790 :371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg:2008/01/02(水) 01:47:05


「おはよう、水銀燈」

 それは、全く意識せずに、口から勝手に出てきた言葉だった。
 けど、口にしてから気がついた。
 ……ああ、俺はこの言葉を言ってあげたくて、いままでやってきたんだな。
 水銀燈はというと、目の前に俺が居ることが不思議でしょうがない、と言いたそうな顔で俺のことを見返している。

「おはよう、って……なんで士郎が……?
 だって私、さっきまで……はっ!?」

 そこまで言いかけて、突如水銀燈の両目が大きく見開かれる。
 みるみるうちに顔がこわばっていくのが見て取れる。
 どうしたんだ……この様子は尋常じゃないぞ。

「士郎、敵は!?
 あいつらは何処にいったの……あっ!?」

「ちょ、あぶなっ!?」

 まずい!
 右腕が無い状態で、跳ね起きるのは難しい。
 そのことを失念していたのか、水銀燈の上体は、バランスを崩して大きく泳いだ。
 あわや、したたかに打ち付けそうになったところを、俺が両手でなんとか受け止めた。

「う、うぅ……」

「だ、大丈夫か水銀燈?」

「よっ、余計なお世話よぉ……。
 ここは……それに、あいつらは?」

「ここは俺の家の土蔵だよ。
 あいつらってのが誰だかしらないけど、そんな身体で無理するな」

 俺がそう告げると、水銀燈の表情がまた変わった。
 緊張の顔から、一変して恐怖の顔へと。

「身体……?
 ……あ、わたしの、からだ……」

 水銀燈は、まるでいま気がついたかのように、自分の右腕……肘から先が存在しない腕を凝視した。
 そして、背中へ首をめぐらせて……やはり無くなっている、片翼を見る。

「ない……私の翼、私の腕……。
 そう、やっぱりアレは夢じゃなかったのね……」

 水銀燈は、ドレスの裾をぎゅっと握り締めて、沈痛な表情で呟いた。
 心なしか、その身体はかすかに震えているように見えた。
 ……分かってはいたけど、やっぱりこういう水銀燈を見るのは……辛い。

「水銀燈……」

 ……正直に言えば、俺は知りたかった。
 彼女の身に何が起こったのか。
 誰が、彼女をこんな目に遭わせたのか。
 それを知ってどうするのか、なんてわからない。
 ただ、水銀燈に悪意を持つ、明確な敵の存在を、知りたかった。
 だが……それを語ることが出来るのは、目の前で震えている少女だけなのだ。
 果たして、何があったのか、いま尋ねるべきなのか?
 それを迷っているうちに、沈黙は第三者によって破られた。

「水銀燈。
 目が覚めたばかりで悪いのだけど、いいかしら?」

「貴女……真紅!?」

 一歩前に進み出た真紅が、水銀燈を真正面から見据える。
 その毅然とした態度に反応したかのように、水銀燈の顔から恐怖が拭い取られ、再び警戒心をあらわにする。

「ごきげんよう、水銀燈。
 貴女がそこまで手酷くやられるなんて……正直、驚いているわ」

「何故貴女がここに居るの!?」

 噛み付くような喧嘩腰で叫ぶ水銀燈に、真紅は眉をひそめる。

「何故、とはご挨拶ね。
 私が居なければ、貴女は目覚めることが出来なかったのに」

「……一体、なにをしたっていうの?」

「私が、士郎に教えてあげたのよ。
 薔薇乙女《ローゼンメイデン》の発条の巻き方を」

 ちょ、真紅、その言い方は拙いだろ!?
 案の定、水銀燈の怒りの矛先は俺の方に向かってきた。

「なんですってぇ……士郎!
 貴方、よりによって真紅なんかに縋り付いたの!?」

「え、いや、俺から頼んだわけじゃ……」

「手を貸したのは私の勝手よ。
 士郎はそれに応じただけ」

 俺の弁明を遮って否定する。
 ……流石に、くんくんに釣られてやってきました、とは言えないか。

「聞いて、水銀燈。
 私の知りうる限り、アリスゲームで身体の一部を失った例は、今回が初めてよ。
 今まではこんなこと、一度だって無かった。
 ううん、薔薇乙女《ローゼンメイデン》の中で、こんな残酷なことが出来る子なんて居ないはずだもの。
 そんな真似が出来る薔薇乙女《ローゼンメイデン》となると……ねぇ、水銀燈。
貴女がやられたのは、やっぱりあの、薔薇の眼帯の……」

「……うるさいっ!!」

「えっ?」

 真紅の推理を遮ったのは、水銀燈の一喝だった。
 真紅を睨み付ける水銀燈の目は、憎しみで燃え滾っていた。

「恩着せがましく言い寄ってきたと思ったら……うるさいのよ、賢しげにゴチャゴチャと!
 今回が初めて? 今まで一度も無かった?
 だから何よ、一番最初に失敗したからって、それで水銀燈を馬鹿にしたいだけじゃない!」

「違うわ、水銀燈、私は……」

「違わないわっ!!
 そうやって真紅は、いつもいつも……私のことを見下してるんでしょう!?
 そんな貴女なんかに話すことなんか、ないわ!
 今すぐここから、出て行きなさぁい!!」

 ばさり、と。
 久しぶりに見る、黒い羽根を大きく広げて……それが、半分でしかないことを、改めて思い知る。
 その、片方だけの黒翼で、水銀燈は真紅を脅していた。
 いや、これ以上ここにとどまっていたら、脅しだけじゃ済まないだろう。
 それは真紅も感じ取ったのか、これ以上の長居をするのはあきらめたようだ。

「……どうやら、今日は無理のようね。
 行きましょう、士郎、雛苺」

 踵を返した真紅は、俺と雛苺に声をかけて、入り口へと立ち去ろうとする。
 ちなみに雛苺は、入り口のところからおっかなびっくり中を覗いていた。

「え、でも……いいのか?」

「今はここに居てもなんにもならないわ。
 水銀燈には、少し頭を冷やしてもらわないと。
 ……だから、士郎、お茶を入れて頂戴。
 そろそろお茶をするのにいい時間だわ」

 そう言われて、俺は……。


α:今はそっとしておこう。真紅と雛苺と共に立ち去った。
β:一人だけにはさせられない。水銀燈とここに残る。


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最終更新:2008年01月19日 22:57