120 :ファイナル ファンタズム ◆6/PgkFs4qM:2008/01/31(木) 22:58:46


――Interlude


「はっ、はっ、はっ、は、あ……っ」

 気付けば――いつの間にか外へと駈け出していた。
 脚部に着けたレギンスとブラウザの重さが足に絡みつき、水際に浸かっているかのような鈍重さが腿に加わるが、構わずにただひたらすら走る。靴底の鉄板が敷石の凹凸と打ち合い耳障りな音を響かせ、それがより一層私の心を波立たせた。
 脳裏に焼き付くは、シロウと銀髪の女性との抱擁。心底至福に満ちた、2人の穏やかな顔。
 胸が苦しい。胸中がむせ返るくらに気持ち悪くて、呼吸すらままならない。気道に籠めた空気は肺へと到達すること叶わず、吐き出す息はごく微量。口から漏れる白い靄だけが、自身の呼吸の成功をかろうじて伝えてくれていた。
 目が痛い。まるで病にでもかかったみたいにチリチリと目が痺れ、瞼を開けているのが辛くて堪らない。眼球を覆う水分がいつも以上に多く潤い、こうやってこぼれないよう注意していないと予期せぬ無様を晒す羽目に陥りかねない体たらく。
 肩の力が入らない。怪我などない万全な健康体だというのに、肩当ての役目を果たすスチール板が圧力を重ね、まともに腕を動かすことが叶わない。筋繊維の一本一本が弛緩しほぐれ、あれだけ鍛え抜いた筈の筋肉が正常に機能してくれない。

「はっ……ぐっ、はあっ、は……」

 喉はカラカラ。度々漏れる嗚咽が口内の水分を容赦なく奪い、すっかり乾燥した咽喉がひび割れる感覚を、痛みとなってもたらしてくる。
 人とぶつかった。――構うものか。
 街の者が何人か私を見つめている。――そんなの知ったことじゃない。
 そんな些細事に捉われる余裕なんて、ハナから持ち合わせている訳がない。
 やがて私の意思から虚脱し限界まで走り抜いた足は、激しい疲労を覚えてようやっとへばり、両膝に手を乗せながらその機能を停止した。その際にポタリポタリと地に垂れ落ち、黄土色の敷石に黒い染みを塗りつける、汗の雫。
 顔を伏せて自身の時を止め、白紙となった頭に流れを任せたまま、しばし虚空を漂う。
 幾許かの時が過ぎ、やがて疲弊した呼吸器官は回復し、改めて息を吸って、吐き、下げた頭を上げ――――そこではじめて、今自分が立っている場所がどこなのか、理解するに到る。

「……シロウと共に、稽古に励んだ広場……」

 昼時ということもあり思い出の中に存在する閑静さは見受けられなかったが、それでもここは間違いなく記憶に刻まれた、件の広場だった。

「…………フ。私はいったい、何をやっているのかな」

 知らずとこぼれる、乾いた笑み。
 本当に、何をやっているのだろう。こんな――――、一端の乙女にでもなったかのように慌てふためいて……。
 叔父の言葉を思い出せ。私は人間ではない。真龍なのだと。
 弁えろ、己の立場を。自らに課せられた宿願に慄く暇さえあれど、このような痴態に興じる隙など微塵もない筈だ。改めて先程の行いを振り返るも、やはりどこにも同情の余地は見出せず、万事誰が受け取ろうとも、最低なものでしかなかった。

「……戻ろう。彼らに迷惑をかけてしまった。騎士として、失格だ」

 目尻を冷たい鉄製の篭手で拭い、みっともなく折れ曲がった背筋を真っ直ぐ引き伸ばす。
 ……そうだ。我が青春は常に無機質な鉄と共にあった。恐らくは、これからも鉄に頼って生きていくのだろう。そんな女が内に軟らかい心を宿しているとあっては、物笑いの種でしかない。
 自身の脆弱な心に決意の火を点し、使命という名の槌を打ち据える。
 ――大丈夫だ。私は、弱くない。
 一、二度深呼吸をしてから平静を繕い、普段の調子を取り戻す。呼吸は正常。目もスッキリ眼前の視界を映しだしてくれる。

「……よし」

 気合充填。確認の合図を兼ねた声を呟き、胸を張る。
 いちいち仰々しい自分に苦笑を浮かべて体を反転させれば――――すぐ真後ろに、黒髪を両端に括りつけた小さなタルタルの姿が目に入った。

「――――っ」
「…………」

 どくん、と一際大きく跳ねる心臓。だが僅かな時を経てそのタルタルがバタコというシロウの仲間の一人であることに思い至り、図らずも露呈してしまった自身の小心さに歯噛みする。ただし、驚愕した反面、心中に訪れた安堵は並々ならぬものがあったが。

「……驚かせないでくれ。忝い、私を探しに来てくれたのか?」
「…………」

 眼前の彼女に侘びと感謝を込めて声をかけるも、自分を心配して見に来てくれたであろう彼女はしかし一言も発さず、ただ黙して昏々とこちらを眺めるのみ。気のせいか、私を捉えるその瞳は暗く光を宿さず、率直に言えば不気味だった。
 そんな彼女に対し、徐々に募る違和感。
 最初は勝手な行動を起こした自分に怒っているのだと思った。当然だ。黙って走り去るだなんて奇行、居合わせた人間にとっては迷惑以外の何物でもない。
 ――ただ、それにしては感情の動きが無さすぎる。眼前の彼女は眉一つ動かさずに無表情を決め込み、加えて貝のように口を噤むものだから、まるで石像と対峙しているかのような不自然さすら窺える。
 かといって私の未熟な語彙力では言葉をかけるに相応しいフレーズなど望むべくもあらず、何も語らずに向かい合ったまま、重く、息苦しい時間が過ぎていった。1分……2分……3分……4分……。直立させた足がそろそろ痛くなり始めた頃、ようやくこのタルタルの小さな口が開いた。

「どうして?」
「……え?」
「どうして? ねえ、どうしてアナタまだ生きているの? どうしてこんな短期間で成長しちゃっているのよ?」
「…………」

 不動の姿勢を保ったまま、彼女の言葉を脳内で反芻すること、数秒。
 脈絡なく突然放り投げられた、用途不明な問い。それは心穏やかならぬ私を一層惑わすものであり、真意の糸口すら掴める内容ではなかった。
 そんな中で、聞き逃せぬ、唯一理解できる単語の羅列。即ち、常人とは趣を異にする、私の成長に関する言葉。
 幼い頃の私と、今の成長した私を繋げて見ている人物はごく少数に限られる。私が知っている範囲では、幼少期を共に過ごしたシロウ、10年の歳月を共にした真龍の眷属のみと、存外に少ないことがわかる。そんな不動の事実を認識した途端、形のない、不透明な警鐘が鳴り響いた。

「真龍族と共に過ごしたからだ。理由は自分でもよくわからない。……何故生きているのか、という問いには答えかねる」
「真龍? アナタを連れ去った、あの馬鹿デカイ龍のこと?」
「…………貴様、いったい何者だ?」
「質問しているのはこっちなんだケド。というか私達、以前に会っているじゃない。私にとってはついこの間の出来事なのだけど、10年近い歳月を経たアナタにとっては、既に記憶の彼方なのかしらね?」
「何ィ」

 更なる混迷へと誘う問いかけに眩暈を覚え、頭痛を伴う立ち眩みを催す。
 私と彼女は会っていた……?
 わからない。それは果たしていつのことだったか……?



Ⅰ:士郎と共同生活を営んでいた頃
Ⅱ:士郎と旅に出ていた頃
Ⅲ:士郎と出会う前
Ⅳ:どうしてもわからない


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最終更新:2008年03月06日 22:08