56 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/01/29(火) 21:04:33
厳かな礼拝堂。神を讃え、神に祈る場。
だが今宵。その主は神ではなく、血の色の瞳と黄金の髪を持つ男であった。
気だるげに酒を飲んでいるというのに、男は聖堂の光を一身に浴びたように輝いている。
男の姿を認めると、綺礼は息を漏らした。
「帰ったか、言峰」
「意外だな、アーチャー。おまえが私を待っているとは」
正直な感想だった。
このサーヴァントは甲斐甲斐しく帰りを待つような男ではない。
「この時代には真の愉しみが少ない。だが、おまえは随分と愉快げだった。
少しは我の無聊を慰める話があるだろう?」
アーチャーは杯を乾し、祭壇に体を預けたままで綺礼を見下ろした。
「大したことではない。桜の背を押してきただけだ」
「時臣の娘か。十年来仕込んだ愉悦だ。なるほど、おまえには愉しみであろうな。
それで、一体どんな仕掛けをしてきた?」
この話をするのが、綺礼は気が進まなかった。何かを愛でるときには一人の方がいい。
しかしアーチャーという手札を掌中に収めておくためには話さざるを得ない。
「アレは好戦的だが冷めるのも早い。令呪を放棄せぬよう、戦う理由を与えてやった」
「ふん。自分では戦えぬか、時臣の娘は」
「だが外から理由を与えてやれば、驚くほどの粘りを発揮する。
あれだけ与えれば、死の際まで戦い抜くだろう」
それが桜との十年で出した結論だった。
内側は脆いが、外側には堅固。桜という娘の生来の性質なのだろう。
黙って見ていては何の面白味もないが、餌さえ与えれば愚鈍なまでに道化を演じるのだ。
理由さえ作ってやれば、桜は決して諦めない。たとえ蟻地獄に嵌っていようとも。
二ヶ月の準備期間は桜の闘争本能を冷ましたが、戦力的には充実した筈だ。
そして戦う理由。桜が後に引くことは有り得なくなった。
「はぐらかすな、言峰。何をしてきたのか、はっきりと言え」
「兄弟子として、後見人として、すべき事をしただけだ。
師の剣をくれてやり、アレの母の話と、冬木市内の犠牲者について教えてやった」
「剣? 時臣の胸を抉ったものか?
く――はははははッ! 何故捨てぬのかと思っていたが、嗜虐のためか!」
綺礼の脳裏には、鮮明に記憶が浮かび上がっていた。
最後まで綺礼を疑えずに死んでいった時臣。
父の命を奪った剣を、父の形見として受け取った桜の表情。
どちらも思い返すだけで、綺礼の舌に甘さが蘇る。
「蹴散らすのみの価値もない儀式だったが。
――よかろう。此度、我が手ずから聖杯を取り返してやろう」
アーチャーの言葉に、綺礼は眉を跳ね上げた。
「ほう。十年前のような敵はそう現れんぞ?」
「無論、我を満たすには程遠かろう。
だが道化が踊るのだ。王としては見てやらねばなるまい」
「ふむ。ならば、少し手を貸せ。アレは若さ故に、付け入られる隙も多い。
現に魔術協会と聖堂教会が圧力をかけようと人を送ってきている。
数が多く、私が大っぴらに排除するのは難しい」
「道化の踊る舞台に闖入者、か。
我が手を下すに足らぬ輩だが……まあ考えておこう」
よほど退屈しているのか、アーチャーはらしくない答えを残して聖堂を後にした。
輝きの失せた暗闇に綺礼は残り、聖母を象った装飾を見ていた。
時臣の後継者として、葵の娘として、冬木の管理者として、桜は戦い続けるだろう。
その先に、どんな至福を与えてくれるのか。
思考する綺礼の目は限りなく優しく、まるで子を慈しむ親のようだった。
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最終更新:2008年03月06日 22:46