェルは彼らとは逆で、気がかりなことがあると眠れなくなる。その点、彼は極めて神経質だった。安心できる状況であれば、誰よりも早く眠りに就くのだが、少しでも気になることがあれば、彼はこのように何時間でも起きているか、さもなければ飲みに出かけてしまう。そのような彼の繊細さは、まだ、一行の誰も知らない。
 スラムの町では、今夜も、不毛な乱痴気騒ぎが繰り広げられていた。戦争の終結により職を失った元軍人、不景気のために職にありつけない若者、コールガールに身をやつすほかなかった女たち。彼らが展開するドラマは、壁一つを隔てた安宿の窓から見下ろしていると、まるで舞台で芝居が演じられているようにも見える。どの人間の背景にもドラマがあり、そこにはその人にしか持ち得ない真実がある。百人いれば百通りの真実がある。
 オーウェルの耳に、不意に、廊下を歩く衣ずれの音が届いた。気にしていなければ聞き漏らしてしまうような、ごくわずかな音。その音の正体に思いを巡らせている内に、オーウェルはもう、部屋のドアを開け、廊下に飛び出していた。
「何処行く気だ? お嬢様」
 背後から声をかけられたことによほど驚いたのか、サマンサは飛び退くように振り向いた。
「お嬢様が一人歩きできるような所じゃないのは、昨日分かったはずだがな」
「ご、ごめんなさい……」
「で、何処に行く気だったんだ?」
 サマンサは俯き、唇を噛みしめて、ローブの裾をきゅっとつかんだ。人には言えないような、強い決心をした時の彼女のする仕草だということが、オーウェルにはようやくわかりつつあった。
「お、お金……」
 オーウェルは最初、彼女が何を言いたいのか要領を得なかったが、一行の路銀が少なくなっているという昼間の話を、彼女が心配しているらしいということだけは分かった。
「金がどうしたんだ?」
「その……少しでも……」
 サマンサが何をしようとしていたのか、オーウェルには分からない。サマンサには悲壮なまでの決意がある。ラムザはともかくとして、他の皆を巻き込んでしまったという自責が、彼女を苦しめていた。その上、生活の糧となる路銀が底をつこうとしているという事実は、彼女をより追い詰める結果となってしまった。
「金って、お前、何するつもりなんだ?」
 サマンサはまた、俯いて唇を噛み、ローブの裾を握りしめた。暗く、悲壮な決意は、他人には到底語れない。しかし、オーウェルはその仕草で、彼女が何をしようとしているのか、思い至ってしまう。
「……女を、売り物にする気じゃねえだろうな?」
 嘘が吐けないのは、誠実なお嬢様育ちがなせる業か。俯いた姿勢のまま、サマンサはビクンと身体をこわばらせた。下を向くフードから垣間見えた目は、奇しくも、オーウェルを養ってくれた母が、子どもたちには言えない「仕事」に出る時と、同じ色をしていた。次の瞬間、オーウェルはもう、彼女の胸ぐらをつかんでいた。
「てめえ! そんなこと絶対許さねえぞ!」
「だって……だって、他にどうすればいいんですか! みなさんを巻き込んで……これからどうすればいいのかも分からなくて、それで、私、どうしたら……」
 女を売るとは言っても、具体的に何をするのかまでは決めていなかったらしく、サマンサは一人、混乱していた。思えば、彼女の身辺には変化が多すぎた。昨日、飲みに出かけるなどという、普段の彼女とはおよそかけ離れた行動に出たのも、そのような混乱によるものだったと考えれば、つじつまがあう。
貴族という自分が信じてきた寄る辺は、彼女の中で見る影もなく汚れてしまった。平民は貴族を憎んでおり、貴族もまた、平民はどうでも良いものと蔑んでいる。分かり合いたいと希求しながら、自らの手でその平民を殺してしまった。気持ちの違いこそあれそれは、アルガスやザルバッグが選択した行為と同じだった。真実は彼女の中で、どんどん霞がかっていく。そして今、自分がどちらに進んで良いのかさえ、分からない。
「分からないんです……本当に……」
 もうそれ以上は、涙で言葉にならない。オーウェルにとっても、もうそれ以上、聞く理由はなかった。無意識の内にオーウェルは、彼女の細い身体を抱きすくめていた。
「もう、何も言うな……」
 ありきたりの言葉しかかけてやれない自分が嫌になったが、それでも彼女の身体を離そうとする気は、起こらなかった。自分が「責任を取れる」のか、この後彼女に何をしてやれるのか、そんなことは何も見えなかったが、今はただこうするしかなかった。こうすることでしか、彼女の悲壮な決意を受け止めることができなかった。
 卑怯とは分かっていながら、オーウェルはすぐにエリーを呼び、サマンサの身柄を彼女に預けた。エリーは、サマンサの様子が尋常でないことには何となく気付いていたらしく、何も言わずにサマンサの肩を抱き、部屋に連れ帰った。オーウェルは、そのまま部屋に戻る気にはなれず、また飲みに出かけることにした。

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最終更新:2009年08月23日 03:39