736 :もしも遠野志貴が引き篭もりだったら ◆4OkSzTyQhY:2008/01/19(土) 01:27:18


 これは選択肢の物語である。
 八年前に遠野志貴は大怪我をした。
 昏睡から回復したとき、彼の目の前には幾条もの黒い線が漂っていた。
 それが何を意味するのかはわからない。だけど、とても不気味な線。
 分からなくても、知らなくても、本能的に吐き気を催すような、そんな現象だった。
 さて、ここで少年に選択肢が突きつけられる。
 それまで異能にも非日常にも関わることなく(あるいはそう思い込んでいた)少年が、いかな対応をとるか。
 制限は決して多くなかった。
 病室から逃げ出して草原に転がり空を眺めてもよかったし、只管に見つめ続けて発狂することもできた。
 あるいは運命が許したのならば、包帯にて眼球を覆い姫君の守護者となることもできただろう。
 少年は速やかに選択肢を実行した。あるいは放棄した。
 彼が採った手段は実にシンプルだ。見たくないものは見なければいい。
 だから少年は頑なに目を逸らし続けた。
 退院するまでは布団から顔を出さず、検査の時には硬く目を瞑っていた。
 病院という場所で、年端もいかない重症患者であればそれは許容された。
 遠野の家に帰った後、数日。その間も彼は暗い部屋の片隅で縮こまっていた。
 時期が短かった故に、ショックがまだ残っているのだろうということで見過ごされた。
 そして有間に引き渡されてから八年間、彼は決して光を見ようとしなかった。光の中に不気味に蠢くものが視たくなかった。

 結果として、遠野志貴は引き篭もりになったのだ――

 ◇◇◇

 硬い小さな音が響く。小さなこぶしで、コツ、コツと控えめに生み出される音。
 それは強くはない、だけど何処か決然とした、まるで決意を固めた小動物のようなノックだった。
 ノックされているのは部屋のドア。当然ながら、アパート等のドアにあるような覗き窓のはついていない。
 それでも、扉の向こうにいる人物が誰なのかはすぐにわかった。
 その人物の名前を思い浮かべる。思い浮かべるのは名前だけだ。八年前から顔は見ていない。
 有間都古。もはや顔を見てもわからないだろう。八年は、長い。『遠野志貴』という影響を世界から洗い流すのには十分な程に。

 板一枚を挟んだ向こうの空間にいるのが都古だとわかった理由は簡単だ。この部屋を訪れるのは、彼女だけだからである。
 昔はそうでなかったのかもしれない――変わりなく繰り返される日常に、昔の記憶はだいぶ磨耗していたが。
 だがそれも今では意味を成さない。時間は保存できない。
 だから、自分と接触しようとする人物は、今となっては彼女一人きりだ。

 有間の家には彼女と自分を除いたほかに二人、人がいる。都古の父である文臣と、母の啓子である。
 やはり八年前から顔を見ていないが、二人とも悪い人ではないのだろう。
 いや、はっきりと人の良い人たちなのだと感じ取れる。だからこそ、自分はこんな生活が続けられるのだから。
 されど、八年。それは、腫れ物を悪化させるのには十分な年数だ。
 結果として、二人は遠野志貴と関わりを持たなくなった。
 繰り返すが、志貴は彼らを恨んではいない。自分は他人が忌避するような生き方をしていると自覚している。

 だというのに、有間都古。彼女だけは遠野志貴に関わり続けてきた。あるいは、関わろうとしてきた。
 再び、控えめなノックが二回。回数までもいつも通りだ。
 ここまではいつも通り。ここからも、きっといつも通り。
 志貴は――

【選択肢】
羊:沈黙を守る。
避:返事を返す。
棄:枕をドアに投げつける。


投票結果


羊:5
避:1
棄:0

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最終更新:2008年01月27日 22:48