526 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/01/10(木) 20:46:33
可能性がある、というのはそれだけで脅威である。潜在的不安を取り除くのは兵法の教える初歩といえよう。
さらに言えば、仮に目撃されていないとしても、記憶を操作することにデメリットはない。
もはや衛宮士郎の記憶を奪うのに、躊躇する余地はどこにもない。遠坂の家名を地に墜としむるものは排除されなければならないのだ。
桜はさりげなく立ち上がった。左手で椅子を引き、右手のハンカチで机のよだれを拭い取る。
その行動に気付いていないのか、衛宮士郎は無防備な背中を晒し続けていた。
「――Anfang(起動),Aufsteh(起ち出でろ).」
口の中で呟いた呪文に応じ、桜の側に『影』が現れた。
桜が咄嗟に立てた計画はこうだ。
まずは背後から可能な限り目標に忍び寄る。その後、影により四肢を拘束。首筋に魔力を叩き込むことで意識を失わせ、それからゆっくりと記憶を奪う。
完璧だ、と思った。衛宮士郎には何が起きたかすら悟らせまい。
いつもは自分に自信が持てない桜も、このときばかりは己の成功を確信していた。
桜はゆらり、ゆらりと左右に体を振って衛宮士郎に近づいていった。無論、体を揺らす必要はない。気分でそうしているだけだ。
「あのさ、遠坂」
衛宮士郎が不意に言葉を発した。
桜は悲鳴を上げそうになった。だが衛宮士郎は振り返らずに口だけを動かしていた。それに気付いて、胸を撫で下ろした。
「な、なんでしょうか」
桜は言った。声は平静を保っている、と思った。
喋りながら摺り足で進み続けた。
「あんまり疲れてるなら、生徒会の仕事は休んだ方がいい。こんなところで寝てると風邪ひく」
鼓動が高鳴った。しかし悪い気分ではない。
高揚する、というのはこういう心持ちなのだろう。
「それはダメですよ。わたしが自分の意志で書記になったんですから」
自分の息がやけに大きく聞こえた。ホラー映画のようだ。
「一成に聞いた話じゃ、一人暮らしなんだろ。家のことだけでも大変なのに、生徒会まで抱え込むのは無茶じゃないか?」
哀れな少年は鷹に狙われていることにも気付かず、野鼠のように手先を動かしている。
桜には、それが愛らしくすら感じた。思わず邪な笑みが零れる。
「でも自分で選んだことですから。会長もよくしてくれてますし」
射程範囲内に入った。一息で『影』は衛宮士郎を拘束し、桜は一足で意識を刈り取れる距離だ。
だが桜は止まらなかった。
もう少し、もう少し近くに。
それは不合理な欲求だった。しかし衝動には抗いがたく、桜は慎重に歩を進めていった。
「衛宮先輩こそ、弓道部に人助けに大変でしょう。
――――過労で倒れないように気をつけて下さい」
桜は息を呑んだ。この緊張感は何なのか。身を切るような快感が背筋を震わせている。
衛宮士郎の首筋がはっきりと見えた。毛の一筋まで見分けられる。
桜は腕を振り上げた。
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最終更新:2008年01月27日 22:33