37 :もしも遠野志貴が引き篭もりだったら ◆4OkSzTyQhY:2008/01/29(火) 08:24:38
ある目的のために、それはこの極東の島国にまでやってきた。
彼を夜の住人とするならば、彼の目的は夜の王族を打ち滅ぼすことである。
白翼の援護を受けて降り立ったのは獣の群れ。怪物とさえ形容しかねる混沌の渦。
彼は町中に使い魔を放ち、姫君を捜索していた。
だが、捕らえられない。白の影を視界に映した瞬間、その獣は瞬きすらさせてもらえず混沌に還元された。
そんな鼬ごっこが数日続いた。
蓄積されたのは苛立ちと空腹だった。
獣は耐えない。耐える必要がないのだから。
――さあ、食事の時間だ。
◇◇◇
夜空を雲が覆っている。
陽光を完全に失った世界は、もはや一寸先で魑魅魍魎が跋扈していても気づかないほどの闇に落ちていた。
もっとも――その怪物自身には関係のないことだが。
その建物の外側には非常階段が設けられていた。金属の棒に板金をそのまま溶接したような、そんな簡素な階段である。
素足でその階段を軽快に蹴りつけていく影があった。階段の冷たさに躊躇わず、高所の冷気に震えもしない。
それは怪物なのだ。冷たく粘る液体の中に潜んでいるような怪異。ならば何に震えるというのか。
やがて夜のしじまを蹴散らす重低音は、階段を八割ほど上ったところで停止した。
「到着――っと」
町並みを一望――とはいかないが、それなりに見渡せる位置に立った彼はほう、と溜息を一つついた。
彼――遠野四季が地下の座敷牢から開放されて、一週間になる。
基本的に夜間しか活動できないとはいえ、それでも七晩は長い。
故に町中を巡った結果、このホテルの非常階段のような人気のない場所をいくつか見つけるに至っていた。
「ってもまあ、なにがあるわけでもねえんだがなぁ」
なんでここに来たんだっけ、俺。などと、脳の存在が危ぶまれるような発言をしてみたりする。
結局、考えても分からなかったので四季はなんとなく町並みを観察することにした。
生来目は悪くなかったが、八年前の反転以来、五感は獣並みに利くようになっている。
……とはいえ、流石にこの高さでは、往来の人の顔を判別することなど望むべくもない。
「まあ見えたにしろ、それで都合よくあいつが見つかるとも思えねえけどよ――」
思い浮かべるのは自分の居場所を奪った憎悪の対象。笑顔で自分とじゃれあっていた少年の姿。
ただし、それは八年前の情報だ。捜索の役には立たない。
成長してからの写真の類は存在しないそうなので、琥珀に聞いた情報だけが頼りだが――
「身長二メートル近い巨漢だっていうが――ずいぶん成長したもんだな、オイ」
まあ変わる奴は変わるのかもしれねえが、と胸中で付け足す。自分もあれ以来、だいぶ見た目は変わったのだし――
と、そこで巡るましくあちこちにピントを合わせていた四季の視界に、奇妙な物体が映った。
ホテル正面の入り口。その前に、黒い人影が佇んでいた。
遠めではっきりしないが、体格はかなりの大柄のようだ。見る限りでは手ぶらである。
「まさか……あいつか? いや、んな都合のいい話は――」
だが、起こってしまった偶然を疑うのは無駄以外の何者でもない。
四季は即断して階段の踊り場から身を乗り出した。どうせ退屈していたのだ。人違いでも構わない。
この程度の高さになるとさすがに飛び降りるのは難しいが、それでもやりようはいくらでもある。
逃げられても面倒だ。ホテルに入るのなら、入った後に背後から襲い掛かるのが得策だろう。
やがて人影はなんのイレギュラーも起こさず、さほど時間をかけずにゆっくりとした足取りでホテルの中に消えていく。
だが、その後の事象は四季が頭の中で思い描いていた通りにはいかなかった。
なぜなら手摺の上に足を掛けた瞬間、ホテル全体が比喩でなく物理的に震撼したからだ。
「っと――!」
幸運なことにそのまま転落しするような事態は免れたが、それでも尻餅をついてしまう。
「なんだってんだよ、たく……」
彼が思わず毒づくのも仕方のないことだといえる。それほどまでに、事態が流転するのは早かった。
だからこそ、事態を把握する余裕を与えず――
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最終更新:2008年03月06日 22:31