スラムの酒場は相変わらず薄汚れており、滅入ったオーウェルをうんざりさせたが、酒が入ればそんなことはどうでも良くなってしまうことは、彼には分かっていた。
「今日は、お連れさんはいないんで?」
マスターは最初そのような軽口を叩いたが、オーウェルに一睨みされ、すぐに口をつぐんだ。
安宿の窓から見下ろすよりも、もっと生々しく、真に迫る人間ドラマが、酒場では展開されていた。オーウェルもすぐに、そのドラマの登場人物の一人となった。その中の一人、上流階級にも下流階級にも、もちろん中流にも属さないような異彩を放つ男が、しばらくオーウェルの様子を窺っていたが、すぐに近寄ってきた。
「昨日も来てたな、小僧」
男は特徴のある訛りを持っており、東方の人間であろうことがオーウェルにもすぐに分かった。
「何の用だ……?」
「まあそう警戒するな、小僧。お前なンかに興味はない。しかし、昨日お前が連れていた女が気になる。あれは、オレの記憶が正しければ、フリードベルグ家のご令嬢、サマンサ・フリードベルグじゃねえのか? ン? どうなンだ?」
酔っているくせによく動く口だ、と、オーウェルは少し感心した。
「昔から、金になりそうなことには、鼻が効くタチでな」
「だったらどうなんだ? 誘拐でもするか?」
気圧されてはいけないと、オーウェルは虚勢を張った。本当は彼も、少しだけびびっている。世慣れているとは言っても、まだ十六歳。百戦錬磨の軍人から見れば、駆け出しのヒヨッコに過ぎない。物腰や身なりから、目の前の男が単なるチンピラや軍人もどきではなく、幾度となく死線をくぐり抜けてきたことが分かる。相手の強さに対して敏感になれるのも、生き残る上では大切なことで、彼はそのことをよく知っている。
「そンなことはしねえよ。ただ、おかしいと思ってな。確かサマンサ・フリードベルグは今、王立アカデミーで士官候補生をやってるはずなンだがな。あの、ベオルブ家のご令息、ラムザ・ベオルブとかと同期でな」
オーウェルはとっさに、拳に力をこめた。北天騎士団の放った刺客ならば、差し違えてでも倒さなければならない。それが実際にできるかどうかは別にして。
「敵わンのが分かってンなら、バカなマネは止めるンだな、小僧。何もお前たちを取って食おうって言ってンじゃねえ。むしろオレは、お前たちを助けてやろうってンだ」
そういうと男は、オーウェルの隣に腰を下ろし、彼から安酒のグラスをひったくるようにして奪い、一気に飲み干した。
「お前たちが、例の脱走士官候補生なンだろ? ジークデン砦の話も含めて、この界隈ではお前らはもう有名人だ。行く所も働く所もねえよ」
「そんなことは分かってる」
「まあ、聞け。お前らを捕まえて、イグーロスに連れて行けばそれでオシマイだが、それではオレにうまみがない。あのベオルブ家のことだ。オレを誘拐犯にでも仕立てて、脱走をなかったことにするかも知れン」
確かに、あのダイスダーグならやりかねない、とオーウェルも思った。「脱走」であれば、恐らく彼やエリー辺りがラムザを「唆した」ものとして処理するのだろうが、誰かに「拐かされた」とした方が、より自然に、ラムザの―ひいてはベオルブ家の立場を守ることができる。
「ラムザってのは甘ちゃんだろ? オレは、噂と偏った情報でしか聞いてねえが」
突然の問いにオーウェルは戸惑ったが、別に嘘を吐く理由もないと思い、素直に頷いた。
「オレはそう思う。別に仲間として尊敬できないとか、リーダーとして信用できないとまでは思ってないが、アイツは甘い」
「よく言った、小僧。お前とは気が合いそうだ。お前も、ベオルブ家の長兄と次兄のことは知っているだろう。あの二人は、ラムザが甘ちゃんで、貴族の何たるかを分かっていないことを、苦々しく思ってる。アイツらにとっては、今回の脱走は『良い機会』なンだ。ラムザが自ずと現実を知るためのな。そうでなければ、お前らなンざ、とっくに捕まってる」
今、自分たちは「現実」を知りつつある。貴族であることを前面に押し出さずに生きていくということの辛さを、少しずつ実感し始めている。それが、ベオルブ家の願いであるとすれば、一つの成功に向かいつつあるのだろう。
「オレは、ベオルブ家から直接話を聞いた訳じゃないが、あの辺の考えは大体そんな所だろう。それで、だ。オレはその策略にまんまと乗ってやって、ラムザ・ベオルブに現実を思い知らせてやろうってンだ」
「どうする気だ?」
「ン? 乗り気になったか、小僧。オレは傭兵をやってるンだが、今は部下が一人しかいない。五十年戦争の余波で、仕事も増えててな。ちょうど人手が欲しかったところだ。お前らならまとめて安く雇えて、オレにもメリットはある。悪い話じゃないと思うンだがな」
傭兵。各地を旅しながら、騎士団や街の要請などで、戦闘を行う。給与も悪くないと聞く。
「報酬の分け方は?」
こういう現実的な話になると、オーウェルは俄然強みを発揮する。相手が年嵩の、百戦錬磨の傭兵であっても、物怖じせずに突っ込んだ話ができる。
「今は、経費や宿泊代を引いて、オレが7、もう一人の部下が3でやってるが、お前らが入るなら、オレが5、部下が2、お前らに3ってとこだな」
譲歩しているように聞こえるが、オーウェルの一行には彼やラムザを筆頭に六人の人間がいる。3といっても、一人分は0.5にしかならない。
「ちょっと、安すぎんじゃねえのか?」
「嫌なら断るこった。別にオレは、絶対にお前らじゃなければ、って訳じゃないンだ」
確かに、この話のイニシアティブは男の側にある。かと言って、はいそうですか、と軽々に飲める問題でもない。
「仲間に相談する。考えさせてくれ」
「当然だな。オレとしても、意見は一致していてくれないと困る。雇ってほしいのなら、明日の夜八時、全員でここに来い」
「分かった。……アンタ、名前は?」
「ガフガリオン。ガフ・ガフガリオンだ」
酒場から宿へ戻る道々、オーウェルは男の正体について記憶をたどった。聞いたことのない名前ではない。明らかに五十年戦争上がりの風貌から、その時の英雄かとも思ったが、そうではない。酔った頭では、それ以上の思考は働かなかった。
最終更新:2009年08月23日 03:37