369 :ファイナル ファンタズム ◆6/PgkFs4qM:2008/04/01(火) 00:06:39


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 空は暗転。風は些か肌寒く。
 何とはなしにブレーキをかけて天を仰げば、数刻前の晴れ様は嘘のように幕を変え、
 白い雲は排気ガスの如く不浄の黒に染まり太陽の光を虚弱に貶めていた。
 すうっと周囲に漂う、微かな湿り気を含んだ空気。
 気のせいか、いつも通りで見かける野良猫も今日に限って姿を見せない。
 こんなことなら、日頃の煩わしさにかられることなく、
 マメに天気予報をチェックしておくべきだったかもしれない。
 とはいえ、引き返すにしては微妙な距離。
 ずれかけた眼鏡を定位置まで戻した後、止まっていたペダルに力を入れて、
 漕ぐのに夢中になって人を轢かないよう慎重に回し始める。
 そうだ。せっかくの機会だし、帰りはひとつ限界まで飛ばしてみよう。



「ただいま、桜」
「!」

 何度思い描いた言葉か。
 微かな期待と僅かな諦念を胸に秘め、声の主へと振り向けば――――
 しかしそこには先日帰国した姉の姿しかなく、
 間桐桜が切望した少年の姿はどこにも見当たらなかった。
 もう幾度目かとなるユメの裏切りに、少女は暗く肩を落とし、
 妹の願いに応えてあげられない姉は申し訳なさそうに顔を逸らす。

「……あ、そうだ。ねえ、桜。確かまだアンタに渡してなかったわよね?
はい、ロンドンのお土産。すごいわよー、コレ。数量限定のレア物で――」
「いいです。いりません」

 言ってから自分のあまりの身勝手さにハッとなり、弁解を試みようと慌てて姉の方を向くも――――
 その顔が傷心に塗れたものではなく、こちらを真に心配した憂慮を秘めたものと知り、やめた。
 嫌な空気が二人の間を漂う中、ポチャリと小気味良く響く滑らかな音色。
 ――そうだ。代わりに深い闇を含んだ縁側へと立って、水のぶつかり合う音を聴くことにしよう。
 目を閉じて耳を澄ませば、液体独特の不思議な音調が軽やかにテンポを刻み、
 指揮者などいないというのに、それがどうしてか妙に心地良く響く。
 ふと、そういえば間桐の魔術属性は水だったな、と桜はどうでもいいことのように大切なことを思い出した。

「雨、止みませんね」

 ポチャポチャ、ザァザァと織り成す、透き通った自然のトーン。
 雨と一緒に大気を惑う風も、心なしか常時より吹き荒んでいる気がする。
 ――ああ、そうだ。二つ目の発見。ライダーったら、今日傘持って行かなかったっけ。

「桜……。衛宮君は、もう……」
「嫌です」

 言われて姉は如何程の意味を悟ったのか、
 釣り目がちの瞳は滑稽に見開かれ、縁側に佇む妹を呆と瞠る。
 波乱を越えて姉妹間の確執が取り除かれた今でも、桜は姉の“こういう所”が受け付けられなかった。
 露に濡れた桜の花は、四季に一度限りの可憐な小輪をものの一晩で散らしてしまう。
 少年が姿を消してから、およそ一年の月日が経とうとしていた。


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 この手を離さない理由はない――というより、先ず前提からして掴む理由がなかった。
 まさか自ら火に飛び込む虫ではあるまいに、理性と危機感の網目をすり抜け、
 己の行動によりもたらされる結末を度外視した反射的衝動。
 生憎と、巻菜は自虐嗜好など持ち合わせていない。

「離しなさい、マキナ」

 先程よりも、若干の怒気を含めた通告。
 ハッタリである――――。
 長年模倣を頼りとして生きてきた巻菜だけに、
 彼女の嫌悪も苛立ちも全ては自分を退けるための抑止でしかなく、
 実際は毛ほども危害を加える気はないと看破できた。
 だが、常に模倣してきたからこそ、この予測不能の事態がどうしても理解できず、
 むしろ受けた衝撃に心が蹂躙され、脅迫を吟味するどころの話ではなかった。
 自身の意思に関することに限り、巻菜の思考レベルは幼児以下の未発達さを呈してしまう。

「わからないよ……。私、どうして手を離さないのかな?
 何でだろ。いくら考えても、どうしてもわからないよ……」
「アンタ……」

 張り詰められていた召喚士の顔が驚愕に見開かれる。
 当然だろう。かつての知己とはいえ、今もなお命を懸けて対峙している相手だというのに、
 その相手に救いを求めて縋りつくという矛盾。
 一体、何処の世界にそんな軟弱な敵対者がいるというのか。
 以前に巻菜の異常な性癖を打ち明けられた過去のあるバタコだったが、
 まさかこれ程までに深く暗く歪んでいたとは思いも依らなかったらしく、
 どういう対応をすべきなのか逡巡している風であった。
 果たして少女の告白に何を実感したのか、彼女はそれまでの険を含めた表情を嘘のように収め、
 微かな苦笑を浮かべ、まるで出来の悪い教え子に諭すようにゆっくりと言葉を紡いだ。

「……マキナ。アンタが腕を離さない理由はね、
 他でもない、アンタが自分の意思でお姫様を守ろうとしている証明だからでしょう?
 でなきゃ、わざわざ体を張ってまで、彼女を庇おうと前に立つ理由がないじゃない」
「守る……って……ハハ、冗談は止してよ。奪ったり利用したりこそすれ、
 生粋の悪魔憑きであるこの私が、誰かの益になるコトなんてする訳ない。
 しかも自分の意思? ふふ、あはは……。それこそ冗談。
 無いから模倣してるんじゃん。バタコさ、私の話忘れちゃった?」

 正当な言い分を返し、覚えのない言い掛かりを論破したものとして前を向くも――――
 視界に入ったのは、盛大な溜息を吐きヤレヤレと肩を竦める姿。
 己の半分以下の身長しかない、
 ともすれば幼児として通せる女が呆れかえる様には流石に耐え難いものがあったが、
 頬を上気して突っかかるより先に、背中越しにかけられた声が躍起になる足を寸での所で縫い止める。

「待つんだ、マキナ」
「莫耶……」

 振り返った先には、震える四肢を無理に押さえつけ、再度地面を踏みしめるべく力を込める騎士の姿。
 ……あまりの驚きに気を駆られ、理由も分からずあれ程固着した腕だというのに、
 反面、余波によりあっけなく解いてしまう。

「忝い。貴女が身を挺して守ってくれたおかげで、どうにか動けるまでには回復できた……。
 ……本当に、いくら礼を言っても言い足りない。ありがとう、マキナ」
「……やめてよ」

 声の主は、あろうことか自分を『守ってくれた』と勘違いし、
 全くその気のない相手を讃える間抜けっぷり。
 加えて、極めてボロボロな風体のクセに尚も立とうともがく様が、漠然と渦巻く不快さに拍車をかける。

「……すまない、待たせた。再開しよう」
「ええ」

 片やふらつく体でどうにか剣を構え、片や傷一つ負うことなく印を組む。
 既に結果は見え、分かりきった未来に徒労を費やす、愚者の振る舞い。
 巻菜の短い生涯から算段し、あらゆる角度から見積もっても、
 最早これ以上続ける意味など見出せなかった。

「まだ……続けるの? もう、やめようよ。これ以上やって、何が得られるというの?
 バタコもさ、もう気が済んだでしょ? 別にあなた達の事情なんて知らないけど、
 無くなったモノがどうにかなる訳じゃないんでしょ? 意味なんて無いよ……」
「――――それはできない。生き残った者には同じく生き残った者の憤りを受け止める義務がある。
 ……マキナ、少し下がっていてくれ」
「――――それはできない。生き残った者には、亡くなった者の無念を心に留める道義がある。
 ……マキナ、今度は手を出しちゃ駄目よ?」

 うろたえる少女に言い付けを残し、
 恐らく、これが最後になるであろう決着の対峙へと向かう両者。
 自身の命を天秤にかけて張り詰めた面持ちも、ここにきて未だ衰えを見せぬ覇気も、
 闇を傍に侍らせ続けてきたと自負する巻菜を以ってして尚のこと烈しく、理解の範疇の外でしかない。
 敢えて評するのなら、異常、だろうか。
 ――――否、違う。
 異常である自分が他者を異常と嘲笑うなど、まこと愚かしい戯言に過ぎないではないか。

「――――参る」
「――――来なさい」

 決着は、殊の外早くに帰結した。
 騎士は猪の如く、馬鹿の一つ覚えに突貫し、水色の貴婦人に向けて刃を振り下ろす。
 当然、召喚士はその無謀に呆れ返りながら術式を組み、
 騎士との距離が縮まるまでに迎撃の用意を整える訳だが――――
 今回はどうやら普通の斬撃ではないらしく、それを確認した彼女の頬に一筋の汗が垂れる。
 白銀の刀身には、どういう訳か、澄んだ輝きを無粋に歪ませる炎が宿されていた。
 急ピッチで氷魔術の標的を騎士から刀身にずらし、冷却。
 氷には炎。シンプルかつベストな策はここに空しく潰え去り、
 後は待ち受ける結末を如何に受け入れるか、歩む道が一つに収束されようとしたその時。

「――――!?」

 ひび割れた鎧の内側から取り出された翼が、大河の流れに巨石を投ずる。
 ――――イカロスウィング。
 常日頃から本を読み耽っていた巻菜だけに、
 一目見ただけで騎士の持つ謎の道具の正体を看破することができた。
 自身の限界を超えた力を引き摺り出す劇薬――――
 半強制的に肩の筋肉を酷使させ、失いかけた膂力を補う強壮剤。
 反面、その強い効果は生体に対する作用が強く、
 連続して服用すれば生命すら危ぶまれるという、まさに毒を呑む行為。
 事実、彼女の右肩は常識にある稼動範囲を超え、
 耳を澄ませば筋肉の千切れる音が聞こえてきそうな程、無茶苦茶な角度にまで曲がっていた。

「くっ、う――――!?」
「あ、あぁぁぁぁああああッ!!」

 召喚士にとっても彼女の突然の爆発力は予想だにしなかったものらしく、
 迎撃らしき用意などまるで出来ていない。
 焦げた刀身に二度目の炎を纏わせ、かろうじて胸の前で交差する貴婦人の腕を力任せに叩き落す。
 ――――だが予想外は騎士にとっても等しく訪れた。
 急激な温度変化と、直後に起きた衝撃に耐えられなかったのだろう。
 炭で穢れ、銀の煌きを失った刀身は、呆気ないほど粉微塵に砕けた。
 氷の婦人の散り散りとなる腕の破片に混じり、負けじと小さな欠片が光の中に溶け込み合い、
 きらきらと細やかな粒子が宙を舞って光を乱反射し、淡い輝きが辺り一面に満ち溢れる。

「……あ」

 ふと、そんな他愛も無い現象に魅入っている自分に気付く。
 ただ破片をばら撒いただけの座興でしかないというのに……。
 それでも、せつに思った。――――ああ、綺麗だな、と。
 しかし戦いは自分の感傷を厭うことなく、既に佳境へと入っていた。
 剣を失った騎士。使い魔の腕を失った召喚士。どちらが優勢なのかは殊更語るまでもないだろう。
 これから予想通りの出来事が起ころうとも。
 起こり得ぬ奇跡が起きて思いも依らぬ結末になろうとも。
 正真正銘、次が最後である。
 だから、考えるよりも先に叫んでいた。
 生憎と、音は聞こえない。時間も止まっている。
 自分が何を言っているのかもわからない。仮に応援だとしても、一体どちらを応援せよと言うのか。
 ただ、わかったことが一つ。
 この止まった時間の果て、巻菜の声を耳にして変化した両者の柔らかな笑み。
 心がなくても理解できる。いつだったか思い出せないが、それはかつて目にした親愛のソレだった。
 バタコが水色の魔方陣を腕なしの貴婦人の前に収束させる。
 剣を失い右腕も壊れた莫耶が、残った左腕を貴婦人の前に構える。
 ただ、結末の所以を問われるとすれば――――単純に、覚悟の優劣だったのかもしれない。

「……あーあ。やっぱり、敵わなかったか」

 それは剣を失った騎士の最後の技。癒しを旨とする白魔法に唯一存在する攻撃魔法。
 白魔法、ホーリー。
 文字通り最後となる閃光の猛威は、体内に蓄積するあらん限りの魔力が込められており、
 あれだけ少女を苦しめた氷の婦人を丸ごと覆い尽くし、塵一つ残さず消滅させた。
 召喚獣を失い魔力切れとなった召喚士は剣を無い騎士以上に無力であり――――
 したがって、両者の亡国の因縁を巡る決闘は、ここに幕を閉じた。

「大切な人の無念を晴らすことは、出来たか?」
「――――ええ。お蔭をもちまして、気持ちの区切りをつけることが出来ました」

 それを聞き、心底満足そうに微笑みながら――――前のめりに倒れる。
 慌ててバタコが駆け寄り、それに続いて巻菜も後を追う。
 途端、周囲を覆っていた氷の結界は気化し、解かれた牢獄に伴い士郎とカレンも急いで足を入れる。
 不意に口元に当てた手が異変を察知する。
 信じられないことに、自らの顔が自分の意思を離れて動いているではないか。
 この戦いが終わった今でも、どうしてあの時、腕を離さないことに固着したかは定かではない。
 それでも、巻菜は自分の意思で笑えるのだ。
 だから今だけは、胸に湧くこの温かな気持ちを大切にしていたい……。


――Interlude out.



Ⅰ:闇の王に会いに行く
Ⅱ:突然、カレンの腹が裂けた
Ⅲ:探し人も見つかったし、別れていた仲間と再会もできたし、帰る


投票結果


Ⅰ:5
Ⅱ:1
Ⅲ:1

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最終更新:2008年08月19日 03:24