852 :五年後にて ◆dJsTzPZ4UE:2007/12/02(日) 22:00:55
…そうだな。
これが最後の機会になるのかもしれない。
騙すことなく話しておくべきだ。
藤ねえが居てくれたおかげで、俺は切嗣が居なくなってもやってこれたんだ。
なのに、この人に俺自身を偽ったままで別れるのは卑怯だろう。
勿論、全てを話すことは出来ない。
魔術のことを話せば、藤ねえを危険に晒すかもしれないからだ。
けれど……俺自身の想いは伝えておくべきだ。
「――なあ、俺が子供のころの作文、覚えてるか?」
大きく息を吸って、俺は話を始めた。
「作文?
『正義の味方になるのが夢です』って書いてた?」
「そう、それだ。
その…今でも俺の根っこはそこにあるんだよ」
「――つまり“正義の味方”になるのが目標?」
「まあ…そういうことだけど」
「うーん。
それで、士郎は具体的には何をしたいのかしら?
“正義の味方”って言っても、色々あるでしょ。
ほら、警察官でも弁護士でも特撮ヒーローでも」
「…最後のは違うだろ」
「ううん、違わないわよ。
子供たちはああいうのを見て育つんだから。
大事なことを子供たちに教えるのだって、立派な“正義の味方”よ」
む。確かにそういう考え方もありなのか。
今まで着ぐるみの中で怪獣と戦う自分は想像したことがなかったが。
「まあ、それは置いておいて。
…士郎がしたいことは何なの?
はっきりしたものじゃなくて、漠然としててもいいから」
「あー、ほら。…世界中で殺し合いが起きてるだろ?
ニュース見てるだけでも嫌になるぐらい目に入ってくる。
それが、日本に居るだけじゃ見えないものも、向こうでは沢山見えてきたんだ。
逆に、向こうじゃ見えないものがあるのも気がついた。
それで……そういうので犠牲になる人を、出来るだけ助けたいんだ。
別にその全部を無くすとか止めるっていうんじゃなくてもいい。
ただ――少しでも多く助かって欲しくってさ」
「……ふうん、士郎らしい。
したいことはよくわかったけど。
でも、さっき士郎が言ったみたいに方法はいっぱいあるわよ?
士郎はどういうことをするか、もう決めてるの?」
「……出来れば、現地に行って何かしたいと思ってる。
募金だって物を送るのだって意味があるのは判ってるけど、俺は自分の手で助けに行きたい」
「なるほどねえ………はあ」
藤ねえはやおら息を吐いて、目頭を押さえた。
感極まって、ではなく疲労感からする仕草だ。
「…なんだよ、そのため息は」
「あ、ごめん。
……やっぱり士郎は我慢できなくなっちゃったんだなあって。
そう思ったら、つい、ね」
「我慢……?」
「そう。
困っている人を助けずにはいられない。
誰かが悲しんでるのが、士郎には我慢できない。
昔からそうだったもの。
それが簡単に変わるわけないわよねえ」
苦笑いを浮かべて、藤ねえは言った。
――誰かが悲しんでいるのが、我慢できない。
人々にもっと幸あれと、扉を叩き続けるのが衛宮士郎の在り方だ。
はっきりとはしないが、そんなことを、いつか聞いた気がしている。
何処で誰に言われたのか、もう思い出せない。
…きっとソイツは我慢できるヤツで、俺は我慢できないヤツだったのだろう。
そして藤ねえの言うとおり、それは容易く変わるものではない。
「…藤ねえは反対なのか?」
「むーん、難しいところね。
危ないトコロに自分から行くってことだもの。
不安に思う気持ちはあるわ」
でも、と言葉を切って、藤ねえは空を仰いだ。
「…ねえ。
切嗣さんがどこに行くのか、わたしは一度も教えてもらえなかったの。
士郎は教えてもらった?」
「え? いや、どうかな。
お土産でどの辺か判ることはあっても、聞いたことはなかったと思う。
けど……なんで、今そういう話なんだ?」
「んー、切嗣さんの真似をしたら駄目なんだからねーっていう話。
行き先といつ帰るのかぐらいは、ちゃんと言っていくのよ?
切嗣さんと士郎は違うんだから。
士郎はたっくさんの人にまだ恩返しが済んでないんだから。
だから―――そのぐらいはしなきゃダメよ?」
「……わかった」
「――よしよし。
なら、一応は安心ね」
肩に力が入ってるこっちが拍子抜けするぐらい力強く笑う藤ねえ。
………えーと、つまりこれで話は終わりなんだろうか?
「あのさ…。
それだけでいいのか?
自分で言うのも何だけど、俺のしたいことって結構普通じゃないと思うんだが…」
「む、士郎はもっと反対して欲しいの?」
「いや、そういういわけじゃなくて。
単に……もっと色々言われるかと思ってた」
「そうねー、じゃあもうちょっと言っときましょうか。
『生水飲むな』、『旅先で女性にちょっかいかけるなかれ!』、『トラと仲良く』。
えーと、あと何かあるかな……」
「……いいよ、別に。無理には言ってくれなくても」
「あー、そうそう。
あと大事なのが二つあるわね。
『士郎は士郎として頑張ること』。
どうやったって自分以外にはなれないんだから、士郎は士郎なりでいいのよ?」
「あ――ああ、わかった」
「ふふーん。どう? 結構深い言葉でしょ?
わたしだって伊達に教師をやってないんだから」
腰に手を当て、胸を張る藤ねえ。
賢者っぽいことを言ったと思ったら、次の瞬間にはこれである。
自分以外にはなれない、という言葉を確かに体現している人だ。
「…うん、正直ちょっと驚いた」
「やっぱり?
士郎ったら仏頂だから、はっきり判るとお姉ちゃんも嬉しいわー」
「まあ、驚いたけど――で、あと一つは?」
「………可愛くなくなっちゃったなあ、本当に」
「いつと比べての話だよ。
俺は十ぐらいから、こんなもんだと思うぞ」
「うん、そのぐらいまでは可愛かったの。
それがいつからか、ぶっきらぼうで捻くれちゃって…って、まあいっか」
ピシッと、藤ねえは立てた指を俺の前に突き出した。
「それでは、お姉ちゃんの最後のアドバイスよ。
一個目とも通じる話だけど…いい?
『自分を大事に』するのよ?
士郎の中には士郎に関わった人が息づいてるんだから。
…だから、自分を大事にしなさいね」
そう言った藤ねえの顔には憂いの色が帯びていた。
…話はそれで終わった。
俺が首肯し、藤ねえも頷き返し、俺たちはそれぞれの部屋に戻った。
特別なことがあったわけではない。
家族に自分の進路を相談して、助言を受けた。
それだけのことだ。
:::::終着前の休憩所:::::
土蔵で寝たのは久しぶりだった。
穂群原学園を卒業して倫敦へ発って、それ以来初めてということになるだろうか。
数年間放置された土蔵は以前と違い、土ぼこりだらけだった。
当然、そこで眠った俺は全身が黒ずくめとなってしまった。
冷静に考えれば、大人しく部屋で寝ているべきだったかもしれない。
けれど、はっきりとした理由もないけれど、最後はあそこで眠りたかった。
だから夜に抜け出して、あそこに潜り込んだのだ。
…あそこは俺の部屋だった。
切嗣に禁じられていたにも関わらず、あそこに入り浸ったのは単純にガラクタが好きだったからだ。
ガラクタを弄り回すのも、ガラクタで囲まれている空間で過ごすのも性にあっていた。
…俺にとって一番特別な場所。
俺を形作っていったのは、あの土蔵でだった。
そして、彼女と出会ったのも。
――何故、あそこに魔法陣があったのかは知らない。
親父が残したものなのか、それより前からあったのか。
けれど、あの陣には感謝しても感謝しきれない。
文字通りに俺の命を救って――誰よりも特別な相手と出会わせてくれたのだから。
「…とはいえ、やっぱりまずかったか」
洗った服を干しながら、自分の無茶を反省した。
真っ黒だった服は本来の色を取り戻し、風にその身を揺らしている。
幸いにも、今日はよく晴れて風もあるが、洗濯物が乾くまでに正午は回るに違いない。
予約した便に間に合うかどうかは、正直なところ賭けだろう。
半乾きで諦めるという選択肢もないではないが、どうもそういう気にはなれなかった。
ネコさんが午後には訪ねて来るらしい、というのもその理由の一つだ。
車で駅まで送ってくれるというし、せっかくなので好意に甘えるつもりなのであった。
「―――そういうことで。
俺はのんびりすることに決めたけど、藤ねえは学校に行かなくていいのか?」
縁側で二人並んで爺臭く茶を飲みながら、俺は訊いた。
心地のいい冬の陽気に、藤ねえは背中を丸めて足を投げ出していた。
「ん? なんで?」
「いや、なんでも何も…今日は月曜だろ」
「でも、祝日でしょ」
「…そうだっけ?」
「そうよ。皆が楽しみにしてた、嬉し恥ずかし臨時休業なんだから」
「何が恥ずかしいのか知らんが……そっか。
最近、カレンダーなんて見なかったからなー」
「…んー、そうなんだ」
「うん、そうなんだよなー」
藤ねえがずず、と音をたてて茶を啜る。
本日は快晴、雲はゆったりと空高く流れていく。
陽射しはぽかぽかと肌に暖かい。
ふやけるのには最適なお日さま模様だ。
「……」
「…………」
「……………ねえ、士郎は暇なのよね?」
「………まあ、そうとも言えるな。
今日は何かするつもりもないし」
「じゃあさー、どう?
久しぶりにコッチの方は?」
藤ねえはそう言って、縦に雑巾を絞るような手つきを見せる。
どうやら、『ちょっと可愛がってやろうかい』ということらしい。
道場は掃除してあるし、道具…はたぶん大丈夫だろう。
最終更新:2008年01月17日 17:59