466 :ファイナル ファンタズム ◆6/PgkFs4qM:2008/04/08(火) 21:32:17
過ぎ去る事象は振り向くことすら許されず。――――それは一瞬の出来事だった。
目を逸らすより先に、網膜の表層を焼いていく白い激痛。
こちらがそれと知覚する刹那、仄暗い、一歩先すら定かではない闇の中、
眼前に広がる氷のサークルから幾条もの閃光が線となって漏れ走り、周囲を包む黒いカーテンを引き裂いた。
「これは……っ」
「……!」
息をのむ俺達二人を置き去りにし、瞬時に浮き彫りとなっていくズヴァール城の様相。
突然の異常の訪来に身を震わせて慄くも、変わり行く事態は思いを巡らせる暇も与えず、
強烈な閃光はすぐに収まり、後には静かな沈黙だけが残される。
次いであれだけ手をこまねいた氷の牢獄が紐解くように上気していき、
兎にも角にも確認せずにはいられなかった中の様子をはっきりと露呈させた。
慌てて顔を突き出し覗いた先には――――いったい何が起こったのか、
前のめりに倒れ伏す少女の姿と、看取るかのように傍に侍る二人の少女の姿。
一にも二にも無い。それだけ確認した以上、衛宮士郎にとって、他に取るべき行為など残されてはいない。
「莫耶! バタコ! 巻菜!」
脊髄反射で三人の名を叫び、顔を強張らせる彼女らの元へと駈け走る。
当然だが先ず何よりも懸念すべきなのは、
傷つき、果たして生きているのか、身じろぎ一つ見せない莫耶の容態。
せめて仰向きだったならばもう少し詳しい具合を把握できたものの、
うつ伏せという表情の確認できない体勢が尚のこと得体の知れない寒気を煽り、
こうして全てが終わった後だというのに、微塵も緊張を解く隙間が見出せなかった。
「本当なら……」
「…………」
「本当なら、もっと楽に戦いを済ませようと思うのなら、
始まってすぐ術者である私を斬れば済む話だったのに……。
ごめんなさい。私がいつまでも未練を引き摺っていたから……
彼女が、それを一身に受け止めようとしてくれたから……」
「……そういう後ろ向きなことは言うな。
お前と莫耶は正々堂々と戦い、過去の癒着に決着をつけた。違うか?
なら後悔なんてするな。終わってまだ躊躇していちゃ、立ち合った莫耶に失礼だ」
しゅんと肩を落とすバタコを尻目に、鎧が砕けて肌を露出させた肩を抱き、
一抹の恐ろしさを抱きながら地面に張り付いた顔を剥がしてこちらへと向き直す。
……そう。まず何よりも俺を不安に駆らせるのは、この体躯から生じる底抜けの冷たさ。
白い肌はあたかも陶磁器の如く非人間的な白みを帯び――――
その色合いとは間逆に、黒く壊死しかけた冷たい指先。
力無く、壊れた玩具のように垂れる右腕。そのすぐ傍に置かれた、柄だけ残して刃のない剣。
そして――――深く瞼を閉じ、生気を失った綺麗な顔。
何の覚悟もなく……否、予め構えていた覚悟をそれ以上に巨大な事実が易々と乗り越え、
最奥に位置する衛宮士郎の心を容赦なくズタズタに引き裂いていく。
思い出せ。本当に、数分前の自分はこの結末を覚悟した上で尚彼女らを見送ったというのか?
対峙した両者の片方を失ってしまう可能性まで考慮し、
手を伸ばせば届く距離にある彼女らの肩を止めずに見過ごしたというのか?
――――本当に、甘い。
きっと信じていた。確信を裏打ちする理由を備えること無く、
必ず二人は手を取り合い、果ては笑って解決できるものと楽観していた。
いつか訪れるであろう最悪な未来に目を背け、勝手に未来を自分の都合の良いものへと捻じ曲げ、
そして子細違わずそうなるものと信じていた。
……なんて愚か。その結果、今自分の腕の中にいる彼女はどうなった?
俺を無垢に慕ってくれた幼い彼女も。その後に再会し、俺を助けてくれた彼女も。
初めて喧嘩して、俺に本気で怒りをぶつけてきた彼女も。……残ったものは、ただ冷たく空しい抜け殻だけ。
ああ、まったく……。悔しくて、悲しくて、俺は――――――――
「……士郎? 生憎と、まだ抜け出ていない魂を導くことは教義に反するのですが……」
「ぐすっ。……はん?」
「あの、昇天させろということですよね?」
眉を“八”の字に下げ、割と本気に悩みだす性悪シスター。
そんな彼女から慌てて抱きかかえた彼女を庇い、今度は細心の注意を払って容態を検めてみれば――
微かにだが、確かに上下する胸の鼓動がそこにあった。
「――――――」
いったい、この湧き出る気持ちをどう表せというのか。
惜しむらくは未熟に過ぎる語彙の貧弱さ。
動かそうと躍起になる唇はわなわなと震え、
声を発する筈の咽喉からはガス欠の排気管のように短く刻んだ息を吐き出すばかり。
カチカチと震える歯。舌は毒にかかったみたいに痙攣を起こし、思うようには動いてくれない。
――――だから単細胞でデリカシーのない俺に出来ることといえば、
気の利いた言葉で飾ることなく、ただ率直に、今の気持ちを言い表すしか仕様がなかった。
「良かった……」
止め処なく溢れる涙は何滴も眠れる頬を濡らし、白い肌に細かい飛沫を作る。
その度に眼下の彼女は夢の中で不可解な事象に遭遇しているらしく、
目を瞑ったまま怪訝そうに顔を歪ませた。
生きていてくれて、本当に良かった。ただ、感無量の想念しか浮かんでこない。
見れば、傷を負わせた当人であるバタコも、
彼女の生存を確認して胸を撫で下ろしたらしく、柔和な目尻に薄っすらと涙を浮かばせていた。
だが傍らのシスターは何を考えているのやら、彼女の無事をしかと見届けた直後、
裾部分の埃を掃ってすっくと立ち上がり、そしてどうしてか涙に蹲る俺にも起立を求めた。
「立ちなさい、士郎。そろそろ向かいましょう」
「? 向かうって、どこにさ?」
一瞬の沈黙。
次いで驚きに見開かれた丸い目から若干の侮蔑を含んだ細い目へと形を変え、溜息をこぼす。
「……呆れた。貴方、その娘のことで頭が一杯だったのね。
ですが強制はしません。元々行きたいと言い出したのは私なのですもの。
ええ、貴方が嫌だというのなら、私一人でも……」
「いや、だから訳がわからないって。さっきから何のことを言っているんだ?」
俺にもわかるよう説明してくれ、と彼女に促すも、今度は悲しげに眉を傾げ、
その様はいつものいじめっ子気質と相反して映り、正直ちょっとどうするべきなのか手に余った。
「…………。……嘘つき。私と一緒に闇の王を助けるって言ったのに。
ジュノの夜景を見ながら、私を抱き締めながら、一緒に頑張ろうって約束したのに」
「……あ」
「嘘つき……。助平。駄犬。発情期。去勢するべきだわ……」
いけね、忘れてた。
ごめんなさい、闇の王さん。あと後半の文句って殆ど関係ないよね、カレン?
「所在? 一応強制はしませんが、貴女は来るのかしら?」
「……ゴメン。腰、抜けて、立てない……」
「…………」
いよいよもって不機嫌に顔を歪ませ、そのまま黙って背を向けて、何処へと歩き去っていくカレン。
慌ててその後姿に声をかけるも、果たして聞こえているのかいないのか、
カソックを着た黒い背中は何の反応も返さず、返事も寄越すことなく黙々と闇に包ませていった。
「マズイ、追いかけないと。……っと、そうだ。その前に……」
よりにもよってこの寸前で大事なことを思い出し、だらしなく垂れる鞄のたれを乱暴にこじ開ける。
逸る足を抑え、代わりに手を忙しく動かすことで誤魔化し、
一方でカレンとの距離が広がるこの一分一秒に焦りを感じながら無造作に中身をかき回していく。
やがて指先に捉えた、冷たく鋭利な硬質的物体。
――――紛うことなき、かつて少女から預かったクリスタルの輝きである。
「二人とも! ここに残るのなら、莫耶が目覚めた時にこれを返してくれないか?
俺はよくわからないんだけど、彼女にとって大切な物らしくてさ、今まで預かっていたんだよ」
「えっと? 後で彼女に渡せばいいのかしら?」
「その必要はない。これは貴方が持っていてくれ」
突然耳に入った意外な者の声が、半ばまで伸ばしかけたバタコの手を宙に縫い止める。
「お、起きていたのか……。調子はどうだ? 具合はいいか?」
「……クリスタルには、尋常では説明できない不思議な力が宿されているという。
だからもしかすると、いざという要の時に、貴方の助けになってくれるかもしれない」
「お前……」
「もう、貴方やカレンが何をしようと、何も言わない。口喧しく是非を問い詰めたりはしない。
貴方なんて、何処へでも行ってしまえばいいんだ……」
「…………」
「でも、それでも最低限、絶対に守って欲しい約束がある」
開いた目は縋るようにこちらを見つめ――――
某日の、幼き彼女との別れの言葉と全く同じ、懇願の言葉を紡いだ。
「死なないで……シロウ」
「――――ああ。任せろ」
澱みなく返した答弁に安心したのか、
伝えるべきことを伝え終えた莫耶は再び目を閉じ、意識をまどろみの淵へと沈めいていく。
やがてその全てを見届けた俺は、
先に向かったカレンと同じく、蹲る三人に背を向け闇の彼方へと視線を移す。
……最後にとびきりの勇気を貰ったのだ。これで無残な結末にしかならないのなら、嘘でしかない。
「彼女のことは、私に任せて。魔力の切れた召喚士じゃ足手纏いにしかならないし、
せめて私のワガママに付き合ってくれた彼女に少しでも恩返しをしたいの」
「私は……情けないけど、正直さっきのでいっぱいいっぱいで、立てない。
……ゴメン、肝心な時に。帰ってきたら、埋め合わせをさせてよ」
「うん。――――じゃあ、行ってくる!」
そのまま背を向けて、ひたすら前を目指して駈けて行く。
この期に及んで振り返りなどしない。
一度目は応えてあげられなかった願いも、二度目は返事を寄越すことができた。
バタコの迷いも晴れた。巻菜だって無事だ。
彼女らの戦いは終わった。今度は衛宮士郎と、カレン・オルテンシアの戦いに他ならない。
――――思いの外カレンとの距離は離れていなかったらしく、
易々と黒いカソックの背中へと追いつき、機嫌の悪そうな肩をなるべく軽快に叩く。
予想していた通り弾幕の如く降りかかる毒舌を適当にあしらい、暗い回廊を順調に進んでいくと、
そこに直径一メートル程の魔方陣が描かれてあった。
やや躊躇してから上に乗れば、途端周囲の景色は暗転し、気付けば俺達はそれまでの闇が嘘のような、
明るい(とはいえ、ザルカバードは万年曇り空な訳だが)屋外に出ていた。
そして…………すぐ目の前に構えられた、澱みがかった灰色の、ドーム状の建築物。
距離を空け、尚且つ厚そうな壁で隔たれているというのに、
内から発せられる邪な気配はいくら言葉で取り繕うと誤魔化し様がなく、濃い。
ズヴァール城の頂――――直感を信じるのならば、闇の王がこの中に居るということか……。
「くっ……」
「カレン……」
「この城は、憎しみに満ちている……。行きましょう、士郎」
「…………」
迷いなんて、当たり前に存在する。
被虐霊媒体質。大気に満ちる憎悪の念は彼女にとって毒でしかない。
だが、カレンの願いは俺の願いでもある。
「開けるぞ……」
「ええ」
俺達は手前に供えられた壇を上り、人が通るにしては巨大に過ぎる鉄扉に手をかける。
――――三十年前の北方調査隊。
その最中、地表の裂け目に巻き込まれ、行方不明となったラオグリムとコーネリア。
後に不可解な死を遂げた他四人のメンバー達。
十年後に起きた、闇の王率いる軍勢との戦い……水晶大戦。
恐らく全ての真実を知るであろう男が、この扉の先で待っている。
最果ての地、ザルカバードにて、闇が俺達を待っている。
そうして汗ばむ掌に徐々に力を込めていけば、
重い手応えと耳障りな軋み音と共に、丁度真ん中に当たる正面に黒い縦線が走った。
投票結果
最終更新:2008年08月19日 03:24