234 :隣町での聖杯戦争 ◆ftNZyoxtKM:2007/09/14(金) 04:48:11
今思えば、彼女を見たのは只の一度だけ。
協会の一室から出てきた彼女と、廊下ですれ違っただけだ。
その一度だけで虜になった。
かの高名なるディルムッド・オディナは異性を虜にする魔貌の持ち主であったと言うが、彼にとって魔貌の持ち主は彼女であった。
その隙のない姿にも、崩さぬ表情にも惹きつけられていた。
彼女が廊下の角に消えた頃には、彼女のことで頭が埋め尽くされていた。
……常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことである、とはかのアルバート・アインシュタインの言葉である。
要するに、人は偏見や誤解から逃れることは出来ないと言うことであり、それが人間という存在の本質であると言えるかもしれない。
「ならば早速聞かせてもらおうかしら、私を執拗に狙った理由を」
そう、その点が知りたかった。
すぐ側で倒れる彼の行動は戦略を踏まえた行動ではなく怨嗟、恨みに根差しているようにしか見えない。
彼がここに現れるまでは聖杯戦争参加者への、という物だと考えていたが、どうやらそれは違うらしいと考えられた。
彼の言葉を咀嚼して考えれば、それとて間違いではないが、その中でもっとも遠坂凛に向けられた憎悪が大きい、と言ったところだろう。
遠坂の言葉を聞いて、ランサーは僅かに笑ったように、彼女の強化した瞳には映った。
「理由か、確かにワケも分からず襲われたら気にはなるだろうが……魔術師がそう言ったことを気にするとは思わなかったな」
理由はどうあれ敵なら叩き潰すだけだろうに、とランサーは続ける。
「いいから答えなさい」
「……理由は簡単に言えばな、愛だよ、愛」
笑いを堪えるようにランサーは言った。
沈黙と共に間が開いた。
言葉を聞いた四人は完全に呆気に取られ、動きを完全に止めていた。
だがランサーにはその隙をついてどうこうしよう、と言う気は無い。
既に敗北は敗北と受け入れ、言葉によって主の安全を保証させようと言うことではあったのだが、嘘にしか聞こえなかったらしい。
「何よそれ……ふざけてるの?」
「いやいや、至って真面目さね」
肩を竦め笑ってみせる姿は真面目には見えない。
「もっとも、その対象は既に死んでるらしいし、その対象はマスターの愛なんて微塵も知らなかっただろうがね……一歩間違えればストーカーって奴にもなろうがね」
言葉はそれなりに具体的だが、それがどうして殺意に繋がると言うことがまるで分からなかった。
「それが何故……私への殺意に繋がるというの? まさか……」
愛の対象とはかつての聖杯戦争における被害者なのだろうか?
それならばある程度の納得は出来る。
只参加者であるだけでなく土地の管理者であるならば管理地における責任は彼女に一身に向けられる。
それが彼女の手によるもので無かろうとも、恨みをそこに向けてしまうのはある意味で必然だった。
「多分アンタが考えているのとは違うぜ、マスターの求愛対象は魔術師で、参加者だしな」
「それなら……」
恨む対象としては筋違いだろう。
結局の所、かつてのあの戦いでは彼女とそのサーヴァントはさしたる戦果はなく、一人のマスター排除も行えはしなかった。
「ま、その辺はそこに転がってるウチのマスターに聞いてくれ、俺も詳しいことは知らないんでな」
それから手当も死なない程度にしてやってくれると嬉しい、そう続けてから彼を指差した。
そちらに視線を移せば、いつ意識を戻したのか、満足に動けぬ身体であるにもかかわらず『遠坂の魔術師』を睨むヴィルベルトの姿があった。
「ミス・マクレミッツを……あの人をどうした遠坂あっ!」
タイタニア・ヴィルベルトはそれなりに物事を考える人間であった。
手に入れたちぐはぐな資料から冬木聖杯戦争の全貌を大凡推測する程度には物事を考えた。
そして得られた結論を元に遠坂を敵視した。
言峰報告書にはマスターに関する情報が記されている。
セイバーのマスター、衛宮士郎。
アーチャーのマスター、遠坂凛。
ランサーのマスター、バゼット・フラガ・マクレミッツ。
それに付随してその三名の比較的詳細な情報が記されている。
この三名は戦争開始までに教会への申告を行った人物だという。
そして後に判明したマスター達。
バーサーカーのマスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
キャスターのマスター、葛木宗一郎。
ライダーのマスター、間桐桜。
アサシンのマスター、間桐臓硯。
遠坂報告書との記述の違い。
一部のマスターに関する情報の欠損と、ランサーのマスターに関する情報であり、それは彼がもっとも重視する問題であった。
ランサーのマスター、言峰綺礼。
これは令呪と呼ばれるマスターの条件となる聖痕を奪った事に因るもの――不思議なことに今回彼には現れはしなかったが召還は出来た――だという。
彼女に関する情報はそれなりに調べたし、言峰報告書にもある程度のことは記されていた。
それだけに、彼女が容易にその聖痕を奪われるとは考えられなかった。
更に言えば教会の人間が奪った、という点も不可解である。
その点を解決するために再び魔術協会の書庫にて資料を調べ、一つの解答に至った。
第四次聖杯戦争に関する報告書。
当時の監督役である言峰璃正の死後回収された報告書によれば、言峰綺礼は第四時における『参加者』であり、更には『遠坂』の弟子でもあったという。
ここで彼は一つの仮説を得るに至る。
『言峰綺礼は遠坂との繋がりを持ち続け、第五次において遠坂陣営の勝利に貢献しようとし、教会を訪れたミス・マクレミッツを遠坂と共に襲い、令呪を強奪、ランサーのマスターに収まった。
しかし、遠坂、言峰の両者が敗退し、言峰が死亡した事から、責を言峰一人に押しつけ、遠坂はこの事実を隠蔽した』
これが彼の持つ情報から思考した末に得た結論であり、この戦いにおける行動の原点であった。
情報入手の順序も共に記されていればそのような結論にはなりえなかったであろう。
だがそうはならず、誤った情報から得た誤った結論の為に誤った行動を起こしたのだ。
「バゼットは生きてるわよ」
遠坂のその言葉を聞いた瞬間に、頭が沸騰した。
「……は?」
憎しみも、この痛みへの理不尽な怒りも、その他全ての感情が消えた。
「少なくとも昨日……日付は変わったから一昨日までは確実にね、その時まであの人は私達と行動を共にしていたから」
そう話す遠坂の表情は苦い。
「まあ……あの人に惚れるのは自由だけど、もうちょっと彼女を知った方が良いと思うわ、正直」
思考が止まったまま、遠坂の話を聞いた。
騙されているとか、そんな思考も完全に消え、ただただ言葉を受け入れた。
途中からもう涙とか血でぐしゃぐしゃになっていたけれど、ただひたすらに、思い人が生きていたことが嬉しかったのだ。
……まあ、話を聞く限り実像と理想は大きく懸け離れていたようではあったが。
「そうか、彼女は……生きているのか」
仰向けになって、一人で笑った。
乾いた笑いだったが、ヴィルベルトは心の区切りがついたように感じた。
ゆっくりと立ち上がる。
「あだだだだ」
全身が、主に回路とか神経とか内部が凄く痛む。
どうにか格好を整えれば、その場の全員が笑っていた。
蔑むようなものではなく、和んだ雰囲気で自然に出てしまった笑いのようで、その笑いは彼にも伝染した。
「迷惑をかけてしまったな……すまない、そして感謝するよ遠坂凛、おかげで絶望だけのところに希望が持てた、ありがとう」
それだけ言って振り返れば、既にその先にランサーが立っていた。
「ま、礼を言われることじゃないけどね……それより、これからどうするの?」
「決まってるだろう、S市に行って彼女を捜す、見つけたらそっちにも知らせるよ」
ひらひらと手を振り、ふらふらと歩き、ランサーのところで再び気絶した。
「……ま、そう言うことになる、あんたらと決着をつけられなかったのは残念ではあるが、機会があればいずれ、ってことか」
気絶したマスターを抱え、ランサーが立ち去っていく。
彼自身も負傷していたが、その後ろ姿には怒りや恨みと言った陰湿な部分は何処にもない、まるで爽やかな風のようであった。
「それじゃみんな、家に戻りましょう」
こうして、衛宮邸での戦いは一応の終結を見た。
最終更新:2008年01月17日 19:06