諸葛霊
- このWIKIの管理人であり。主に文官型で登録。一昔前は文官なのに、戦にばかり出陣し見事迎撃されてばかりだったが、陰陽兵を主に用いるようになってからは統智将としての才能が大きく開花した。文官ながら豪将にも選ばれる。国のために命を賭け今日も陰陽で敵将を迎撃してゆく
黄権公衛
- 字は公衡 黄権は劉璋に劉備の援軍での益州入りを王累と李恢と共に激しく諫めた人。そのため、劉璋に左遷された。が、劉備が益州を劉璋から奪うと、劉備の配下になるのを嫌がり、家に閉じこもって巴蜀の将からは「殺してしまえ」という意見も出たが、劉備は「黄権を殺せば、汝らの九族まで滅ぼすかも知れぬ」と言った。そして、劉備の何度もの訪問に感激し、進んで劉備の偏将軍となった。そして、夷陵の戦いで劉備を激しく諫めたが、聞き入れて貰えず、別軍で行動するが、大敗により退路を断たれて、「呉とは共に天を抱かぬ。」と言って、魏に降った。曹丕はこれを厚くもてなしたという。そして、降ってから魏の陣営内で、黄権の家族が劉備によって処刑された。と聞くと、「それは、誤報でしょう。」と言った。また、劉備も黄権の家族を斬ってしまえ。という意見が出たのにもかかわらず、「黄権が降ったのは私の不忠であり、黄権に何の罪もない。」といって、家族を手厚く保護したという。また、劉備が死去したとき、魏の臣は次々と曹丕に祝いの言葉を言いに来たのに対し、黄権は自宅に籠もり泣いたという。これを聞いた曹丕は更に黄権を信用したという。東晋の袁宏が著した三国名臣序賛においては、法正を退けて蜀の4名臣として諸葛亮・龐統・蒋琬と並んで取り上げられている。
- なんか、黄権の紹介でスミマセンw
下間頼竜
- 史実の下間頼竜は戦国時代に本願寺に仕えた一族『下間家』の筆頭である。本願寺が織田信長に降伏した時、本願寺の代表として下間頼廉・仲考と共に書状に血判をしている。本願寺の坊官であると同時に茶人としても有名で堺の商人たちとも茶会などから交流があったといわれている。後に池田恒興の娘婿となり後の播磨新宮藩主池田重利の父でもある。
- プレイヤーでもある下間頼竜も武道・茶道経験者でもある。武官イメージが強いが実は文官経験が長く裏方活動も多い。
- ちなみに騙まし討ちに近い外交は大嫌いなのはリアルも同じ
最終更新:2008年08月15日 00:26