東海

伊豆  武将     2名

駿河  武将     8名

遠江  武将     9名

三河  武将    13名

    域計    32名
    累計    156名

武将
能力値 スキル 列伝
Lv 1 2 3 4
0125
多目 元忠


4
4
6
5
5
7
6
6
8
7
7
9
0126
狩野 泰光


1
1
4
1
2
5
2
3
6
3
4
7
0127
葛山 氏元 駿


2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
(1524-1574)今川家臣。葛山城主。家臣屋敷分の年貢減免や
領内社寺の保護など、自領内に独自の政策を施した。主家滅
亡後は没落し武田信玄の六男・氏貞が跡を継いだ。
0128
葛山 信貞 駿


3
3
2
4
4
3
5
5
4
6
6
5
0129
大原 資良 駿


1
2
4
2
3
5
3
4
6
4
5
7
0130
安倍 元真 駿


6
4
3
7
5
4
8
6
5
9
7
6
(1513-1587)今川家臣。主家の居城・駿府城を岡部正綱とと
もに守るが、武田信玄の駿河侵攻軍に敗れ、本貫地・安倍に
退く。以後は徳川家に属し、各地で武田軍と戦った。
0131
今川 義元 駿


10
11
15
9
10
14
8
9
13
7
8
12
(89)カリスマ
(88)魅力
(77)騎兵号令
(1519-1560)今川家9代当主。異母兄・玄広恵探を倒して家
督を継ぐ。甲相駿三国同盟を結んで後顧の憂いを断ち、上洛
の途につくが桶狭間で織田信長の奇襲を受け、絶命。
0132
今川 氏真 駿


3
5
8
4
6
9
6
7
10
9
8
11
(76)騎兵突撃
(71)士気号令
(31)武家の誇り
(1538-1614)今川家10代当主。義元の嫡男。父の死後、家
督を継ぐ。しかし、蹴鞠や和歌に傾倒し、無為の日々を送
る。その結果、徳川家康と武田信玄に領国を追われた。
0133
三浦 義就 駿


4
2
1
5
3
2
6
4
3
7
5
4
0134
関口 氏広 駿


1
1
2
1
2
3
2
3
4
3
4
5
(1523-1562)今川家臣。瀬名氏俊の子。用宗城主を務めた。
今川義元の妹を娶った。娘・瀬名(築山殿)は徳川家康に嫁
ぐ。のちに主君・氏真の命により自害させられた。
0135
天野 景泰


3
2
1
4
3
2
5
4
3
6
5
4
0136
天野 藤秀


2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
0137
天野 景貫


6
4
2
7
5
3
8
6
4
9
7
5
(1532-1595)今川家臣。犬居城主。田原本宿の合戦で功を立
てた。主家滅亡後は武田家に仕え徳川家と戦う。武田家滅亡
後は北条家に属し、佐竹家との戦いで功を立てた。
0138
松井 宗信


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
0139
朝比奈 泰能


6
5
4
7
6
5
8
7
6
9
8
7
(1507-1557)今川家臣。掛川城主を務める。1548年の小
豆坂合戦において、太原雪斎を補佐して織田信秀の軍を破る
など、今川家の西方侵攻軍の先鋒として活躍した。
0140
朝比奈 泰朝


4
3
3
5
4
4
6
5
5
7
6
6
(1530-1582)今川家臣。泰能の子。駿河を追われた主君・氏
真を居城・掛川城に迎え入れ、徳川軍と戦う。5ヶ月の籠城
戦の末に開城し、氏真とともに相模に落ち延びた。
0141
瀬名 氏俊


5
1
2
6
2
3
7
3
4
8
4
5
(1497-1538)今川家臣。瀬名家は南北朝時代に九州探題を務
めた名将・今川貞世(了俊)の末裔。玄広恵探と梅岳承芳
(今川義元)が争った花倉の乱では承芳方に属した。
0142
飯尾 乗連


2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
(1501-1560)今川家臣。賢連の子。豊前守と称す。羽柴秀吉
の最初の主君として知られる松下加兵衛らを寄騎として抱え
ていたといわれる。桶狭間合戦に従軍し、戦死した。
0143
小笠原 春義


2
1
2
3
2
3
4
3
4
5
4
5
0144
石川 広成


4
3
2
5
4
3
6
5
4
7
6
5
0145
菅沼 定継


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
0146
菅沼 定直


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
0147
奥平 貞勝


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
0148
菅沼 貞景


1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
0149
徳川 家康


7
7
7
9
8
7
10
9
12
13
14
15
(70)統率号令
(89)カリスマ
(32)暁の号令
(1542-1616)江戸幕府の創始者。広忠の子。桶狭間の合戦後
に自立。織田家との同盟、豊臣家への従属を経て勢力を拡大
する。関ヶ原合戦で勝利を収め征夷大将軍となった。
0150
服部 半蔵


6
8
3
7
9
4
8
10
5
9
11
6
(85)弓兵弱体
(84)槍兵弱体
(34)服部流忍術
(1542-1596)徳川家臣。半三保長の子。父の跡を継ぎ隠密頭
を務める。主君・家康の伊賀越えの際には、警護を担当し、
無事に帰国させた。「鬼の半蔵」の異名をとった。
0151
酒井 正親


6
3
1
7
4
2
8
5
3
9
6
3
0152
酒井 忠次


5
4
5
6
5
6
7
6
7
8
7
8
(1544-1603)北条家臣。東金城主。敏房の子。豊臣秀吉の小
田原征伐の際は居城に籠城した。主家滅亡後は居城を退去
し、隠退した。子孫は徳川家に旗本として仕えた。
0153
本多 忠勝


13
4
1
14
5
2
15
6
3
16
7
4
(72)一番槍
(92)強襲突撃
(33)戦国無双
(1548-1610)徳川家臣。徳川四天王の1人。「家康に過ぎた
るもの」と評された家中随一の猛将。名槍・蜻蛉切を手に5
7度の合戦に参陣し、傷一つ負わなかったという。
0154
菅沼 定村


4
1
1
5
2
2
6
3
3
7
4
4
0155
鵜殿 長持


1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
(1513-1557)今川家臣。上ノ郷城主。今川義元の妹を娶っ
た。鵜殿家は藤原実方の末孫で、鎌倉時代に紀伊新宮の別当
の子が取り立てられて西ノ郡(蒲郡)を領したという。
0156
戸田 宜光


2
2
2
3
3
3
4
4
4
5
5
5

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最終更新:2012年01月09日 20:45
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