著:2スレ目>>767殿
1
天正十年二月一日、以前から勝頼に反抗的だった木曾義昌が離反した事をきっかけに
ついに織田勢による本格的武田領侵攻が始まった。各地から攻め寄せる織田・徳川の
大軍に各地の武田勢は干戈を交える事もままならず切り崩されて行く。
小笠原信嶺、依田信蕃らは早々に降伏、武田信廉、保科正俊・正直らは戦意喪失し
唯一激しい抵抗を見せた仁科盛信の高遠城も全滅した。
そして親族衆の筆頭格たる穴山梅雪が徳川家康に内通、あまつさえ甲斐侵攻の道案内役
を買って出るに到り、勝頼はひとつの決断を迫られた。ここまで僅か一月余りの出来事である。
(`д´)勝頼「知っての通り、もはや現状では織田や徳川に抗する術は残っておらぬ。これからいかようにするべきか・・・。」
(・_ゝ・)昌幸「恐れながら申し上げます。」
(`д´)勝頼「昌幸か。なにか策があるのか。」
(・_ゝ・)昌幸「殿のおっしゃるように、現状で織田、徳川を打ち払う術は御座いませぬ。」
(・_ゝ・)昌幸「かと言って、このまま新府城に篭っていても滅亡は必至。」
(`д´)勝頼「ではいかがいたすのじゃ。」
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(・_ゝ・)昌幸「はっ、殿には新府城を捨て、某の守る岩櫃城へ移っていただきます。」
(`д´)勝頼「なんと甲斐を捨てよと申すのか!?」
(・_ゝ・)昌幸「はっ、新府城は今だ未完成の裸城、さらに梅雪が寝返ったとあれば甲斐にはもはや抗すべき地はございませぬ。
対して岩櫃城は天険の要害、少数の兵でもちょっとやそっとでは落ちますまい。さらに上野は上杉殿の領と接し
ておりますれば援軍も見込めます。また水面下で北条との和議も進めております。北条は今は織田と結び、
我等と敵対しているとは申せ、それは薄氷のもの。武田が滅べば次は自分達だということは、さすがの氏政も
承知のはず。こうして三国の盟約が成り、上野で力を蓄えれば、再び織田から甲斐を奪い返すこともできましょう。」
(`д´)勝頼「そこまで深謀を巡らせておるとは…さすが昌信が後継者と見込んだだけのことはある。よし、これより上野に…。」
(-@∀@)
小山田信茂「御屋形様、しばしお待ちくだされ!」
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(・_ゝ・)昌幸「左兵衛殿、某の具申に何か依存がお在りか。」
(-@∀@)小山田「いや、安房殿の申されるとおり新府城を放棄することに依存はござらん。
ただ、上野は遠路なればそちら直接向かうのはいかがでありましょうや。
途中織田の伏兵にでも遭ったらいかがいたします?ここは一度某の岩殿城へ
お入りになってはいかがかと。」
(・_ゝ・)昌幸「されど、ことは一刻を争うのですぞ!」
(-@∀@)小山田「聞けば上州は今だ雪深く行軍は困難とのこと。性急な行軍をなせば必ず多くの脱落者を出しまする。
兵が無ければ捲土重来を帰すこともまま成りますまい。」
(`д´)勝頼「うむ、信茂の申す事にも一理ある。では直接岩櫃城へは向かわず、岩殿城を経由して向かうこととする。」
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(・_ゝ・)昌幸「されど御屋形様…一刻も早く甲斐を離れねば・・・!」
(-@∀@)小山田「安房殿!見くびってもらっては困りますな!我等小山田一族は甲斐国人衆、地の利は熟知しておりまする。
織田・徳川が攻めてきてもしばらくは持ちこたえる自身があり申す。万一のことあらば某は果てようとも
御屋形様方だけは必ず上州までお送りいたしましょうぞ!」
(・_ゝ・)昌幸「・・・失礼いたした。そこまで申されるのならば左兵衛殿にお任せいたそう。」
(`д´)勝頼「うむ、では信茂は先に岩殿城へ戻り準備を進めてくれ。昌幸は岩淵城で引き続き北条との交渉を進めるのだ。」
(-@∀@)信茂「はっ!」
(・_ゝ・)昌幸「・・・はっ(あの左兵衛殿の自身のありよう、どうにも気にかかる・・・されどあそこまで見得を切られては強く抗する事もできぬし・・・いかにすべきか・・・。」
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こうして勝頼らは新府城に火をかけると岩殿城へと向かった。しかし昌幸の不安は現実のものとなる。
9日、岩殿城も目前という笹子峠において勝頼一行は織田勢の急襲を受ける。小山田信茂は既に織田に通じ
織田勢を呼び込んでいたのだった。勝頼一行は天目山へと逃れるがついに田野において織田軍に捕捉されるに到った。
(`д´)勝頼「最後の最後で再び道を誤るとは…。父上に申し訳が立たぬ。」
<丶´`A´`> 長坂「殿・・・もはやこれまでのようです。いま土屋や小宮山らが織田軍を食い止めております。今の内にお腹を召されますよう・・・。」
(`д´)勝頼「土屋に小宮山か。山県、馬場、内藤や高坂亡き後も武田には多くの才ある将がおった。だがわしは彼奴らを使いこなすことが
出来なんだ・・・。そしてこのような形で家を滅ぼすことになろうとは黄泉の父や武田の先人達に申し訳が立たぬ・・・。」
<丶´`A´`> 長坂「何をおっしゃられます、小宮山らを遠ざけたのは某の罪・・・、大殿や百姓上がり・・・いや修理殿がおっしゃられたように
某はやはり口先だけの奸物だったようです。黄泉で責められ八つ裂きにされるとすればこの某・・・
むしろ、御屋形様はあの状況でここまでよく耐えられたのです。負い目を感ぜずのです。」
(`д´)勝頼「・・・釣閑斎。」
<丶´`A´`> 長坂「では御屋形様方が迷われぬよう某は先にあちらへ参ります・・・御免。」
(`д´)勝頼「うむ、さらばだ・・・。」
<丶´`A´`> 長坂「・・・行かれたか。やはり某には何処へ行っても汚れ役が一番合っている様だ・・・。たとへ地獄の鬼の責め苦でも某が全て引き受けて見せるわ。」
こうして勝頼、信勝父子は自害、戦国大名としての武田一族は滅びた。
長坂釣閑斎、土屋昌恒、小宮山晴友らもことごとくそれに殉じた。
おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは
勝頼辞世の句である。
最終更新:2009年12月15日 17:58