787 :もしも遠野志貴が引き篭もりだったら ◆4OkSzTyQhY:2008/03/04(火) 06:39:55


 アスファルトの寝台の上で、遠野四季は目を覚ました。
 そう珍しいことではなかった。彼は自由だ。何をするも勝手だ。ただし、金銭の関わらない事柄に限定されるが。
 それでも概ね満足な生活だといえた。食料に困ることはないし、彼の身体は外気の寒さに震えることもない。
 そもそもしばらく前まではもっと酷い暮らしぶりだったのだ。いまあるなけなしの自由さえなかったのだから。
 彼はゆっくりと身体を起こした。全身が痛む。まるで高いところから叩き落されみたいだ。
 そして酷くふらついた。が、これは痛みのせいではない。
 恰も身体の中から大切なものが抜け落ちてしまったかのような、そんな感覚が体を支配していた。
 実際、色々と失っていた。大量の血液と、臓器をいくつか。常人だろうが超人だろうがとうに死んでいる筈の損失である。
 それでも、彼は人ではない。だから生きていた。生きているのなら、損失はいくらでも補える。
 立ち上がる。すでに身体は動くようになっていた。
 空はまだ暗い。再び身を隠さなければならない時まで、まだ時間はある。
 彼は夜の下を歩き出す。怪物の時間は続いているのだ。下手に動けば、再びあの化け物達と出会うかもしれない。
 それでも彼は苛立ちにまかせて、近くにあったゴミ箱をチンピラの如く蹴りつけた。
 割と容赦なく蹴っ飛ばしたので、青色のポリ製容器は中身をぶちまけながら吹っ飛んでいく。
 しかしどうやらそれは近くの飲食店御用達の物だったらしく、散らばった生ゴミから耐え難い饐えた臭いが広がり始めた。

「……糞ったれ、胸糞ワリィ」

 頭を片手で掻き毟りながら、唾と一緒に呪詛を吐き捨てた。
 不思議と苛立っていた。殺されかけた直後にしては怯えもせずに、ただ怒っていた。
 彼は、自分が何故苛立っているのか覚えていない。
 それをいうのなら自分が生きている理由もあまり覚えていなかったのだから、些細なことといえば些細なことだろう。
 それでも彼は己が生存している理由を考える余裕もないほど頭にきていた。
 胸中にあるのはぐちゃ混ぜの感情。思い出せないのに確かにあると断言できる記憶。
 ――その見通せない極彩色の奥で、誰かが哂っていた。

◇◇◇

 ネロ・カオスは勝利を確信していた。もとより混沌に敗北は有り得ないが。
 出会った者は彼から逃れられず、そして彼を打倒することはかなわない。
 目の前で腹部を串刺しにされている異形も同じだった。どうやらそれなりに死に難い肉体ではあるようだが、それだけだ。
 不死性という点だけ見れば、復元呪詛を持つ死徒のほうが幾らか優れているとさえいえる。
 だがあれは死徒ではない。おそらく人工の後天的性質でもないだろう。故に、サンプルになりえる。
 最初の内は抵抗を見せていた獲物もすでにおとなしくなっていた。
 体中の腱や筋肉が損傷して、もはや満足に動くこともかなわない筈だ。死んでいても不思議ではない。
 ――頃合か。
 ネロは百舌の群れをさげさせた。三十の鳥たちが、彼の中に戻っていく。
 どのような力を持っているのか見定めようとして嗾けたのだが、どうも大した力ではないらしい。
 ならば、あとは一飲みにするだけだ。
 廊下を進み、壊れた非常用ドアを潜って外気に触れる。
 手すりの向こう数メートル先に、ほとんど襤褸切れ同然のそれがキチン質の槍で縫いとめられていた。

「――ほう」

 それはまだ生きていた。無事な部位など一欠けらもなく、寧ろ怪我の集合体といった方が相応しいほど満身創痍。
 だが生きている。そして、生きようとしている。
 自ら命を絶ちたくなるような惨状の中で、それはまだ死を拒絶していた。
 感心するほどの生き汚さ。
 どこまでも死なぬことに執着するその有様は、同じく不死を目指した者として感嘆に値し、そして――

「無様だな」

 ――同時に、嫌悪感を催させる光景だった。
 永遠を目指す彼らにとって不死とは至高であり究極。もっとも誉れあるべきものでなくてはならない。
 目の前のこれは、あまりにも不体裁すぎる。

「故に、喜べ。私という存在の中で永遠に生きられるのだから」

 混沌をひとつ、解き放つ。出てきたのは巨大なあぎとを持つ鰐だった。
 目の前の獲物を視界に映し、黒い怪獣がのそりと動き出す。
 手すりを越え、巨大な蟷螂の前脚を道として、四季に肉薄する。
 それは、生命を刈り取る死神としてはあまりに緩慢な動作だった。
 それでも四季はこの死を防げない。逃げようとしても、身体はすでに動かない。

 だから、もしも彼が助かるのだとしたら。
 それは遠野四季以外の要因によるものでしかありえない。

 ネロ・カオスは六百六十六にして一。一にして六百六十六。
 故に、たったいま這い出た鰐もネロ・カオス自身に他ならない。
 だから鰐の黒い瞳にそれが移った瞬間、ネロ・カオスは理解した。
 どこまでも純粋。どこまでも利己的。そしてどこまでも死なないことに拘ったそのサンプルの瞳。
 それに、ネロは見覚えがあった。
 ――死に際に来て、浮上したのか。
 ネロの瞳が僅かに見開かれる。有り得ざる邂逅を疑うように。
 だが見間違えるはずもない。それは、かつての盟友が宿していた瞳だった。

「真逆、貴様――今代の蛇か?」

 答えはない。四季の目は虚ろで、もはや焦点を結ぶことさえできないらしい。
 だから、確信した。
 優れた魔術師としてのネロ・カオスの眼が。
 『遠野四季』という余分がこそぎ落とされた今、その眼球の奥に沈殿するアカシャを捉えた。
 ミハイル・ロア・バルダムヨォン。かつてネロと共に永遠を目指した同士である。
 だからこそ、ネロはロアの『転生』の仕組みを理解している。
 同様に、何故いまだにロアとしての人格が顕れていないのかもすぐに看破できた。
 ロアは人格を依り代にして顕現する。おそらく、何らかの要因で顕現前に元の人格が壊れてしまったのだろう。
 ……ネロとロアは『かつて』の盟友だ。今となってはさほどそれを重要視する気はない。
 もとより、今のネロは真の意味での混沌になりつつあるのだ。昔ほどの人間味はそこにない。
 ――故に、これを最後の義としよう。

「貴様に授けられた『創世の土』の知識。その恩をここで返す」

 表面に浮上していなくても、ロアという存在はこの中に寄生している。
 ならばそれを呼び覚ますことなど、ネロ・カオスにしてみれば造作もないこと。
 四季をぶら提げたままの蟷螂の腕が動き、ネロの目の前まで死体一歩手前の物体を運んでくる。
 その口元に、ネロは自分の右手を翳した。
 ほどなく手首から、どろりと黒く粘る液体が染み出してくる。
 失われた人格を取り戻すには、過去の記憶等から再形成するのが一般的である。
 だがただ呼び覚ますだけならば、そんなまどろっこしい真似はしなくていい。
 指向性を持たせた混沌を流し込み、ロアとしての人格を強化、固定。しかる後に浮上させる。

「そういえば、混沌を操る術も蛇からの教授であったな……奴め、見越していたか?」

 生命の雫が、一滴、ぽかんと開いている四季の口に零れ落ちる。
 ――まさに、その瞬間。
 彼らの足場たるKホテルは、
 唐突に、何の前触れも虫の知らせもなく、
 食事中の獣も、先ほど悲鳴をあげた少女も、何もかもを巻き込んで、
 ――全壊した。

◇◇◇

 ネロ・カオスが四季の中のロアを見抜いたように、この町には同じくロアを判別できる者が存在していた。
 それもネロのように過去に出会っていたという不確かな絆ではなく、もっと強固な鎖によって結ばれた者が。
 ……ネロ・カオスがロアの存在に気づいた時、四季の中のロアは狂喜した。
 意識下の存在というのも憚るほど微弱な物だが、それでもロアはそこにいて、そして哂った。
 それが十八代目のロアにとって、初めてとることのできたもっとも大きな活動だったのだ。
 ――ならば、それをどうして彼女が見逃せよう。
 Kホテル崩壊一秒前。彼女はそこから数キロほど離れた地点にいた。
 だがそんな距離はなんの制限にもならない。月にでも逃亡しなければ彼女からは逃れられない。
 彼女は飛んだ。数キロを一回一瞬の跳躍で零にした。
 それでいて、彼女は衝撃波や反動といったものを一切生み出さないのだ。
 それはもはや超人、怪物という呼称ですら生温い。
 彼女こそが無敵であり最強であり、かつて最高の栄華を誇った王族が擁する処刑人。
 Kホテル崩壊半秒前。もしもKホテルの上空を望遠鏡で観察している暇人がいたとしたら、
 その暇人は星のない曇天に、だが一点の穢れもない白色を見ていたはずである。
 あれは何だ? 鳥か? 飛行機か?
 ――いや、吸血姫だ。

◇◇◇

 己を押しつぶしていた瓦礫を押しのけ、ネロが立ち上がる。
 この程度では彼を殺せない。彼を消滅させるには、それこそミサイルでも持ってこなければならない。
 重要なのは――『それ』にとって、この程度の力の行使は威嚇にしか過ぎないということだった。
 それはただ爪を振るっただけだ。ただ一度だけ、己の持つ最弱の武装を行使した。
 ネロ・カオスは振り向いた。そこにそれがいると知っていた。
 堆く聳える瓦礫の山。その上に、彼女は悠然と存在していた。
 足場にしているのはただの残骸だというのに、彼女が在るというだけでそれはどんな精巧な舞台装置よりも美しく見える。
 白い吸血姫。死徒たちが太陽よりも恐れる存在。

「蛇の気配を嗅ぎ付けたか――アルクェイド・ブリュンスタッ」

 言葉は最後まで紡げなかった。
 彼女がそれを許さなかった。ただのひと睨み。それだけで、ネロ・カオスが爆ぜる。
 空想具現化――死徒の原点たる真祖が持つ超常の力。
 だがそれをもってすら混沌は滅びない。
 散り散りになったネロ・カオスの欠片は、瞬時にそれぞれが獣に変じた。
 それは犬や鳥などといった、先ほど四季に差し向けられた小物とは比較にもならないほど強大な生命。
 グリズリー? トラ? そんな常識に当てはまるモノは一匹もいない。
 翼ある馬。王冠の紋様を持つ毒蛇。火を吐く鰐。鉄の骨を持つ河馬。一つ目のケンタウルス。
 すべてが強力な幻想種。現代の魔術師が擁する使い魔など足元にも及ばない。
 布陣の展開は一瞬だった。白色の処刑人の周囲を黒の獣性が取り囲み、そして一斉に飛び掛かる。
 爪牙が閃き、炎が空間を焼いた。毒が空を埋め尽くし、その淀んだ中空から巨体がのしかかった。
 だけど、それだけ。
 アルクェイド・ブリュンスタッドには、なにも触れられない。
 彼女は飛び掛る脅威を一瞥すらしない――否。彼女にとってそれは文字通り眼中にない。障害となりえない。
 襲い掛かる端から獣は例外なく弾け飛んだ。まるで彼女の周囲に見えない壁があるかのように、一定以上の距離には進入できない。
 ただ立っているだけでこれである。
 ならば、彼女が戦闘行動を起こせばどうなるか。
 彼女の瞳が焦点を結んだ。王族の瞳、その金色で瓦礫の山の頂点に殺到する獣達を睥睨する。
 魅了の魔眼。死徒によく見られる魔眼であるが、気をしっかり持っていれば耐えられる等、その力は大したものではない。
 だが、それを用いるのが彼女であればどうなるか。
 圧倒的であった。視線を浴びたものは、すべてが彼女の手を煩わせずに死ぬことを至極とした。
 バジリスクが共食いを始め、クェレブラーが自らの毒で死に、最強の竜種までもが己の舌を噛み切った。
 喜びに打ち震えながら自己を食い破り、数百の幻想種が一瞬で全滅した。

「……もとより獣で殺しきれるとは思っていなかったが――よもやここまで差があるとはな」

 混沌をひとつに纏め上げて、ネロ・カオス。彼女を見上げる形で、彼はただ立っていた。
 彼女はすでにこちらを見ていない。彼が脅威でないと理解しているのだろう。

(小癪、といいたいところだが、事実であろうな)

 あの金色の前に、いったい如何な隠し事がまかり通るというのか。
 彼女が自分を鼻にも掛けないのは慢心でも油断でもない。それが厳然たる事実だからだ。
 ネロ・カオス。彼が真祖狩りに抜擢されたのは、真正面から対峙して死なずに済むのが彼だけだったからである。
 永遠を命題としていた彼の不死性は祖の中でもなお抜きん出ている。

(それだけでは奴めを仕留めることは叶わん、か。私も白翼公も、アレの実力を見誤っていたな)

 当然といえば当然だった。彼女と戦って生き延びた死徒は存在しないのだから。
 いや――ひとりだけ、いたか。
 ネロ・カオスにも切り札がある。それを伝授したのもその死徒――ロアだった。
 そしてそのロアこそが、アルクェイド・ブリュンスタッドがこの地に出現した理由でもある。

(ならば当然、姫君は――)

 ――気づけば、その真祖の姫がこちらを見つめていた。
 魅了の魔眼。それがこちらを直視していた。
 それが意味するところは一つだけ。
 ロアの居所を吐け、とその瞳が全力で強制してくる。
 二十七祖でも、下位のものならば抗えなかったかもしれない。総てを飲み下す金色の魔眼。
 だが、ここにいるのは――

「無駄なことだ、真祖の姫。私は六百六十六の群体。
 獣単体ならいざ知れず、私達そのものを支配することは如何に貴様といえども不可能だろうよ」

 ……そんなことは彼女なら言わずとも分かることだろう。
 つまりこれはネロ・カオスに対する事前通告に他ならない。
 情報を渡さないならば、滅ぼすという通告だった。
 そしてその交渉は決裂してしまった。
 ――故に、姫君が足を踏み出す。
 明確な殺気を放ちながら、ネロへと向かって。

「面白い。ならば日が昇るまで根競べと行くか、姫君――!」

 再び獣を放つ。先ほどよりもより一層根源に近い幻想の種を混沌から練り上げた。
 ――この勝負に決着はつかないだろう。ネロは胸中でそう断じていた。
 単純な力だけでは、自分が滅ぼされることはない。
 自分には相手を倒す鬼札があるが、その札を切るにはベットが足りない。
 ならば、その分の賭け金を持ってこなければならない。
 その当てはすでにつけていた。先ほど発見した盟友である。
 ……もっとも建物崩壊の折、咄嗟に獣を使って逃しはしたのだが、
 途中でロアの宿主が覚醒したらしく、運搬していた獣は殺され、その後の足取りは分からない。
 だが、とりあえず生きていることは分かっているのだ。ならばここは姫君よりも早くに盟友を探さねばならない。
 その為にも、彼は今ここで姫君を抑えていなければならなかった。

 ――やがて、朝が来て日が昇る。
 そこに広がる廃墟の上には、誰も存在しなかった。

◇◇◇

 遠野四季は夜道を歩く。元から自分を追っていた者達に、抗し難い混沌が加わったことも知らずに。
 もはやこの町は彼にとって死地以外の何ものでもない。
 それでも彼はそれを知らない。故に、彼は夜道を行く。
 時間は無限にあるわけではない。彼は行動を決めなければならない。
 四季は――

――interlude out――

【選択肢】
食:体を修復するために、獲物を探す。【賑やかな所へ】
喰:体を修復するために、獲物を探す。【人気のない所へ】
休:今日はもう疲れたので、獲物は明日探す。


投票結果


食:3
喰:5
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最終更新:2008年04月05日 18:11