梯子から降りた桜を、サーヴァントが出迎えた。
「中にお入り下さい、マスター。私が片づけますので」
純白の鎧から声が響く。どこか不安定さが残る高さ。まるで声変わりの最中の声だ。
今は兜で見えないが、顔もどこか幼さを残していた。
とはいえ、英霊は最盛期の姿で召喚されるという。
実際に何歳まで生きたのかはわからなかった。
「うん。じゃあ、お願いします」
寒さに震える桜はサーヴァントの言葉に素直に従った。
居間の食卓には、ハーブの香るティーポッドが用意してあった。気の利いたものだ。
「あったかい。ほっとするなぁ」
湯気上るお茶を飲み下すと、全身の強張りが解れていく。
垂れてきた鼻水をティッシュで拭い、桜は椅子に深く腰を下ろした。
クッションの柔らかさに身を委ね、目を閉じる。
考えてみれば、この数ヶ月は緊張が解けることが無かった。
来るべき聖杯戦争に奮い立ち、怯えてきた。
サーヴァントの召喚に躊躇いがあったのも、触媒への不安からでは無かったのだろう。
きっと怖かった。戦争に向けて覚悟を決め、準備を整えてきた。
けれど、怖かったのだ。殺し合いの一員となる一歩、それを踏み出す勇気が無かった。
それでもサーヴァントを呼び出した。彼は目覚めた。
後悔は無い。あとは進むだけ。ようやくスタートラインに着いたのだ。
遠坂桜は遠坂家の誇りと名誉に従い、勝者を目指す。
それこそが、今まで遠坂として生かされてきた桜の負った義務なのだ。
「あ、そうだ」
血の巡りが良くなるにつれ、自分のすべき事が桜の頭に浮かんできた。
まず、失くした家伝の宝石を捜すこと。
館の中ならば使い魔に命じて探させれば見つかるが、外はそうもいかない。
あのペンダントを持ち歩いて、どこに行ったかを思い出さねばならない。
宝石魔術を使える魔術師は多くない。仮に他のマスターが拾っても使えないだろう。
だが桜にとっては大事な切り札であることに違いは無いのだ。
他には、ガラスの修理もしなければならない。
幸いにして魔術で壊したわけではないから、修復魔術で容易に直る。
そしてマスター登録。教会が勝手に定めたルールだが、従った方が良いだろう。
どうせ遠坂のマスターは拠点も存在も知れている。
ならばルールを無視するより、従うことでメリットを享受するのが賢い選択だ。
更に、今後に向けて、サーヴァントと話しておく必要もあった。
「……うん、出来ることからやっていこう」
桜は掃除用の使い魔を呼び出し、ペンダントの回収を命じた。
細かな判別は出来ないため、館の中のペンダントは全て回収することになるだろう。
しかし確実である。これで見つからなければ、館の外で落としたということだ。
件のコートを着て、となると、機会はそう多くはない。
霧島と会ったときか、綺礼と会ったときか。
そういえば一度だけ魔術協会の監視役とも会った。
桜が協会の圧力に押し負ける格好で派遣されることになった一団だ。
マスターとしてではなく、難癖を付け、聖杯のおこぼれを拾うために来た連中だった。
綺礼が対応していればともかく、桜にはその要求を撥ね退ける力が無かった。
あれで自分が子供だと、未熟なのだと思い知らされた。
桜はため息をついた。
後悔しても仕方が無かった。宝石は失くし、あの一団も来た。事実は変わらない。
何が大事なのか。これから出来ることは何か。それが問題なのだ。