115 :五年後にて ◆dJsTzPZ4UE:2007/12/17(月) 00:49:25
異変を受け、脳裏に浮かんだのは襲撃の可能性だった。
俺の『活動』の内容は魔術協会にも聖堂教会にも、衛宮士郎を狙うのに充分な理由だ。
どちらかが刺客を派遣した可能性は否定できない。
確かに人の目を惹く場所での襲撃は考え難い。
だが、それも無いとは言い切れない。
付け加えれば、これまで戦ってきた魔術師からの報復の線もあり得た。
戦地で敵に回した者たちの復讐ということも視野に入れておかねばならない。
今、どれが起ころうとしているのかは判らない。
だが何れにしろ、このままでは二人や周囲の人間を巻き込んでしまう。
それだけは、避けねばならなかった。
「藤ねえ、ネコさん。聞いてくれ」
「…エミヤん?」
言い合う二人の間に割り込んだ。
ネコさんが怪訝そうに、俺の顔を覗き込む。
この異常が俺を標的にしているのなら、二人を見逃す可能性は低くない。
俺が車内に残れば、座して待つ目標だけに集中する筈だ。
二人にはここから、出来れば自主的に離れて欲しい。
だが…俺がついた嘘なんて、この人たちはすぐに判ってしまうだろう。
下手な嘘で話をこじらせるよりも、とにかくここから離れてもらうしかなかった。
「……これから変なことを言うかもしれないけど、信用して下さい」
「え、何なの?」
「何も訊かないで、お願いします。
今すぐに車を降りて、橋から離れて下さい」
「え…そんなことを急に言われても」
「―――士郎、理由を話して」
藤ねえの目が、真っ直ぐに俺を射抜いた。
その瞳には強い光が灯っている。
いつもの穏やかな灯りではなく、芯のある鋭い輝きだった。
俺は一瞬だけ怯み、腹に力を込めて藤ねえの目を正面から受け止めた。
「――頼む、藤ねえ。
時間がないんだ」
…信じてもらうしかなかった。
橋上に逃げ場はない。
襲う側にとっては実に都合のいい場所だ。
故に俺が逃げ出せば、刺客は橋の上で勝負をつけようとするだろう。
その場合――恐らくは、周囲への被害をやむなしとして。
銃での狙撃ならまだしも、敵は魔術を使う可能性が高い。
『暗殺』などという生易しい展開にはならない。
だから、ここに俺だけが残るのが最上だった。
敵も事を大きくはしたくない筈だ。
俺さえ動かなければ、この車だけに攻撃を仕掛けるだろう。
動き回るよりも、周囲へのリスクは抑えられるに違いなかった。
だが藤ねえは折れそうにはなかった。
無闇に時をかけるだけ、藤ねえの意志は堅牢となるだろう。
そして、危険は増す。
……全てを、話すしかないのか。
俺は喉から禁忌を声にしようとして。
だがそれよりも早く、冬木大橋は悲鳴を上げた。
::::::There is no stop.::::::
一度、橋が揺れた。
風や地震ではない。
この橋が、それ自体が今、揺れたのだ。
「なに? 今の揺れ。
地震にしてはちょっと変だったけど…」
藤ねえとネコさんは外を見回した。
周りの車内でも同様に、皆が漠然とした不安から顔を除かせている。
俺の魔術回路には何の反応もなかった。
魔術の痕跡は何処にも見当たらない。
爆破の衝撃もなかった。
振動が伝わったのではない。
“――この橋、まだ大丈夫なのか……?”
全身から、血が引いていくのを感じた。
僅か数日前に抱いた疑念が、現実のものとなろうとしている。
――この橋が崩れる。
原因が何なのかはわからない。
けれど、この橋は崩れる。
…数年前に戦地で崩れ落ちた橋を知っている。
あのときの感触とあまりに似通っている。
一つの支えが崩れ、それが連鎖を引き起こした。
そして、全てが崩れ落ちたのだ。
万全ならば全てが崩壊することなどない筈だった。
一つが歪もうと、そんな惨事は起きない設計だった。
けれど生じたのは、生存者がいることが異常に思えるほどの惨劇だったのだ。
これは、人の悪意がもたらす破壊ではない。
誰を殺そうとするものでもない。
ただ命を奪っていく『災害』だ。
俺の手では――決して止められない。
「……藤ねえ、ネコさん。
二人とも、早く車から出てくれ。
周りの人にも言ってくれ、この橋から早く逃げろって」
「え?」
声が上ずっていた。
体も震えているのか、手が落ち着かなかった。
必死で奥歯を噛み締め、声を絞りだした。
「もう一度揺れたら、きっとパニックになる。
だから、早く――!」
それだけを言い残して、俺は車外へと飛び出した。
目指すは、橋のすぐ脇にある歩道橋。
渋滞は不幸にも、あるいは幸いにも車の動きを止めている。
俺は一息に駆け抜け、歩道橋へと飛び降りた。
飛び降りざまに目の端で二人が車外から出たのを捉えて、安堵と焦燥が心に浮かぶ。
歩道橋への着地。
脳裏に設計図を復元。
一度は考えた冬木大橋の補強ポイント、それをどうにか脳から引きずり出した。
これから起こるだろう災害は、俺の手では止められない。
だが、その足を遅くすることは出来るかもしれない。
不都合のない連鎖ではなく、障害のある遅々とした連鎖ならば。
崩壊する鉄骨を繋ぎとめてやれば、あるいは避難することも可能かもしれない。
歩道橋に人はいなかった。
上からは死角だ。
誰かに魔術を目撃される可能性は、たぶん無い。
けれど俺は魔術の起動を躊躇っていた。
脳裏をよぎったのは、鬼の形相で怒る遠坂の顔だった。
……魔術を隠さないということが、どういうことなのか。
悲惨な場所なら悲惨な場所であるほどに、それを記録している何かがあるものだ。
ニュース映像に、偶然撮影してしまったものがよく流されている。
そこに、衛宮士郎の魔術が映ってしまえば――もう逃げ道はない。
顔も知らない第三者のそれを、誰にも知られずに消去するのは事実上不可能だろう。
そうなれば、いよいよ衛宮士郎は本格的に魔術師からも教会からも敵となる。
恐らくはリストの最上位に俺の名前が載ることになるだろう。
「――なにを、いまさら」
覚悟なんて、とっくに出来ていた。
魔術を習うと決めたときから、腹は決まっている。
「投影、開始(トレース・オン)」
躊躇う腕を衝き動かし、釘を模した剣を複数投影。
すぐさま目標を確認。
最優先すべき補強ポイントが軋みを上げているのが見えた。
幸いにもここから丸見えだ。
しかし他のポイントは狙い難い。
針の穴を通すようなものだろう。
軽く息を吸い、剣の一本を手にし――だがその刹那。
繋ぎ止められるべき鉄骨が、粘土みたいに曲がって、ねじ切れる。
そして、さっきとは比べものにならない揺れが橋上を襲った。
鉄橋は歪み、歩道橋を容易く押し潰していく。
「―――な」
驚きの言葉を全うする暇はなかった。
狙いの逸れた剣は手前の鉄骨に打ち付けられ、ひしゃげた歩道橋は俺を弾き飛ばす。
空中へ放り出された視界には、歪んだ鉄骨が映っていた。
最終更新:2008年01月17日 18:08