260 :五年後にて ◆dJsTzPZ4UE:2007/11/02(金) 22:20:04
……わからなかった。
一人救えば、もう一人を。
五人、十人、百人と、そうして視界に映る人が増えていった。
その誰もが、誰かの子供で、誰かが待っている人で、誰かを愛している人で――
仕方がないのだと自分に言い聞かせて、ある男を刃で貫いた。
そうすることで、多くを救えた。
そうして繰り返した。
全てを救おうとしても、それでも誰かを切り捨てなければ立ち行かない。
何度となく、その事実を拒否して意地を張り続けた。
けれど。
……犠牲は少ない方がいい。
決して全ては救えないのだと、いつしか現実を受け入れた。
十を助けるために一を殺す。
いつか自分が否定したその姿が、どうしようもなく最善の手段だと。
確かに見捨てたものより多くを救えたかもしれない。
そして、奪った命の重さを、俺は微塵も背負っていなかった。
生き残ってしまった重さも、救えなかった重さも、失われたものの重さも知っている。
だから、“奪うことの重さ”も知っているのだと勘違いしたまま、命を見捨てた。
救った成果で、洗い流せると信じ込んだ。
憧れたものに、俺のしてきた事を押し付けた。
それが正しいとは思えない。
だけど。
我が子を失って嘆く母。
故郷に残した者の名を呼びながら、死んでいく男。
物言わぬ同胞を前にして、虚ろな目で動かない子供。
そんな――当たり前の人の死すら、迎えられなかった人たち。
もう、そんな姿を見たくなかった。
歪で間違った在り方なのは解ってる。
誰が責めなくとも、自分が気づいてしまえば、そのまま在り続けることは困難だ。
それでも――動くことでしか、現実は変えられない。
俺が思い悩んでも、それだけじゃあ何も変わらない。
そもそも世界の全てを救うことなど、出来はしないことなのだ。
手を伸ばせば届くものがあるのなら、それは充分過ぎることじゃないのか――?
悲しむ者を救えなくても、悲しみそれ自体を減らすことが出来るのに、それを――諦めるのか?
自身の歪さを理解しながら、まだ俺はもがいている。
この体が、蹲ろうとする心を拒んでいる。
何故かはわからなかった。
でも………まだ、動けるのなら――俺は。
:::::愛するものの窮状・トラ:::::
――さて。努力次第で先送りぐらいは出来そうだが。
この衛宮士郎が、その言葉を覚えているのかは判らない。
――自己の運命というものは、自分の努力だけでは変えられないそうだ。
あるとしても、それはきっと僅かな既視感なのだろう――
眠れなかった。
とめどなく湧き出る思考に、眠気が押しやられていた。
考えるだけ無駄なことだというのはわかっている。
けれど、どうやれば栓が閉まるのかがわからなかった。
それを振り払うため、中庭に出た。
剣を手に、暗闇の中で必死で体を動かした。
冬の夜に冷やされて固まっていた体は、すぐにほぐれて熱を帯びた。
繰り出すのは二刀。
試行錯誤の末に辿り着いた戦闘技術。
長剣と短剣を組み合わせ、敵の長所を殺すのだ。
己が絶対の一を以って、相対する絶対の一を打ち破ることこそ王道である。
だが、俺に必要なのは誇りではなく結果だ。
如何に体を使い、どれだけの結果を得ることが出来るのか。
そのことだけに集中し、余計な考えを削ぎとっていく。
――悪だろうがなんだろうが、構ったことじゃない。
この生き方が間違っているのなら、俺の命を差し出すだけのこと。
でも、今はまだ体が動く。
まだ体が動くんだから、まだ救える。
それで、いいんだ。
押し出した吐息とともに、剣が空を切る。
俺の胸から吐き出された呼気は白い靄(もや)を生じ、そしてすぐに消えていく。
そうして再び剣を振るったとき、不意に灯りが俺を照らした。
「――あ、いた。
部屋に居ないから、どこかに行ったのかと思っちゃった」
俺は、灯りとともに現れた藤ねえに向き直った。
咄嗟に消した剣は、幸いにも藤ねえの目に入らなかったらしい。
「はい、これ士郎の上着」
「お、サンキュー」
「うう、寒い。こんなとこで何してたの?」
「ちょっと眠れなかったから、体を動かしてたとこだ。
藤ねえこそ、一体どうしたんだ?」
「ふふふ……。じゃーん!」
問われて藤ねえは、無邪気な笑みで手に持ったものを見せ付ける。
それは水を張ったバケツと――
「――花火?」
「そうよー。
士郎は明日には戻っちゃうんでしょ?
なら、今夜しかやる機会がないじゃない」
「…ちょっと待った。
こんな季節の、こんな時間に花火か?」
「うん。
昨日、ちゃんと約束したでしょ、とっておきのもので遊ぶって」
「あー……言ったな、確かに」
だが、中身が花火などという夏の風物詩だとは予想しなかった。
不味いことに、中庭は掃除済みである。
ちょっとやそっとの火遊びで、ボヤを出すことはあるまい。
つまり、花火を楽しめる環境は出来上がってしまっているのだ。
「……まあ、いいけどさ。
その花火、火薬が湿気ってたりしないだろうな?」
「多分、大丈夫。
組(うち)の人が、このあいだ作ったやつだから」
手作りか。
お手製の花火と聞いては、心情的にも止める理由がない。
滅多に触れられないものだし…近所迷惑にならない小さな花火なら、いいかな?
「わかった。派手じゃないヤツならやろう。
けど、けっこう遅いんだから、あんまりはしゃぐなよ」
「んー、そうするとロケット花火とかはダメ?」
「ダメだ。
そのかんしゃく玉みたいのもダメ」
「じゃあ、これは?
火を点けると、高さ5メートルまで吹き上がってベンガルトラが浮かび上がるの。
ガオーって、吼える声まで付いて――」
「却下」
「……うー。
それじゃあ、線香花火しか残らないわよぅ」
「仕方がないだろ。時と場合ってものを考えてくれ」
不満そうに手をじたばたさせる藤ねえから、種々の花火を受け取ってチェックする。
どう見ても打ち上げ式のものや、さらにはドクロマーク付きのものまである。
好奇心が湧かないでもないが、今ここで楽しむのは難しそうなものばかりだ。
結果、藤ねえの言うとおり、残ったのは線香花火だけだった。
「せっかく、色々あったのに……」
「はいはい。
とにかく、今やるのは無理だから諦めろ」
藤ねえに線香花火を持たせて、火を点ける。
萎れていた藤ねえだったが、ささやかな灯りを見て、花開くように表情が綻んでいった。
「……うん、これもきれいでいいかな」
藤ねえの意見には全面的に賛成だ。
工場製のものは鮮やかで見栄えがいい。
翻って、手製のものは目に派手な華々しさに欠ける代わりに、たおやかな繊細さがある。
均一でなく、ズレがあるからこその個性だ。
「ほら、士郎も早く点けて」
「ん、わかった」
藤ねえの花火から火をもらって、俺の花火もぱちぱちと音をたて始めた。
綺麗だった。
たとえば、月夜に照らされる夜の自然も中々に風情がある。
ビル街の灯りが作り上げる夜景は、華々しく鮮烈だ。
けれど、暗闇の中で静かに頼りなく光を放つ線香花火は、まるで違う美しさがある。
弱々しくとも、自身の中にある火薬(ねんりょう)により輝くそれは、夜に儚く浮かび上がっていた。
けれど、楽しい時間はすぐに終わる。
十本はあっただろう線香花火は、あっという間に無くなっていた。
お楽しみが終われば、あとは片付けだ。
だが、藤ねえは件の花火を恨めしそうに見つめている。
未だに未練が消えないのか、それを手にして悶々と唸っていた。
「……これもやりたいなー」
「…そんなにやりたかったのか?」
「だって、これ、わたしが頼んで作ってもらったのよ。
これっきりしかないの」
なるほど。
市販の花火にベンガルトラのものは、確かにあると思えないな。
というよりも、花火で再現可能なのか?
「なんだってまた…ってトラ、か」
「そう! ベンガルトラを危機から救わんと、手始めとして作ったものなのです。
絶滅に瀕する彼奴らの苦境を知ってもらうため、啓蒙のためにこれが必要なの」
「……へえ」
「いい? トラは勿論大事だけど、トラに限った話じゃないのよ?
トラとは大自然の一部なり。
されば、これは人間と自然が上手くやっていくことにも繋がるのである」
「……あ、そう」
「ええいっ、この唐変木!
しっかり話を聞けぃ!」
「わ、わかったよ。
だから、あんまり大声出さないでくれ。近所迷惑だ」
藤ねえが俺の首根っこを掴んで引っ張り回す。
仕方がなく、俺はバケツとダンボールを置いて、藤ねえに向き直った。
それで一応は納得したのか、藤ねえは上官さながらにふんぞり返って話を再開した。
「うむ、よろしい。
では、しっかりと耳を開けて聞くように」
「わかった」
心持ちでは正座して、藤ねえの話に耳を傾けた。
無論、耳の穴を閉じてはいない。
「わたしたちは、資源無しでは生きていけない。
けれど、いつまでも自分たちの周りから資源が湧いて出ると思う?」
「まあ、それはないだろうな」
「うん。じゃあ、士郎はどうするべきだと思う?」
軍人っぽさは消えて、まるで教師のような面持ちで話す藤ねえ。
いや、教師だけど。
「…使う量を減らすとか、効率をよくするとか。
そんぐらいしか思いつかない」
「それも一つの方法ね。
石油とか石炭とか、時間がかかるものはそれぐらいしか方法がないかも。
そうねー。食べ物なら、どう考える?」
「そうだな。
栽培とか養殖とか、育てるのが一番なんじゃないかな」
「ふむふむ。
なら、もう一つ訊くけど…そうやって育てるのに必要なのは何かしら?」
「んー…諦めないで続ける努力、かな」
「いいえ、努力するのは大前提。
何でもそうだけど、問題は努力の仕方。
例えば、魚が育たないからって滝に打たれても仕方がないでしょ?」
「……そりゃあ、そうだ」
必要なのは、その状況に合った行動だ。
その場合なら、魚が育たない原因を探して、取り除かないといけないわけだ。
「だから、大事なのは知ろうとすること。
知らないと守れないし、知ろうとすることで、自分を支えてくれるものが何なのかわかる。
それを知って、育てて、守ることは大事なことなのよ。
行き当たりばったりで壊し尽くしちゃってたら、すぐにしわ寄せが自分に来ちゃうんだから」
藤ねえは指を一本、ぴんと立てて言った。
道理である。
欲望の赴くままに刈り取ってしまうと、次に続くはずの種や芽まで失ってしまう。
一つでも多くを次に繋げてゆかねばいけないのだ。
「なるほど。
それで、まずはその花火でベンガルトラを知ってもらおうってことか」
「うむ。その通り」
「でも、そんなに上手くいかないと思うけどな」
「むむ、軟弱者め。
成功しなくたって、大事なことなのよ?
ベンガルトラを絶滅から救いたいのは、わたし自身の中にある想いだもん。
無駄になっちゃったって、そういうのを軽く見たらいけないのよ」
「いや、そうじゃなくてさ。
普通のヤツはベンガルトラと他のトラ――区別つかないぞ?」
「………あ!」
藤ねえが雷にでも打たれたかのように硬直した。
正に青天の霹靂。
もしかしなくても、そんなことを一考だにしていなかったのかもしれない。
「…い、いいもん。
大事なのは、まず気持ち。結果も大事だけど、一番は気持ち。
それに、危ないのはベンガルトラだけじゃないし、他のトラと誤解されても大丈夫だもん」
先生モードから、途端に子供モードに移行して半ベソをかく藤ねえ。
この落差は毎度ながらすごいと思う。
一体、何で出来てるんだろうか。
「まあ、その花火はともかく。
ベンガルトラを助けたいなら、そういう団体に寄付でもしたらどうだ?」
「ふん、寄付ならしてるわよーだ。
士郎たちが居なくなってから遊ぶ相手もいなくなっちゃって、お小遣いが余ってたし。
花火を作ってもらったのも暇だったからだし」
「小遣い……ってのは置いておこう。
じゃあ、アイデアを持ち込むとかどうだ? ――花火はともかく」
「そうね。その辺も考えてみようかな……花火も含めて」
「なあ……紳士協定を結ぼうか。
お互いに、花火の話はここまでってことで一つ」
「むぅ。そうすると、やはり続く話題は士郎のことですな。
考えてみると――士郎は遠坂さんと喧嘩して、この先どうするつもりなのかしら?
今までは遠坂さんも付いてたから士郎に任せてたけど、こうなるとやっぱり不安だわ」
「――う、そうきたか」
うーむ。
遠坂にくっついていって、向こうで学んでくるってことになってたからなあ。
魔術のことを伏せておくのは当然として、その辺りはどう話したものか。
最終更新:2008年01月17日 17:57