658 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/01/16(水) 20:43:51
療養所は深山町の港近くにある。桜と霧島は二人、坂道を下っていった。
青紫色に染まった空は穏やかで美しかった。だが、それも今のうちだ。いずれ闇が訪れるのだから。
取り立てて理由も無く、二人はお互いのことを話し始めた。
桜は父を失ったときの悲しさを語った。霧島は母の思い出を持てない切なさを語った。
お互いの事情は知っていた。だが語り合ったのは初めてだった。
霧島は父一人子一人の家に育った。父の帰りは、いつも遅かった。
桜は父を亡くした。母も家に帰ってくることはない。
そして特に不幸だと思ったことが無かった。
二人で苦笑いをした。桜と霧島の共通点は少なくない。だから気が合うのだろう。
何故、生徒会に入ったのか。そんな話題が出た。
霧島は『ビジネスライクな時間潰し』、と言った。内申を稼げば進学において有利に働くし奨学金も貰いやすいかもしれない、とも続けた。
桜の場合は柳洞一成から誘われた。一成と桜は同じ中学で、そこでも一成が生徒会長で桜が書記だった。その縁で声をかけたのだろう。
桜は断るつもりだった。中学の頃よりも一成が仕事熱心で、仕事量も多くなると判っていたからだ。
だが綺礼に『生徒会での経験が管理者としての業務に役立つだろう』と勧められた。それで、桜は書記に立候補した。
今となっては、その決断を後悔していた。
慌しい日々ばかり送っているし、綺礼は嫌がらせのように桜へ仕事を回してくる。経験を積ませている、という綺礼の言葉も胡散臭かった。
海が見えていた。薄闇の空と馴染んだ海に、桜は途方も無い広さを感じた。
「――わたしね。探したい人がいるの。
兄弟なのか姉妹なのかも判らないけど、いつか探し出したいって思うの」
遠くを見るように霧島は言った。まだ空に星は見えていない。
「生き別れの兄弟がいるの?」
「うーん……居る、と思うのよ。少なくともわたしは、その人を兄弟だと思ってる」
「よくわかんないけど、お父さんに訊いてみたら?」
「父さんには解らない話なの。わたしが兄弟だと思ってるだけなんだから。本当は、居るか居ないかも判らないし」
雲を掴むような話だった。
孤独に耐えかね、兄弟が居ると思いたいだけではないのか。目指す先も判らないのに、目的地があると言えるのだろうか。
しかし、霧島の目は澄んでいた。きっと彼女には大事な事なのだ。それを無碍に否定することは出来なかった。
二人は療養所の門をくぐった。
受付で手続きをしていると、後ろから声がした。グレン老だった。
「やあ、久しぶりだなぁ、サクラさん」
「ご無沙汰しています、マッケンジーさん」
桜の記憶にあるよりも、グレンは血色が良くなっていた。リハビリが上手くいっているのだろう。
「お元気になられたようで、なによりです」
「お前さんも元気そうで良かった」
グレンが笑う。
その横で霧島はそそくさと奥へ向かっていった。まるで桜の目を避けているようにも見えた。
そう言えば、霧島はいつも療養所で何をしているのだろう?
グレンなら、それを知っているかもしれない。
投票結果
最終更新:2008年01月27日 22:37