「午前の練習はここまで!
一時のミーティングまでに昼食を済ませるように!」
綾子の声が、弓道場に響き渡った。
全員が一礼すると、それまでの静寂が嘘のように喧しさが弓道場を覆う。
本来、口数の多い生徒たちだ。それを統率してしまう綾子の力量は大したものだった。
「ふん、偉そうに」
士郎の横で的を射ていた慎二が、鼻を鳴らして弓道場から出てゆく。
綾子もそれが目に入っていただろうが、気に留めることもなく片付けの指示を出していた。
片付けはテキパキと進んでいく。
反抗的な部員は慎二の他には居ない。
自分より反抗的な部員がいると、慎二がその部員を締め上げるからだ。
その偏屈さのおかげで、結果的に部内は纏まりやすい状態になっていた。
奇妙な互助関係である。
慎二と綾子は天敵同士なのに、組み合わせとしては上手く回っているのだ。
だが火消し役として二人の間に入る士郎は、手放しで喜んでばかりもいられない。
それは一成と慎二、あるいは一成と綾子の間でも同様だ。
彼らの間には緩衝材が必要なのである。
「美綴、ちょっといいか?」
「いいけど、手短に。このあとに生徒会長と戦(はなしあ)いがあるから。
…まったく。あんなに予算を減らされたら、痛んだ弓も代えられないっていうのに」
武道は休憩、今はお食事時の筈なのに、綾子の目には闘気が燃え盛っていた。
君子危うきに近寄らず、という言葉が士郎の頭を過ぎる。
だがこのまま綾子を解き放っては、一成の身を危険に晒すことになるだろう。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。士郎は覚悟を決めた。
「なあ、その話なんだけど」
「その話って何よ」
「予算の話だ。話し合いが平行線になってるんだろ?
だから、お互いに頭を冷やそうって提案が来てるんだ」
「提案? 誰からよ?」
「生徒会の
遠坂桜って子から」
「ああ、あの子ね。
で?」
「…で、っていうと?」
「だから話の中身は? それとも中身はないの?」
言葉遣いこそ大人しいが、綾子の口調は空恐ろしいものがある。
怒りを抑えているのが、士郎にもよくわかった。
沸騰しそうなヤカンの真下に居るようなものだ。火を消し損ねると火傷は必至だろう。
「中身はある。大丈夫だ」
「何が大丈夫なのよ?」
「いや、その。
…ともかく、美術部のモデルをやって欲しいって話なんだ」
「……はぁ?」
「ちょっと落ち着いてくれ。今から説明する」
噴火直前の気配を察し、士郎は慌てて説明を始めた。
一成の格差是正策は、文化部の不満を受けてのものであること。
ならば文化部の運動部への感情良化で、予算編成が楽になること。
美術部は文化部有数の大所帯であること。
美術部のモデルの需要と供給がアンバランスであること。
納得がいったのか、綾子の温度は幾らか低下したようだった。
「…ふーん、わかったけど。でも、大した効果はないんじゃないの?」
綾子は冷めた眼差しで言った。
「でも、このままじゃ纏まる話も纏まらないだろ」
「まあ、そりゃそうだけど…。そもそも、うちの誰がモデルなんて引き受けるのよ?」
綾子に言われて、士郎は考えた。
桜からモデルになって欲しいと要請されたのは士郎一人だ。
しかしこの流れなら、もしかすると綾子を道連れに出来るかもしれない。
プライドの高さ故に、話し方次第では綾子が承服する可能性も低くはないだろう。
士郎はちょっと腕組みをして、首を傾げた。