539 :371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg:2008/01/01(火) 03:51:50
鞄から取り出した発条を、右手でしっかりと握り締める。
これだけは、他の奴には譲れない役目だと思った。
「じゃ、じゃあやるぞ……!」
空いている左手で、仰向けに寝ている水銀燈を抱き起こす。
背中の穴に発条を……差し込もうとして、まだ服を脱がせていないことに気がついた。
まずは服を脱がせてから……って、片手じゃそんな器用なことできないな。
じゃあ、一旦発条を脇に置いて、水銀燈の服を脱がせてから……あれ、これってどうやって脱がすんだっけ?
そんな俺を見かねて、真紅が横から口を挟んできた。
「士郎、気持ちは分かるけど……慌ててはいけないわ。
そんなことでは、巻いた発条に心が込められないわよ」
「え……心……?」
「そう。
薔薇乙女《ローゼンメイデン》は、発条を巻いた人間の心で動くの。
ただ発条を巻いただけでは、薔薇乙女《ローゼンメイデン》は目覚めない。
巻いた人間が、ミーディアムになる資格があるかどうか。
それは、巻いたときに流れ込んでくる心の風景で決まるのだわ」
心の、風景?
俺の脳裏に、赤い丘と剣の墓標が広がる光景がよぎった。
「それじゃ、水銀燈が俺をミーディアムに選んだのは……俺の心象風景を見たからなのか?」
「見た、というのは適切じゃないわね。
私だって、アーチャーの心を知っているわけじゃないし。
でも、巻いた人間の心に、私たちを動かすほどの何かが存在したことは確かだわ。
そういう意味では……貴方は確かに、水銀燈に選ばれたミーディアムなのよ」
「俺の、心が……?」
そんなことを言われても、ピンとこない。
俺の心の風景なんて、アレ一つっきりしかないわけだし。
あの風景のどこに、水銀燈を目覚めさせる部分があったんだ?
「だから、もっと落ち着いて。
ミーディアムの恥は薔薇乙女《ローゼンメイデン》の恥よ。
貴方がみっともない様を見せると、水銀燈が恥をかくのだわ」
「……分かった。
落ち着いて、やってみる」
頷いて、姿勢を正す。
息を吸い、ゆっくりと吐いて。
真紅の言うとおり、慌てずゆっくりと、水銀燈の衣服をめくっていく。
雪のように白い背中の真ん中に、ぽっかりと穴が空いている。
「――投影《トレース》、開始《オン》」
自然と、呪文が口をついて出た。
真紅は、巻く者の心が、薔薇乙女《ローゼンメイデン》を起こす鍵なのだと言った。
俺の心……どんな理由でなのかは知らないが、それが水銀燈を目覚めさせるのなら。
俺が、最も自分の心をイメージしやすい状態に埋没していくのが正しいはずだ。
「水銀燈……」
抱きかかえるような姿勢で、背中の穴へ発条を差し込んでいく。
発条はするりと穴の中へ埋まっていき、一番奥でカチリと音がした。
「お前と……」
握った右手を回して、徐々に発条を巻いていく。
きりきり、きりきりと、発条が巻かれる音が土蔵に響く。
「もう一度……」
力を込めて……いや、想いを込めて。
この想いがなんなのか、自分でも分からないまま、がむしゃらに。
「話が、したいんだ……!」
カチリ、と鳴って、発条が止まった。
……最後まで、巻き終わったのか。
差し込んだ時以上にゆっくりと、発条を穴から抜き取る。
少しでも手元が狂えば、砕け散ってしまいそうな、そんな気がした。
発条を抜き終わり、服を元通りに着せた後、シーツに再び横たえる。
見た目だけならば、先ほどまでと何も変わった点は無い。
……これで、目が覚めるのか?
「は、あ……っ」
「…………」
「うゆ……」
空気が、息苦しい。
この場に立ち会った三人が、固唾を飲んで見守る中。
発条を巻かれた水銀燈の身体が、カタン、と一度、小さく震えた。
「あっ……!」
思わず、静寂を破って声を上げた。
それが合図になったかのように、閉ざされたままだった水銀燈の瞳が……うっすらと、だが間違いなく開かれた。
「…………ん……」
言葉にすらなっていない、ただの唸り声でしかない音。
それでも、その音を聴いた瞬間、俺の身体の中から溢れてきた喜びは、とても表現できないだろう。
水銀燈が。
水銀燈が、目を覚ました……!
「……水銀燈……!」
「……し、ろう?」
「目が、覚めたんだな?
本当に、目が覚めたんだよな?」
「なによぉ……一体、どうしたっていうの……?」
まだ意識がはっきりしていないのか、ぼんやりとした口調で喋る水銀燈。
柄にも無く感極まった俺は、思わず心からの言葉を口にした。
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最終更新:2008年01月19日 22:56