鼓動が、少しずつ大きくなっているのが解かる。顔が、火照ってくる。
すぐに体育館に引き返すはずなのに、身体が、そちらに動こうとしない。
「………?」
教室で、藤岡と、2人きり。
自分の置かれているその状況を意識すると、とんでもなく、恥ずかしいような、照れ
くさいような、いつもと違った妙な気持ちになる。
ごくり、と1度、カナの喉が鳴る。
「………。」
足が、1歩踏み出す。
体育館へと続く廊下ではなく………目の前の、藤岡の居る教室の中へ。
「………南?」
後ろ手に、ドアを閉める。カナがゆっくりと、藤岡の席に近づいていく。互いに互いの
眼を見つめ合ったまま、徐々に、2人の距離が縮んでいく。
やがてカナは、もう1歩でぶつかってしまう距離まで、藤岡に接近する。少しだけ上に
ある藤岡の眼を、なお、見つめ続ける。
「………。」
「………み、南?」
「なぁ、藤岡。」
「え?」
息が掛かる程の距離で、カナが藤岡の名前を呼ぶ。また、藤岡の胸が高鳴る。
そして。
「………ちょっと1回、座ってみて貰えるか?」
「………え?」
カナは突然、そんなことを呟いた。
「座る………って?」
「だから、その、椅子でいいからさ。ちょっとだけ。」
「………なんで?」
「まぁ、ちょっと。ちょっとね。」
ちょっと、を何度も繰り返しながら、カナは藤岡の席の椅子を指差す。理由も何も
解からないが、藤岡は言われるがままに、自分の席に腰を降ろした。
すると。
「よいしょ。」
「え?」
カナは突然、藤岡の目の前の机を、押し退け始める。藤岡の荷物もろとも机は横に
押し退けられ、綺麗に並んだ列が乱れた。そして藤岡の前には、机も何もなくなる。
そして、その後。
「………ッ!?」
カナは突然、藤岡の前に立って、藤岡の膝の上に腰を降ろした。
「ちょっ、み、みな、み………!?」
思わずバランスを失い掛けて、藤岡は慌てて体勢を立て直す。自分に向かって体重を
掛けているカナの身体を受け止めて、足を踏ん張る。
藤岡のお陰で、どうにか椅子ごと倒れるのだけは免れることができた。
「っと、ごめん。」
「あ、いや………その………。」
藤岡は、危うく倒れそうになったのと、突然の展開に混乱しているのとで、上手く
声が出せないで居た。
今は、カナは膝の上というよりは、藤岡の足の間に座っている。教室の椅子なので、
座れる部分はそれほど大きくない。うっかりすると、前に滑り落ちてしまいそうだ。
「(………~~~ッ。)」
藤岡は、心臓がまるで耳のすぐ後ろで鳴っているかの様な感覚を覚えた。自分に寄り
掛かるカナの、綺麗な黒髪、細い身体、白いうなじ。密着する自分の胸板と、カナの
背中。意識するごとに、脈が強く、速く、大きくなっていく。やがて、全身が脈打って
いるような錯覚に陥る。
やがてカナは、頭をこてん、と藤岡の肩に預ける。
「あの、南………?」
無理にカナをどかすことも出来ず、藤岡は自分の席に腰掛けたまま、硬直する。
すると。
「………やっぱ、落ち着かないね。」
「え………?」
「いや、チアキが気に入ってるみたいだから、どんなもんかと思ったんだけど。」
「え?あ………それで………?」
「駄目だ………ちっとも、落ち着かない。」
カナはそう言って、自分の身体を支える藤岡の右手を捕まえた。
掴んだまま、カナの手はゆっくりと藤岡の右手を導いていき、そして。
「ん………。」
「は………?」
やがて、導かれた藤岡の手は………カナの、胸元に押し当てられて、止まる。
しかも、それは服の上ではなく。カナの、体操服の中。下着の、更に下。
直に、胸に押し当てられている。
決して大きくない膨らみと、その先の小さな突起を、藤岡の掌が感じ取る。
藤岡は一瞬、自分の中で、さっ、と熱が引いていくような感覚を覚えた。
そして、直後。
「………ッッッッッッ!!!??」
引いた熱が、何十倍にも増幅されて押し寄せる。
顔が、燃えるように熱い。頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。身体中が
強張って、思わず、導かれた手にも力が入ってしまう。
「んんッ………!?」
途端に、カナはピクリと跳ねて、呻くような声を上げる。
「あ、ご、ゴメン………ッ!?」
藤岡は、理由も解からないまま、とにかく謝る。
カナはしばらくの間、ピクピクと、小さな震えを繰り返してた。
そして………やがて、身体の落ち着きを取り戻し。
「………なぁ。」
「え?」
「解かるか………?」
普段からは想像もつかない、消え入るような声で、カナが呟く。
「私………今………。」
「な、何………?」
「物凄く………ドキドキしてるんだよ。」
「………ッ!」
言われて、藤岡はハッとする。
確かに、それどころでは無かったので気付かなかったが、藤岡の掌には、胸の膨らみ
の上からでもハッキリと解かるほど強い鼓動が伝わっていた。
藤岡が、後ろからカナの横顔を覗き込む。その頬は、明らかに紅潮している。
「変なんだ………自分でも、解からないんだよ。なんで、こんなになるのか。」
声は、なおもか細いままだ。
「でも、なんか………今も、変なんだ。お前と2人きりだと思ったら、急に………。」
「南………?」
「チアキと一緒の所、思い出しちゃって………なんか、我慢できなくなって。」
「………っ。」
「どうしちゃったんだ、私………おかしいよ。なんだよ、コレ………。」
しかし声の弱々しさとは逆に、藤岡の手を抑えるカナの手には、徐々に力が込められて
いく。やがてそれは、握り締めるような形になった。
「こんなこと、して………。」
言葉とは裏腹に、カナは決して、胸に押し当てられた手を逃がそうとはしなかった。
規則正しいリズムで、鼓動は藤岡の掌に伝わり続けている。
「なぁ………藤岡………?」
「………何?」
やがて。
「私………変なのか………?」
カナは、搾り出すようにそう言って、下を向いた。
「こんなの………。」
2人だけの教室に、沈黙が訪れる。校庭で体育の授業に励む生徒達の声が、遠くに
聞こえる。鼓動は、弱まらない。
そして、しばしの間が空いた、その後。
「………南。」
それまで事情を飲み込めず混乱するばかりだった藤岡が、突然、背後からカナの身体
を抱き締めた。
「ッ!」
カナは、眼を見開いて驚く。その拍子に、目尻に浮かんだ涙が、つ、と頬を伝う。
「変じゃない。」
「え………。」
一言そう言って、藤岡はカナを更に抱き寄せ、自分の胸をカナの背中に押し付ける。
そしてその直後、カナが何かに気付いて、声を上げた。
「あ………?」
首を一杯に回して、藤岡の様子を伺う。
「俺だって………ドキドキしてる。聞こえるだろ?」
「………ッ!」
「南と居て………南に触って、俺も………死ぬ程ドキドキしてる。」
「藤岡………っ。」
何かが、カナの頬を伝う。
「南が、俺のこと考えてドキドキしてるんだったら………俺、凄く、嬉しいよ。」
藤岡の指が、伝った物を拭う。
「………は、恥ずかしいこと、言うんじゃないよ………。」
カナが言って、藤岡が微笑む。
最終更新:2008年02月16日 22:09