六時まではまだ間があったので、オーウェルは部屋に戻った。ラムザたちは部屋にはおらず、彼は一人ベッドに身を沈め、シミだらけの天井を見つめた。
サマンサを呼び出して、今言えることを洗いざらい話してしまうことで何が変わるのかは、まだ彼にも分からない。自分が再び、「愛」というものを直視できるとは思えない。しかし、けじめだけはつけなくてはならない。彼は、自分にそう課している。そうしなければ、何が何だか分からない。自分が自分でなくなってしまう。
支離滅裂な思考の中で、オーウェルはまどろんでしまったらしく、醒めた時には、時刻は五時五十分を回っていた。
宿の前に出ると、そこにはもうサマンサが待っていた。律儀な彼女らしく、十分前には既に到着していたようだった。
「あ、オーウェルさん。す、すいません。早く来すぎちゃいました……」
おどおどして、すぐに謝るサマンサの性格にも、オーウェルはもう、いらつくことはない。付いてくるように促し、歩き出した。
「あ、あの、エリーから話を聞いて、それで、私舞い上がっちゃって……その……」
オーウェルは、サマンサの相変わらずの話し方を耳では聞いていながらも、頭では別なことを考えていた。思わず彼女を抱きしめてしまった時の感触は、まだ腕の中にはっきりと残っている。それを確かめるように、自分の腕を見つめ、サマンサの顔と見比べた。
「お前に、言っておくことがある」
オーウェルは立ち止まり、サマンサの目をはっきりと見据えた。
「前にお前が聞いた、『脱走』云々のことだ」
そこまで言って、オーウェルはまた歩き出した。サマンサの純粋な目を見つめたまま話すことは、彼には出来なかった。
「……アカデミーに入る前、オレには、将来を誓った女がいた」
女、という語に反応したのか、横を歩くサマンサの足がはたと止まる。
「聞きたくないのなら、続きは止めておく」
サマンサはすぐにかぶりを振った。オーウェルは本当に、サマンサが嫌がるのであれば止めるつもりだったが、安心したような表情で話を続けた。
淡々と、しかし確実に感情をこめた口調で話すオーウェルと、それに耳を傾けるサマンサ。没頭する二人には、周囲を埋め尽くすスラムの喧噪も、別世界のことだった。
オーウェルには昔、将来を誓い合った女性がいた。名前は、彼自身にも思い出せない。思い出したくないのではなく、本当に思い出せないのだ。オーウェルにとって彼女は「お前」であって、それ以上の称号は不要だった。
「お前」とオーウェルは、共に貧しい下級貴族ながらも、生活の中にそれなりの幸せを見出し、二人の時間を紡いでいた。家も隣同士で、付き合いは家族ぐるみ。何処までもありふれた、幼なじみだった。将来は揃ってアカデミーに通い、やがては北天騎士団に所属する戦士と白魔道士の夫婦になる―そんな夢を語り合った日もあった。
破局は、思いもよらない所から訪れた。「お前」の父親が、戦争終結間際になって脱走。彼らもまた幼なじみだった父親同士が、捕まえる側と捕まえられる側に回った。隠れた場所を聞き出すために、「お前」は母親や弟たち共々、連行された。
サマンサは、恐怖のあまり、そこから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。しかし、オーウェルの言葉の端々に宿る確かな決意が、彼女にそれを許さない。
「その人たちは、どうなったんですか?」
彼女は自然と、話の続きを促していた。
「前に、オーウェルさん、言ってましたよね?『かつての仲間に追いまくられて、見せしめのような公開処刑だ。残った家族は後ろ指差されて、死ぬしかない』って。やっぱり、そうなったんですか?」
オーウェルの足が止まった。その反応を見て、サマンサは瞬時に確信する。ここに、オーウェルの闇がある、と。
「普通は、そうなる」
何かを言い淀んでいるらしく、言葉少なに言い切るオーウェル。彼にはまだ、ここでサマンサが先を聞くのを拒否すれば止められるのだ、という甘えがある。
「そうならなかったんですか?」
サマンサは既に覚悟を決めていた。何があろうと、この話を最後まで聞ききり、全てを飲み込もうと誓っていた。オーウェルは振り返り、サマンサの目を再び見据えた。
「お前」とその家族が許されることは、結局なかった。彼女らは本当に、脱走した父親の行き先を知らなかったのだが、騎士団上層部はそれを、「尋問に当たったオーウェルの父親の追及が甘く、嘘を吐いて言い逃れようとしている」と決めつけた。因みにオーウェルの父親は、この際の「失敗」により、年齢に似つかわしくないほどの最前線に転属させられている。そこで彼は命を落とすことになる。
「アイツの家族は、一応『貴族』ではあったから、拷問はされないことになっていた。建前上はな」
実際の所、昼夜を分かたぬ尋問は、拷問も同じだった。同じ下級貴族仲間であったオーウェルの父親を尋問官から外した上層部は、新たに平民の兵卒を配置した。下級貴族であれ貴族は貴族、と憎しみを向ける平民の兵卒たちにとって、「お前」とその家族は良い対象になった。それでも、彼女らは口を割らなかった。いや、割らなかったのではない。本当に知らなかったのだ。
「普通なら、ここまで行ったら終わりだ。家族は釈放されて家に戻るが、村八分で一生を終える。でも、ここでもそうはならなかった」
一向に口を割らない家族に、上層部は英断を下した。公開処刑。脱走兵本人にではない。その家族に対して、である。
決断の理由は、二つあった。一つは、脱走した父親を炙り出すための最後の手段。家族が殺されるとなれば、さすがに出てくるだろう、と。もう一つは、民衆への見せしめである。「いかに戦争末期で戦局不利な状況であっても、脱走を企てれば、たとえ貴族であってもこうなるのだ」。脱走が頻発する状況に置いては、騎士団の狙いはむしろ後者にあった。
オーウェルは、ある日の散歩中、偶然撒かれていたビラで、この事実を知った。
木の柵が張られた小さな広場に、彼は駆けつけた。その真ん中に、「お前」と母親、弟たちがひきずり出されてきた。
名前を呼ぶことは、許されなかった。彼にできたのは、夢中で人波をかき分け、最前列で柵にしがみつくまでだった。柵にしがみついたオーウェルに気が付いたのか、「お前」は彼の方に目を向けた。しかし、彼女の目はもう、オーウェルに助けを求めることさえできなくなっていた。彼女とその家族が家から連行された時、オーウェルは、彼女の助けを呼ぶ声が聞こえたような気がしていたが、そんな気配すら微塵も感じられなくなっていた。
執行役となった兵士が、一通りの口上を述べた後、並んで座らされた家族の首に、一斉に剣が振り下ろされた。処刑の中で最も苦しい「火刑」に処されなかったのは、騎士団が貴族層に対して向けたわずかな配慮だったのかも知れないが、死という事実には何の変わりもなかった。
「話すつもりはなかった」
オーウェルのその言葉でようやく、サマンサは一連の話が終わったことに気付いた。
「でも、お前にだけは話しておかなければならなかった」
お前にだけは。その特別扱いの意味をつかみかねて、サマンサは疑問の目を向けた。無論、期待していることはあったが、その通りであるかどうかの確信が欲しかった。
「オレは、アイツを見殺しにした。守ってやれなかった。一生守ると誓ったのに」
サマンサは固唾を呑んで、オーウェルの一言一句を噛みしめるように聞いている。
「オレは、怖いんだ。お前を守ってやるって誓っても、もしかしたら、お前のことを守れなくなってしまう日が来るかも知れない。それが、怖い」
誓えるものならば、誓いたい。オーウェルは既に、そこまで決意を固めていた。自分はもう、サマンサが好きだ。守ってやりたい。できることなら、思いも受け止めてやりたい。しかし、自らの足でそこまで踏み出す勇気は、まだない。
「だから、もう、オレに何も期待しないでくれ。お前の期待に応えられない自分が、どんどん嫌いになっていくんだ」
これでいい。お互いの想いが理想の形で成就するなどということは、通常、あり得ないことだ。踵を返して宿に戻ろうとしたオーウェルの上着の裾を、サマンサの細い指がきゅっと握った。
「……やです」
や、とは何なのか、とオーウェルが考える間もなく、酔った時のように饒舌になったサマンサは、間髪入れずに言葉をつなぐ。
「私は、あなたの側にいる限り、期待してしまうんです。あなたの強さも弱さも、私は知ってしまった。だから、それをもっと知りたい。私に受け止められるものは、もっと受け止めてあげたいって、そう思っちゃうんです」
ここで、サマンサの手を取り、思い切り抱きしめてあげられれば、オーウェルはどれだけ楽になれただろうか。しかし、彼にはそれができない。一歩を踏み出すのがたまらなく怖いのだ。
オーウェルは、服の裾に絡まったサマンサの指を、優しくほどいた。そのまま、彼女の方を振り返ることなく、宿に向かって歩を進め始めた。
「待ってます」
サマンサの声だけは背中に届いていたが、やはり見返すことはない。
「待ってますから。オーウェルさんが怖くなくなるまで、ずっと」
その淡い願いを拒絶することさえできない自分が、オーウェルはたまらなく情けなかった。
最終更新:2009年08月23日 03:38