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時刻は深夜、空には月と星の輝きを遮るような雲はかけらも存在しない 満天の星空の下に広がる漆黒の闇がある。 ゴンドワナ大陸最大級の休火山を有するアグニスキア山脈の一部だ。 山肌に茂る森は濃く月の光が明るいとはいえ照らしきれるようなものではない。 森の中にはクマやオオカミなど危険な動物も多くいるためこのような時間に歩いている人間はまずいない。 もっとも日中でさえこのような森の奥深くに来るような人間はいないだろう。 その山中の森の中、名もないような小川に沿って走る一つの集団がある。 集団の人数は五人だけ少年もいれば少女もいるそんな子供だけの小さな集団だ。 皆病院で患者が着るような純白の服を着ている子供たちだ。 先頭を走る金髪の少年はおそらくリーダーだろうか。 意志の強さを感じさせる瞳が印象的な少年だ。 少年だけが白かったであろう服をまだらにどす黒い血に染め右手には華奢な少年の手にふさわしくない大きく無骨な拳銃を持っている。 年齢はおそらく十代半ばに達するかどうかという程度だろう。 その後ろには黒髪の少年とひょろりと背の高い少年が目の前の少年を追いかけていた。 金髪の少年は速度を落とさず後ろを振り返りながら小さな、しかししっかりと通る声で呼びかける。 「遅れているものはいないか!全員付いてきてるか?」 最後尾には集団の中で先頭の少年に次いで二番目程度の年齢の長く美しい金髪を持った少女がいた。 少女は前の三人から少し遅れ気味に息を切らせながら声を飛ばす。 「この子がもう走れないみたいなの。この子能力を使いすぎて疲れてるのよ。少しでいいから休ませてあげて」 少女はリーダーに休憩を提案した。 少女の右腕には小さな子どものか細い左腕が握られていた。 息を切らして懸命に走っている子供は集団の中で最年少で五歳かそれより少し上ぐらいだろうか。 なれない山道に疲弊しておぼつかない足取りになりながらも必死に集団に付いていこうとしている。 「駄目だ休めない。そいつは俺が負ぶっていく。目的地までそうたいした距離でもないだろう」 少年は子どもを背に乗せるため一旦脚を止め屈むと首を回して背後に鬱蒼と茂る森を見通すかのように視線を向ける。 先ほどまで子どもの手を握って走っていた少女がみけんに皺を寄せている少年に焦った調子で問いかける。 「見えてないから人間は大丈夫だと思うけど、『犬』は追って来てる?」 少女は立ち止まったわずかな時間を利用しまくしたてる。 背後の森の遥か向こう、木々に阻まれて少年から見えない位置には朱と白の色がある。 山肌を削って造られた空間に立っている立方体の建物から火が出ているのだ。 建物の正面には砕かれた塀と倒れ伏す警備員、正規通用口そして炎に照らされて浮かび上がる搬入出用頑丈な黒く冷たい鉄の門がある。 「まだだ。門はまだ開いていない。でも『犬』が出てくるのも時間の問題だろう、急ぐぞ!」 少年は子どもを背中に乗せ立ち上がると、乗せる前と変わらぬ速さで走り始めた。 十五分ほど明かりのない森の中を川に沿って走り続けただろうか。 先ほどまで沿って走っていた川はいくつかの支流と合流し小川とは呼べない太さになっていた。 先に進めば進むほど川は太さを増し流れる水の音は大きくなっていく。 皆がここまで逃げれば追手は来ないだろうと安心したその時少年の背にいた子供が不吉な調子でささやく。 「門があいた……『犬』が来る……」 次の瞬間大型肉食獣のそれもオオカミよりも低くそして大きな遠吠えが山中に響き渡った。 それは『彼ら』が少年たちを追いかけるために解き放たれた証拠、狩りが始まる合図だ。 ● 暗闇よりも黒いものが胎動する。 部屋が突然動き出したことによって起こされたのだ。 それは此処では『犬』と呼ばれていた。 部屋は可動式で床下には移動用のレールが敷いてある。 それ目の前にアームで差し出されるのは布きれ。 強いにおいの付いた布はそれの標的。 狩るべき弱者―――獲物だ。 それは獲物によって作りだされた獲物を狩るための生き物だ。 存在理由はただ一つ脱走者を刈り取ることだ。 部屋の移動が唐突に止まりつんのめった。 それを支配する感情は単純だ。 喰らえ!壊せ!殺せ! 目の前の扉がゆっくり開いていく。 それが突撃してもびくともしない扉がまどろっこしい緩慢な動きで開いていく。 それが扉が開ききり澄んだ冷たい夜気が流れ込んでくる。 部屋の中と外の温度の差で身震いをした。 それが外に出たものかどうか思案していると後ろから空気を焼く音がする。 棒が背後の壁から二本出ておりその間には青白く光る電流が流れている。 それは電気を流されるのは嫌いだった。 電流を流される前にそれは外に出る。 それにとっては初めて出る外界だ。 広がるのは何の変哲もない森ばかり。 しかし初めてみるものばかりでそれは三方向を見渡す。 左の方には獲物たちが倒れている。 動かないものはつまらないので転がっているものには目もくれない。 森の中には色濃く若い獲物においがする。 そう遠くない。 すぐに追いつける。 時間ならばいくらでもある。 なぜならばそれは自由を手に入れたのだ。 さあ狩りを始めよう。 それは雄たけびを上げて走り始めた。 ● リーダーの少年を含め全員がその禍々しい雄たけびを聞き恐怖の色を顔に浮かべる。 先ほどまで無言で走っていた黒髪の少年もうろたえ情けない声を出し始めた。 「ど、どうすればいいんだよ。あいつらが本気で走ってきたら僕たちなんかあっという間に追いつかれるよ」 「大丈夫きっと。逃げ切れるわ」 少女は自分が集団の中でも年上の部類頼られていることを自覚しているのか黒髪の少年を優しくなだめる。 「ね?アルファ、滝までもうすぐなんでしょ?」 「ああ。そこまで行けば大丈夫だ。もう滝の音も聞こえているだろ。俺たちは逃げ切れる」 リーダーのアルファと呼ばれた少年は皆を安心させるため過剰なまでに勇気づけながらも右手に持っていた拳銃の残弾を確認しグリップを強く握りなおす。 子供たちが迫りくる捕食者から前へ前へと逃げるに従って水の音と後ろからの地響きが大きくなってくる。 少年たちがいくら逃げようとも捕食者は着実に距離を詰めてきている。 「よしあそこだ。顔をできるだけ背中に付けとけよ」 アルファが背中の子どもにに注意を促し頭を守って茂みを突っ切るとそこは木が一本もなくこぶし大の丸い石が転がる川原が広がっていた。 先ほどまで集団の隣を流れていた川が本流と合流したのだ。 川は深くいちばん深いところで大人の胸辺りまである。 続いて少年の後ろから残ったメンバーたちも茂みから飛び出す。 ひょろりと背の高い少年が安心とともに呟いた。 「よしこれで助かるん――」 その瞬間後ろの茂みを破裂させるようにして飛び出した三つの大きな顎のうち真ん中のひとつが少年の肩に深く食い込む。 少年は悲鳴を上げる暇もなく茂みの中に引きずり込まれる。 「チャーリー!」 金髪の少女は悲痛な叫びともに振り返って追いかけようとするが黒髪の少年が必死に腕をつかみ引きずるように駆ける。 「姉さんチャーリーはもうだめだ、行っても無駄だよ!それに姉さんまで食われちゃうよ!」 背後の茂みからは幼い悲鳴と肉と何か硬いものを食いちぎる音がする。 「でもそれでもあの子が!」 つかまれていることをものともせず少女は泣きやまない赤子のように声をあげ必死にチャーリーを助けに行こうとする。 しかし年長の少年が悲痛な色を顔に浮かべ事実を静かに告げる。 「もうあそこにチャーリーはいない。もう原型すら留めていないんだ。もう無駄なんだよ!」 この中で唯一茂みを見通すことの出来る少年は怒りと悔しさに奥歯を強く噛みしめている。 その言葉に少女は呆然とした様子で後ろ髪を引かれながらも前に向かって走り始める。 必死に走り距離をあけた後方の茂みからは黒の獣が肉を咀嚼し硬いものをかみ砕く音が響いてくる。 『犬』は手に入れたばかりの餌に夢中で茂みの中から出てきもしないが追いかけてくるのも時間の問題だろう。 たとえ仲間を囮にするという残酷なことをしてでも今のうちに歩を進めなければすぐに追いつかれ全滅をしてしまう。 必死に逃げて距離を開けなければ次にあの目に逢うのは自分なのだ。 少年たちは一人の犠牲の隙をつき滝にもう少しと迫るも後ろから獲物を食いつくした狩人が追いかけてくる。 アルファは覚悟を決め背中の子どもを下ろし後ろを振り返る。 「行け!俺も長くは持たないだから早く行け!」 少年たちの淡い希望をかみ砕くべくナイフのような黄色い牙の生えた顎が三つ迫ってくる。 金髪の少年が暗闇の中拳銃を両手に構え迫りくる黒に精一杯照準を合わせていると突然横からひったくるようにして拳銃が奪われた。 「な!?」 拳銃を奪ったのは先ほどまで背負われていた子供だ。 「やる……だからアルファは先行って」 「遊びじゃねえんだよ!そいつよこしてさっさと逃げろぉお!」 アルファは必死の形相で子供から拳銃を奪い返そうとする。 「こんなところじゃアルファも変わんない……だからやる」 細い腕がちいさく震えながらも拳銃を肩の高さまで持ち上げる。 見えなくとも感じることができるのか迷いなく子どもは獣に照準を合わせる。 子どもは見通せない闇の中の黒に向かって正確に何度か引き金を引く。 撃つたびに火の花が咲き子供の腕が跳ね上がり照準が外れるがすぐに狙いを調整する。 引き金を引いた数だけ後方から小さな鉛玉が肉に食い込む音がする。 前方では先行した二人が滝の際で叫んでいる。 「ああぁクソォ!持ち上げるぞ!」 少年は子どもの腹のあたりを抱え上げると必死に滝に向かって走り始めた。 子どもは少年の肩に抱え上げられながらも後ろに向かって撃ち続ける。 子どもの撃つ弾丸は確実に『犬』の頭を穿っていく。 小さな銃弾の衝撃といえども『犬』の走る速度は先ほどよりも確実に落ちている。 「もういい着いた!手ぇ出せ!」 少年の言葉とともに子どもは拳銃を服の中にしまいこむと小さな両手で少年の手をつかむ。 「お前らもだ!手ぇ出せ!」 言われるまでもなく少女と背の高い少年は手を差し出していた。 アルファが残り二人の腕を掴むと皆で一斉に地を蹴って宙に飛び出した。 その瞬間彼らを襲うのは浮遊感。 彼らは手をつなぎ滝に飛び込んだのだ。 滝の落差はゆうに30メートル以上もある。 飛び込めば水面に叩きつけられる衝撃で重症か悪ければ死亡だが子どもたちは獣に追いつかれるよりはいいと考えたのだろう。 彼らは落ちる墜ちる堕ちる―――。 崖の上では獲物を逃がした獣がその巨体から血を流しながら遠吠えをする。 その遥か下で急流に大きな水しぶきが上がった。
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