四国

阿波  武将     8名

讃岐  武将     6名

伊予  武将     6名

土佐  武将    13名

    域計    33名
    累計    520名

武将
能力値 スキル 列伝
Lv 1 2 3 4
0488
大西 頼武


1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
(1519-1578)阿波の豪族。白地城主。出雲守と称す。大西家
は三好郡大西村の出身。三好郡や讃岐豊田郡などを侵略し、
大井荘として支配した。長宗我部軍との戦いで戦死。
0489
細川 持隆


1
1
1
2
2
1
3
3
2
4
4
3
(1497-1553)阿波守護。播磨守護・赤松晴政の要請により
尼子晴久と備中で戦うが敗れる。のち足利義栄を擁し入京を
試みるが、家臣の三好義賢と対立し、義賢に殺された。
0490
足利 義維


1
1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
0491
安宅 冬康


4
5
6
5
6
7
6
7
8
7
8
9
(1530-1564)三好家臣。三好元長の三男。安宅家を継ぎ、淡
路水軍を統率。兄・三好長慶を助けて活躍したが、松永久秀
の讒言により兄に殺された。歌や書、茶道に長じた。
0492
三好 義賢


5
3
2
6
4
3
7
5
4
8
6
5
(1527-1562)三好家臣。元長の次男。兄・長慶の畿内進出
後、本国・阿波の経略を担当。長慶の片腕として内政、
軍事に活躍したが、和泉久米田合戦で戦死。茶道に長じた。
0493
鎌田 光久


4
3
1
5
4
2
6
5
3
7
6
4
0494
篠原 自遁


1
1
1
2
2
1
3
3
2
4
4
3
0495
篠原 長房


4
4
5
5
5
6
6
6
7
7
7
8
(1513-1573)三好家臣。主家の領国経営の基礎となる分国法
「新加制式」を制定した。三好三人衆に次ぐ地位にあった
が、同族・篠原自遁に讒言され主君・長治に殺された。
0496
香西 元載


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
0497
寒川 元政


1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
0498
香川 信景


2
1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
0499
四宮 光行


3
2
1
4
3
2
5
4
3
6
5
4
0500
十河 一存


10
5
3
11
6
4
12
7
5
13
8
6
(68)突撃
(92)強襲突撃
(73)槍兵号令
(1532-1561)三好家臣。三好元長の四男。十河家を継ぎ、
十河城主となる。家中随一の猛将として鳴らし「鬼十河」の
異名をとった。有馬権現への参詣途中に落馬し、死去。
0501
長尾 大隅守


1
1
1
2
2
1
3
3
2
4
4
3
0502
河野 通直


3
2
2
4
3
3
5
4
4
6
5
5
(98)士気回復
(69)統率
(50)弱将奮起
(1479-1572)伊予の戦国大名。湯築城主。家臣の謀叛や他国
からの侵攻が相次ぎ、対策に苦慮した。娘婿・来島通康に家
督を譲ろうとするが家臣に反対され、内紛を招いた。
0503
妻鳥 光家


1
1
1
2
2
2
3
3
3
4
4
4
0504
宇都宮 清綱


1
1
1
2
2
1
3
3
2
4
4
3
(1478-1544)伊予の豪族。1532年頃、三男・房綱ととも
に萩森城を築き、居城とした。伊予宇都宮家は武茂景泰
(下野宇都宮家8代当主・貞綱の甥)を祖とするという。
0505
宇都宮 豊綱


2
1
1
3
2
2
4
3
3
5
4
4
(1506-1573)伊予の豪族。地蔵嶽城主。土佐一条家と結ん
だ。飛鳥城の戦いで西園寺公高を討つなど勢威を振るうが、
鳥坂峠合戦で河野・毛利連合軍に敗れ、以後衰退した。
0506
西園寺 実充


3
2
3
4
3
4
5
4
5
6
5
6
(1511-1570)伊予の豪族。黒瀬城主。宇都宮豊綱との戦いで
嫡子・公高を失い、甥・公広を養子に迎えた。文武に優れ、
上洛した際には三条公朝邸での和歌会に列席した。
0507
紀 経安


2
2
1
3
3
2
4
4
3
5
5
4
0508
本山 茂辰


4
2
2
5
3
3
6
4
4
7
5
5
(1525-1564)土佐の豪族。茂宗の子。長宗我部国親の娘を娶
る。のちに敵対し、長浜戸合戦で長宗我部軍に敗れて平野部
の拠点・土佐朝倉城を失い、凋落の一途をたどった。
0509
本山 清茂


6
3
2
7
4
3
8
5
4
9
6
5
(1507-1555)土佐の豪族。本山城主。嶺北地方一帯に加え南
方の平野部に支配圏を広げ、本山家最大の版図を築いた。
のちに子・茂辰に本山城を譲り、土佐朝倉城に移った。
0510
長宗我部 元親


3
8
7
4
9
8
5
10
9
11
11
10
(88)魅力
(72)一番槍
(47)僕、頑張る
(1539-1599)土佐の戦国大名。岡豊城主。国親の子。
剽悍の一領具足衆を率い、瞬く間に周辺諸国を制圧。10数
年で四国統一を成し遂げ「土佐の出来人」の異名をとった。
0511
吉田 孝頼


5
4
3
6
5
4
7
6
5
8
7
6
(1495-1569)長宗我部家臣。主君・国親の妹を娶る。知勇兼
備の将と評され、権謀術数を駆使する一方で、各地で戦功を
立て、国親の片腕として主家の勢力拡大に貢献した。
0512
吉田 重俊


7
6
5
8
7
6
9
8
7
10
9
8
(1500-1574)長宗我部家臣。孝頼の弟。安芸国虎との戦いの
際は、調略を用いて安芸家中を内部崩壊に導いた。知略に優
れた武将で、兄とともに主家の版図拡大に貢献した。
0513
福留 親政


8
4
1
9
5
2
10
6
3
11
7
4
(1528-1577)長宗我部家臣。安芸家との戦いで奮戦し「福留
の荒切り」の逸話を残す。主君・元親から受けた感状は21
枚という家中屈指の勇将。南伊予攻略戦で戦死した。
0514
久武 親信


7
3
4
8
4
5
9
5
6
10
6
7
(85)弓兵弱体
(82)陽動作戦
(99)全体回復
(1540-1579)長宗我部家臣。誠実で分別があり、元親から厚
い信頼を受けた。南伊予地方の攻略を任され、小豪族らとの
合戦を繰り返した。伊予岡本城を攻撃中に戦死した。
0515
久武 チカ


4
8
6
5
9
7
6
10
8
7
11
9
(87)虚報
(97)愚かな蔑み
(40)確実な弱体
(1546-1605)長宗我部家臣。策謀や讒言で多くの同僚を自害
に追い込み、主家滅亡の因を作った。兄・親信は主君・元親
に「弟は必ず主家に仇をなす」と語っていたという。
0516
大平 国興


1
1
1
1
1
1
2
1
1
3
2
2
0517
安芸 国虎


8
5
1
9
6
2
10
7
3
11
8
4
(1530~1569)「土佐七豪族」の一つとして、土佐東部に威
勢を張った。土佐統一に燃える長宗我部元親に攻められ、
家中から内応者が続出。国虎は自害し、安芸家は滅んだ。
0518
安芸 元盛


2
3
3
3
4
4
4
5
5
5
6
6
0519
一条 パウロ


2
1
4
3
1
5
4
1
6
5
1
7
(94)無気力
(74)弱体矢
(49)敵と会話
(1543-1585)土佐一条家4代当主。房基の子。日夜酒色にふ
ける生活を送ったため、家臣たちによって追放された。
のちに大友宗麟の後援で旧領回復を企てるが、失敗した。
0520
土居 宗珊


2
2
6
3
3
7
4
4
8
5
5
9
(1513-1572)土佐一条家臣。放蕩三昧の主君・兼定に対して
たびたび諫言を行うが、兼定の勘気を蒙り手討ちにされた。
これが家臣の離反を招き、兼定追放の一因となった。

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最終更新:2012年01月18日 01:40
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