539 :五年後にて ◆dJsTzPZ4UE:2007/12/22(土) 20:06:16
空へ放り出された。
それでも剣を手から放した。
狙いから逸れる。
元々が無茶な選択。
だが、如何なる幸運か。
期せずして、剣は崩れかかった別の部位を繋ぎとめた。
自由になった両手で擦れ違う鉄骨を掴む。
がくん、と橋が揺れた。
歩道橋が俺の側を通り過ぎて川面へと落ち、姿を消す。
橋は傾いていたが、崩れきってはいない。
上から自動車が降ってきた。
当たれば即死する。
それが屋根の瓦が落ちるように、次から次へと無造作に河へ落ちてゆく。
中に人の姿が見えるものもあった。
奥歯を噛み締め、それをやりすごした。
橋上へ戻った。
息が上がっていた。
自分の呼吸が浅ましい獣の吐息に思えた。
アスファルトが割れている。
斜めになった車線は引き摺るようにタイヤの跡だけ残る。
無事な車線では、人が虫のように岸へ走っていた。
群から弾き出された子供を片手に抱きかかえ、駆けた。
藤ねえとネコさんの背中が、その中に混じっている。
もう一人、大人が倒れていた。
その人を脇手に、鉄骨の上を走った。
獣の息は少し遅れたようだった。
道の脇に二人を置き、橋へ引き返した。
剣が折れるのか、それとも他の場所から崩壊が始まるのか。
どちらにしろ、まだ少しは猶予がある筈だった。
無論、深くは入らない。
助けても、戻る時間がないのでは意味がない。
手が冷たかった。
冷たさが判るようになったとも言えた。
途中、崩れ落ちそうなアーチを剣で縫い止めた。
映像に残ってしまえば、それはそれと思うしかなかった。
三度往復したところで、俺は足を止めた。
上のアーチが崩れ落ち始めていた。
橋の上に見える、『動く』人の姿はない。
反対側までは判らないが、俺の居る新都側に走ってくる人はいない。
崩壊までの猶予を考えると、潮時だった。
「エミヤん!」
ネコさん。
橋から逃げ延びた人の中に居た。
無事だ、怪我はない。
「藤村、藤村は――!?」
その言葉に、血が凍った。
助かったと安堵して胸を撫で下ろす人々。
いない。
藤ねえが、いない。
何も聞こえなかった。
上から降ってくる鉄塊など、気にもしなかった。
俺は迷うことなく、鉄の群の中に飛び込んだ。
::::::::選択::::::::
目新しい地獄だった。
崩壊は決定し、生き残るだけの道は容易で、何より大事なものが見つからない。
これまでに味わった地獄とは違った。
けれど、自分は変わらなかった。
不思議と照準は一つに絞られている。
鉄の雨と地響き。
血と車の残骸の中を駆けた。
橋の中央付近。
ここで藤ねえの背中を見たのだ。
なのに、藤ねえの姿がない。
「藤ねえ!!」
いない筈なんてなかった。
辺りに落ちてくる鉄塊の音が大き過ぎる。
だから、聞こえないのだ。
そう思って、遮二無二声を枯らした。
「士郎! こっち!」
聞き慣れた声。
アスファルトの割れ目から、藤ねえが顔を出している。
救われた、と思った。
怪我はない。
助けられる。
すぐに藤ねえを抱えて走れば、間に合う。
だが。
アスファルトの亀裂に巻き込まれた軽自動車。
中に、人が居た。
運転席と助手席の両親らしき人たちは潰れて死んでいた。
後部座席に、兄と幼い妹。
ドアがひしゃげ、閉じ込められていた。
藤ねえがやったのか、窓ガラスは割れている。
しかし、子供ですら通れない狭さだ。
藤ねえは必死で捻じ曲がった鉄を押しのけていた。
「手伝って、士郎。
早く、助けなきゃ……!」
…助けている時間はない。
三人も抱えていたら、間に合わない。
今すぐ藤ねえを抱えて逃げださなければ、誰も助からない。
助けられないものは見捨てていくしかない。
命の選別をする。
それが多くを助ける道だ。
「駄目だ、藤ねえ。
ここからすぐにでも逃げないと――」
「そんなの出来ない!」
「助ける、助けられるっていう話じゃない!
もう逃げないと間に合わないんだ!」
「――助けたいの!
だから士郎も、何処かで命を懸けてきたんでしょう!?」
息が止まった。
「―――な、」
「……すぐにわかる、そんなの。
士郎が、それ以外に剣を使う理由がない。
初めての…稽古だけの二刀流が、あんなにサマになってる訳ない」
「…だから、怒ってたのか?」
俺が、死地に飛び込んでいたと判ったから。
それを判った上で、この人は俺を黙って見送ってくれようとしていたのか。
誰かを傷つける剣を振り回していると判ったのに、それでも俺を信じてくれたのか。
車内の兄妹の顔が見えた。
――あの火事がなければ、輪に加わったのは妹だったのか、弟だったのか。
どちらにしろ、俺には守れなかったもの。
今は、どうなのか。
最終更新:2008年01月17日 18:10