22 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/03/11(火) 22:33:20
抵抗することも出来ない力で引き摺られる経験。
歯車のように、何か大きな流れに組み込まれた感覚。
どれだけの人が、そんな経験をしているのだろうか。
士郎はその経験がある。
たしか飛ばされた慎二の帽子を取りに停車中のトラックに登ったときの事だ。
袖が荷台に引っかかってしまったのだが、運転手は士郎に気付かずに発車したのだ。
あのときは慎二が事の発端だった。
橋から落ちたときも、車に轢かれたときも慎二が絡んでいた気がする。
そして今も慎二が来ていて、何かが起こるだろう。
だが慎二に悪気はないのだ。あのときも、今も。
「ぐ――ッ」
士郎の右腕を慎二が掴んだ。
強い力で体が引っ張られ、浮き上がった。
白馬。何故こんなものが。
女、誰なのか。
慎二は助けに来たのか、何故。
ともかく、あの巨人の恐怖から生き延びられる。そう思った。
そして気付いたときには、士郎と慎二は土蔵に突っ込んでいた。
「な、何なんだ…?」
士郎が事態を理解するのに数秒を要した。
つまり慎二は失敗したらしい。
考えてみれば、男一人を片腕で引き上げるのは困難な仕事だ。
逆に士郎の重さに引っ張られ、落馬して土蔵まで吹っ飛んだようだ。
不時着した慎二は地面にキスしたまま気絶している。
「うーん……とにかく何とかしないとな」
慎二の存在が士郎の意識を明瞭にしてくれていた。
このままでは慎二も殺されるかもしれない。外では女が死んでいるかもしれない。
嫌だ、というよりも恐怖がある。焼けるような右腕も、意識の外へ追いやれた。
「同調(トレース)、開始(オン)」
普段ならば数十分かけて作り上げる魔術回路。それを数秒で作り上げた。
驚くべきことだが、理由を探る余裕はない。
続けて、脇にあった木刀に魔力を流し込んで『強化』した。
ここ数年は成功しなかった魔術。これも何故か容易く上手くいく。
後がないと、いつもより集中できるということか。
「…よし」
無事な左腕に木刀一本。
あの巨人に対するには如何にも心許ないが、やるしかなかった。
土蔵から踏み出す。覚悟は出来ていた。
だが。
巨人の斧が振るわれる度に、庭の地面が弾け散る。
白馬に乗った女が射かける矢は、巨人に一条の傷すら与えていない。
女は上手く立ち回っていた。不規則な動きで的を絞らせない。
だが、それも僅かな抵抗だ。女は巨人に勝てない。それだけが痛いほど理解出来る。
士郎は立ち尽くした。
一体、何を勘違いしていたのか。アレはそも人間が対抗など出来ぬ存在だ。
生きているのが僥倖。士郎に出来るのは、土蔵で祈ることだけだったのだ。
「――あ」
何度目かの炸裂。巨人の斧があらゆるものを吹き飛ばす。
衝撃と轟音を引き連れ、瓦礫が士郎を襲った。
土蔵の扉に叩きつけられる。
右腕から熱が抜けていく。血で無いものも失っている気がした。
「……くそっ」
ただいつものように帰宅した筈なのに、歯車は士郎を捕まえて放さない。
このままでは死ぬ。自分も、女も、きっと慎二も。
逃げれば、巨人は士郎を追うかもしれない。そうなれば二人は助かる。
追われなければ、助けを呼べる。ただ当てはなかった。
士郎は魔術師だ。目の前の出来事が警察の手に負えるもので無いことは判る。
イリヤが簡単に止まるとも思えない。彼女は尋常な倫理の持ち主ではない。
考えるほど、無力さを思い知らされた。
だが蹲って待つなど、士郎には無理な相談だった。
土蔵から風の抜ける音がしていた。
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最終更新:2008年08月19日 02:46