32 :五年後にて ◆dJsTzPZ4UE:2007/12/11(火) 22:35:30


 …やっぱり普通の竹刀を投影しよう。
 今までの積み重ねを放棄して結果を得ても、それは俺の勝ちじゃない気がする。
 これでも二刀流の修練は積んできたし、さっきよりはいい勝負が出来る筈だ。
 藤ねえの剣筋だって、相当数を見ているんだし予想も出来るに違いない。

「――よし」

 目を瞑って竹刀をイメージする。
 ガキの頃の切嗣とのチャンバラから、アイツとの稽古まで。
 俺は何度となく竹刀を見て、触っている。
 その記憶を揺り起こし、カタチを明確にしていく。
 目を開くと、手には正真正銘の竹刀が握られていた。

「あれ? 短いのなんてあったんだ」

 体を冷やさないためだったのだろう。
 道場に戻ると、藤ねえは軽く素振りをしているところだった。
 俺の手にある竹刀を見ると、目を丸くして驚いた。

「おう。倉庫に転がってた。
 つーことで、二刀でいいか?」
「…いいけど。
 でも、二刀流って素人さんが考えるより大変よ?」
「む、たぶん大丈夫だ」
「ふーん。
 じゃあ、もう一本いきましょうか」

 一礼して、向かい合って竹刀を構えた。

 …呼吸一つの間に、藤ねえの顔が険しくなっていくのがはっきりと見て取れた。
 思いつきで両手に剣を持ったのではないと理解したらしい。
 望むところだった。
 藤ねえがやる気な程、こっちも闘志が湧いてくる。

 構えてから数秒で試合は動いた。
 今度は打って変わって、口火を切ったのは藤ねえだった。
 俺の呼吸が切り替わる瞬間、藤ねえの打ち込みが電火の如く飛んだのだ。
 剣筋はどうにか見えていた。
 だが呼吸の分、僅かに反応が遅れた。
 左の脇差では遠い。
 右の竹刀でかろうじて受ける。

「……ッ」

 初手から守りを崩されていた。
 それもその筈だ。
 俺が打ち込もうとしたタイミングを読まれたのだ。

 藤ねえを強引に押し離し、間合いから逃れる。
 立て直す時間が欲しかった。
 詰める藤ねえに、苦し紛れに右手を振るう。
 見切っていたのか、藤ねえは僅かに減速するだけでそれをやりすごす。
 続く、三度の打ち込みは胴へ。
 それを左の脇差で弾き、俺はようやく藤ねえの間合いから逃れた。

「…っふぅ」

 藤ねえの前進が止まったのを見て、肺から空気を搾り出した。
 今の攻防からの修正を構えに施す。
 具体的に言えば、さらに守備的にシフトした。
 藤ねえは本気だ。
 というより、なんか俺を叩きのめしに来てる気がする。
 ……何だって急に怒り出したんだろう?

 とはいえ、理由を聞いている暇はなかった。
 呼吸を整え終える間もなく、藤ねえが打ち込んできたのだ。
 気迫はすさまじく、一撃一撃がまるで空気を裂くようにして襲い掛かってくる。

 隙を見せなければ、いずれ藤ねえが隙を見せる。
 そう考えてただ守勢に甘んじていた。
 が、予想よりも早く機会は訪れた。
 それは藤ねえの癖なのか。
 打ち込む寸前に右脇が緩くなっているのに気がついた。
 俺は狙い澄まして、打ち込もうと竹刀を動かし――
 ――まずい、と思ったときには遅かった。
 内側からの打ち込みで、右手の竹刀が吹き飛ばされた。
 退く間はない。
 止めとばかりに藤ねえの竹刀が唸った。

 やられたと思った。
 だが…時が止まる、という表現がある。
 それを体感したのは初めてだったかもしれない。
 どう動くのか、どう動くべきか。
 それを一瞬に理解した。
 縦の打ち込みを右で受け、半身で藤ねえの喉元へと脇差を突き付ける。
 そう思い描き、その通りに現実が動いていた。

 ――汗が頬を伝って落ちていく。

「―――どうだ」

 会心の出来に、俺は口の端を上げた。

 だが、藤ねえは半目で俺を見ていた。
 これから食べられる哀れなお魚さんを見るみたいな目だった。
 俺はそれが気に食わなかった。

「なんだよ、俺の勝ちだろ?」
「…竹刀。
 竹刀を落としたら反則負けだから」

 藤ねえが目で指す先には、俺の投影した竹刀が転がっていた。
 一瞬、証拠隠滅も考えたが、その方が問題が厄介になりそうだった。
 ……うーむ。
 『UFOだ!』とか言って、その間に消せばバレなかったりしないだろうか。

「………いや、その、コホン。
 でもさ。藤ねえだって、その後に打ち込もうしたじゃないか」
「……いや、ほら…オホン。
 …ちょっとね、ムキになっちゃったのよね」
「なら、いいじゃないか」
「でも、どっちにしろ士郎の負け。
 わたしの小手がもう入ってたし」

 そう言って、トントンと竹刀で俺の右手を叩く。
 ……そりゃそうなのだ。
 右手の竹刀は落としてたんだから、右は素手なのである。
 藤ねえの打ち込みは綺麗に俺の右小手を捉えていたのだ。

「……くそ。じゃあ、もう一本だ」
「やだ」

 藤ねえは再試合の申し込みをにべもなく却下し、そのままスタスタと去っていく。

「む、ちょっと待った、藤ねえ。
 勝ち逃げはズルいぞ。
 絶対にまだ止めないからな」
「やらないったらやらない。
 これ以上やってると、本気で士郎の頭に打ち込んじゃいそう」
「あー……さっきのは本気じゃないのか?」
「うん。
 小手に打った倍くらい強く入れていい?」

 俺は自分の右手を見やった。
 興奮状態で気付かなかったが、バカみたいなミミズ腫れだった。
 おまけにどんどん痛くなってきている。
 この状況での答えなんて決まっていた。

「…腹が減ってきたな。
 そろそろネコさんも来るだろうし、もう止めとこう」

 誰だってこう答えたと思う。

 ::::::ラストステージ::::::

 ネコさんが来たのは、遅めの昼食のすぐ後だった。
 久しぶりの再会を喜び、俺の身長と肌のことを話し、親父さんの具合を聞いたりした。
 その後、駅までネコさんの車で送ってもらうこととなり、俺はその後部座席で酒瓶と一緒にカタカタ揺れていた。
 前にはネコさんと藤ねえが座っている。
 余談だが、この二人はまるで老けた気がしない。

 藤ねえは未だに怒っているらしく、普段よりも喋らなかった。
 なんで怒っているのかを訊きたかったが、期せずしてネコさんとの話が弾んでしまった。
 俺はネコさんに、倫敦に住む秋葉原が好きな講師の話をした。
 その人は酒を飲めるのかと訊かれたので、遠回りに人類屈指の弱さだと答えた。

「――で、藤村。
 アンタは一体何なん?」

 冬木大橋で渋滞につかまったところで、ネコさんは切り出した。
 大胆な話の始め方だった。
 やはり二人は友人なのだ。
 ネコさんが上手く聞き出してくれることを、俺は期待した。

「何…って何がよ?」
「何もソレも、変でしょ。
 アンタがこんなに黙っていられるワケないじゃない」
「別にそんなことないわよ」
「…ほら、変じゃない。
 何かあったん、エミヤん?」
「いや、その。
 俺もよくわからないんですけど」

 …たぶん試合のことで怒ってるんだろうけど。
 でも、怒らすようなことをした覚えがないんだよなあ。

「多分、藤ねえは――」
「ほら、聞いてんの、アンタ!?」
「聞いてるわよ、うるさいなー、オトコはー」
「あー!!
 その呼び方はするなって言ってあるでしょうー!?」
「えーと、だからですね――」
「信じられない!
 今度したら、藤村秘話をエミヤんにするって約束した筈ですよねー!?」
「なによー!
 ちょっと間違っただけなのにー!」

 俺はなんだか悲しくなって、話に加わるのを止めた。
 ネコさんと藤ねえは押し問答を始め、俺は所在無く窓の外を眺めることにした。
 冬の陽は短い、ああ無情。
 痛む右手をさすりながら河と先に広がる海、そして数色に染まった空を見ていた。
 夕日の一歩手前の空に、鳥たちが一斉に飛び立っていく。
 それが―――

「なんだよ、これ――?」

 ――強烈な違和感を、俺にもたらしていた。

 俺は本能的に魔術回路を開いた。
 幾らなんでもタイミングが揃い過ぎだった。
 種々の鳥たちが全て飛び立っている。
 そういえば、横にある酒瓶の震え方が僅かに変わった気がする。
 気のせいかもしれない。
 むしろ気のせいであって欲しいと願った。

 だが次の瞬間、ぎしりという嫌な音が鼓膜を打った。
 それは、本来なら聞き逃してしまう些細な、けれど決定的に異質な響きだった。


 1:車外に飛び出す。
 2:二人に異変を告げる。
 3:酒瓶をダースで抱えて河に飛び込む。

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最終更新:2008年01月17日 18:05