704 :ファイナル ファンタズム ◆6/PgkFs4qM:2008/04/29(火) 16:28:52


 眼前に突きつけられる、彼女の傷ついた姿。
 黒いカソックを尚も黒く染め、白い肌を赤く穢す血の流動。
 俯く面差しはこちらの視線に返すこともせず、ただ静かに、薄汚れた床へと埋もれるばかり。
 胸を満たす暗い絶望。
 途端、あれ程燃え上がっていた時間は凍りつき、
 自らの迂闊さ――――彼女を思いやる器の狭さが堪らなく歯痒く、
 際限なく湧き上がる慙愧の念は、剣と化した足を止めさせるには充分過ぎた。
 だが――――

「…………。……よし」

 覚悟を決めるのは一瞬のコト。
 自分の物ではない借り物を勝手に使うのは流石に気が引けたが、
 それでも今彼女を救う手段がこれしかないというのに、何を躊躇う必要があるというのか。
 ……彼女の不機嫌そうに頬を膨らませる様が容易に思い浮かぶものの、
 彼女と再会した折には真剣に謝って、腕を振るった料理をたらふくご馳走するということで勘弁して欲しい。

「……なあ。ほんのちょっとでいいからさ、少し待っていてくれないか?
 なに、ものの十数秒あれば事足りる」
「……?」

 怪訝に顔を歪ませる闇の王を尻目に、刃で覆われた胸に手を当て、例の宝具のイメージを思い描く。
 十年前、冬木の大火災に喘ぐ俺の体に切嗣の機転で埋め込まれ、
 そして、その後に体験した聖杯戦争では、何度も俺を命の危機から救ってくれた至高の宝具。
 加えて彼女が現代へと甦る際に依り代となった、俺と彼女を繋ぐ確かな形の一つ。

「――――同調、開始」

 掌に集まる魔力は焼け爛れた魔術回路を静かに伝い、
 当初の予定より実に呆気なく、体内に埋め込まれた異物の正体を露わにさせていく。
 本来の持ち主の協力が得られないこの状況では抜き出しの成否に若干の不安があったものの、
 十年という長い年月を過ごした実績は、
 Exランクに相当する宝具でも充分な理解と解析に到らせてくれたようだ。
 やがて数工程の要素を省き、胸に宛がわれた手により抜き取られていく鋭く長い二等辺三角形。

「……全工程完了。遥か遠き理想郷(アヴァロン)、抽出成功」

 出来た……完璧だ。
 金と青に彩られた鞘の毅然とした輝きに会心の笑みをこぼすも――――
 誤魔化し様のない激痛が電流の如く胴を走り抜ける。
 力の源泉が抜き取られた当然の帰結。
 崩れかけた体を復元してきた治癒は遮断され、
 蓄積された疲労、そして負傷が無防備な身体を容赦なく打ちのめし、俺の心身を着実に苛んでいく。
 だが、まだだ。まだ、ここで倒れる訳にはいかない。
 倒れるのはコレを彼女に渡してからだ。かつて、切嗣が俺にそうしてくれたように……。

「まさか、それがお前の不死を支えていた謎……アイテムだというのか?
 ……だが、解せぬな。ならば俺に悟られぬよう秘匿し続ければいいというのに、何故わざわざ取り出す?
 何故そこの死に掛けの女の元へと歩み寄る? 己は自分の命が惜しくないのか?」
「……悪いがその問答に構ってやれる余裕はない。
 どうしてか知りたいのなら、しばらく黙って見ていてくれ」
「む……」

 ふらつく頭を押さえ、僅か数メートル先の距離を何十秒もかけて費やす。
 ……足が痛い。腕なんて、重力に任せて振り子の如く左右に揺れる体たらく。
 霞んだ景色はいくら目を擦っても晴れてはくれない。
 それでも。ここで歩みを止めてしまっては、衛宮士郎という“これまで”を形成する全てが潰え去る。
 意地よりも。勝利よりも。思想を飾る大儀よりも。何よりも譲れぬ大切なモノがある。

「……カレン……」
「…………」

 震える指先に力を込め、明確なやり方もわからないまま、
 手に持った鞘を彼女の背中に宛がい、そっと押しやる。
 ……俺の意思を汲んでくれたのか、鞘は難なく彼女の体内へ沈んでいき、
 次いで、裂けた肌を元の透明な白さへと復元させていった。
 その様はまさに時間の逆行を見ているかのように矛盾なく鮮やかで、
 あまりの滑らかさに、自身も体感した現象だというのに知らずと感嘆の吐息が漏れた。

「ふう。……すまない、待たせた。それじゃあ、再開しようか」
「…………」

 能面のように変化のない、
 それでも恐ろしい形相をした闇の王の面貌へ、震える体をどうにか鼓舞して振り向かせる。
 俺だって馬鹿じゃない。
 奴との戦いがいくら負けたくないものであろうとも、
 鞘という最大の守りがない今の俺では、いずれ訪れるであろう結末は変えようがない。
 まず間違いなく、俺は…………ここで死ぬ。

「――――……」

 悔いがない訳がない。未練などいくらでもある。
 だがせめて、願うことならば、彼女には生きていて欲しい。
 この状況が一片の救いもないものだとしても……それが他愛のない個人のエゴでしかないとしても、
 己の生きてきた証を絶望に塗り潰したくなどなかった。
 闇の王が巨大な斧剣を振り上げる。
 目を瞑り恐怖に震えることなどしない。
 ここに来て尚、確実に死ぬと解っていても、負けたくはなかった。
 そして振り上げた刃は激しい加速に包まれ空気を断ち、
 棒立ちの俺の脳天目掛けて真っ直ぐ進み――――、一人の、横から割って入った少女に阻まれた。

「なっ……」
「ば、」

 黒い衣服に包まれ、銀色の頭髪をなびかせる聖女の微笑。
 忽然と訪れた出来事に心臓は一際高く跳ね、
 身を包む憔悴とは反面、首に巻かれた腕から伝う温もりは驚くほど穏やかだった。
 あまりの出来事に竦む俺を、真っ直ぐに見やる二つの金色の瞳。
 そして、何か言葉を発そうと口を開閉する俺を、ただじっと見つめ――――

「ケアル。……私がこの世界に来て、一つだけ覚えた魔術……。
 言ったでしょう? 貴方は私が守るって」

 ――――悪戯っぽく、カレンは笑った。

「ばっ、馬鹿野郎ッ!!」

 覆いかぶさる彼女を撥ね退けようと渾身の力を振り絞るも、意思の速さに体が追い付いてくれず、
 まるで出来損ないの木偶になったように動いてくれない。
 迫る凶刃。動かぬ体。温和な笑みを崩さないカレン。
 俺より遥かに小柄な彼女の体躯が堪らなく重く、
 この時ばかりは世の重力が、カレンの優しさが、己の非力が、この身を焼き焦がす程に恨めしい。

「…………」
「…………」

 一秒が過ぎた。抱き締めた体躯を伝う衝撃は、未だ起こらない。
 二秒が過ぎた。脳裏を掠めるおぞましい惨劇は、未だ起こらない。
 三秒が過ぎた。四秒が過ぎた。
 五秒目が過ぎてようやく目を開き、
 いったい自分達の与り知らぬ所で何が起こっているのか、怯える半眼を彼方へと向けた。
 ――――そこには、意外な形の決着がつけられていた。
 斜に裂けた傷痕を押さえ、手から溢れる夥しい血を垂らし、片膝をつく彼の姿。
 果たして俺達は勝ったのか、負けたのか。
 まるで理解の及ばぬ光景を突きつけられようとも、ただ一つ、確かに言えることは、
 胸に広がるこの想いは釈然としない蟠りに押し潰されていたということだけ。

「……すまない。だが、俺が手を出さなければ、お前達は死んでいた」
「アンタ……」

 声の発生源へと首を巡らせれば、
 いつの間に闇の王の呪縛から脱したのか、血糊の滴る大剣を携え、深く息をつく黒いガルカの巨躯。
 確か名を……暗黒騎士、ザイド。
 二十年前の水晶大戦の折、闇の王と対峙し倒した者。
 ……結果だけに焦点を絞るのならば、
 かろうじて俺達は助かり、世界を滅ぼそうと企てていた闇の王は倒れた。
 現に心を満たす安堵の情は否定できない程に膨張し、カレンも俺も無事だという事実が嬉しくて堪らない。
 だが、これで良かったのだろうか? この結末が、本当に、真に俺達の望んだものだったのだろうか?

「違う、違うわ……。彼は私達を斬ろうとはしなかった。だって、彼は……」
「ああ。闇の王は……いや、バストゥークのミスリル銃士隊隊長ラオグリムは、
 自分を庇った女性が刺されたことから狂ってしまったんだ……。
 今にして思えば、そいつに、俺を庇ったカレンを刺せる訳がない」

 そう。全ては悲しい擦れ違いから起きた。
 嫉妬の炎に燃え上がるウルリッヒの妄執も。ラオグリムを想うコーネリアの優しさも。
 皆の幸せを願い、その守るべき者に裏切られたラオグリムの失望も。

「ラオ……グリ、ム? ……違う! 俺は、俺は闇の王だ! 闇の血族の王、闇の王だ!」
「貴方は闇の王ではないでしょう? 思い出しなさい、自らの真の名を」
「思い出せ、ラオグリム! ガルカの剣士、ラオグリム!!」
「俺、は……。く、ぅ……」

 頭を押さえ、そのビルにも匹敵する巨体を丸めて唸る闇の王。
 ここを訪れる前からカレンは彼を救いたいと語っていた。苦しみから解き放ちたいと語っていた。
 初対面とはいえ、目の前の黒い騎士も、同じく彼を救おうと尽力しているのが見て取れる。
 だが、俺には分かっていた。そう簡単に元に戻れるような苦悩ならば、
 それまで固く信じてきた道の間逆を行き、姿形を変え、こうまで酷く歪んでしまう訳がない。
 ……あの男が、そうだったように……。

「……いや、違う。確かにかつての俺は、一人の人間……ガルカだった。
 そして、種の記憶を引き継ぐ者、語り部だった。遠い昔の様々なものを宿していた。
 あまりに多くの憎しみと、哀しみ……。それ故に、一度闇に捕らわれれば、
 そこから抜け出せなくなってしまったのだ。果てしない、憎悪と狂気の闇から……」
「…………誰だって、良心に恥じ入る負の心は持っています。
 だけどそれは、隠匿するからこそ罪にはならない。解き放ってはならない、律すべき感情。
 貴方はそれを憎悪の赴くままに解放した……。そんなこと、決して赦されることじゃない。
 二十年前の戦火によって天に召された幾千幾万の魂が貴方を赦さない。
 でも、それでも貴方が望むのなら、私は貴方を赦したい……。
 もう貴方は三十年も苦しんだのでしょう? なら――――」
「……人は、優しい、暖かい光を湛える一方で、闇夜よりも濃く、深い暗黒を抱えていることもある。
 誰もがその危うさを秘めているのだ。そして、その危うさを捨てたとき、人は人でなくなる……
 しかし、俺は昔の俺ではない。人間ではない。引き返せはしないのだ、もう……」
「ラオグリム……」

 目を落とし自らの体を眺めるラオグリム。
 そこには黒く変色した身体に歪な突起物。
 節くれだった手足に、醜い悪魔のような顔と角が生えた頭と肩。
 沈黙が辺りの暗闇を彩る。誰も、彼の苦悩を取り去ってやれる者など、いなかった……。
 やがて一言も発さぬまま時間は流れていき、
 二分、三分、それが永遠に続くのではないかと思われた時。
 突然、遥か奥の闇の中から、甲高い、裂けるような音が響いた。
 ぱん、ぱん、と電気が爆ぜる時に発する音。
 やや遅れてから、それが手と手を打ち合わせて生じるモノだと気付いたものの、
 それでもあまりに場違いな音が尚のこと腑に落ちず、俺達は四人合わせて首を巡らせた。

「中々面白いショーだったな」
「もうちょっと頑張ってくれれば、もっと楽しめたのに。やっぱり駄目だね、ガルカじゃ」

 身に掛かる闇を祓い現れた者は、金色の髪を腰まで伸ばした凛々しい壮年の男と、
 同じく金色の髪を短く整え、本来左目がある場所に黒い眼帯を纏った小さな少年。

「お前達!? ジュノの大公とその弟……? どうして、ここに?」
「大公、だって?」

 旅先で幾度か世話になった国、ジュノ大公国。
 そしてその国の首長を務め、
 二十年前の水晶大戦の折には三国を纏めあげ、獣人血盟軍に立ち向かった指導者、カムラナート。
 だが、わからないのは、何故その大公がここに居る?
 ここは闇の王の居城、ズヴァール。決して、気軽に散歩へ出掛けるような場所ではない。
 裾を掴むカレンの手に力が篭もる。
 ああ、わかっているさ。こいつら……何かおかしい……!

「誰の良心も咎めぬ良い作戦だった。
 ……蒔いた種の収穫にきたのだよ。お前達も、よく役目を果たしてくれた。無能なりに、な。
 まだ雑魚共の始末が残っているが、そちらはどうとでもなる」
「何の話だ? お前達は、いったい何者なんだ?」
「聞け、現世種よ。いずれクリスタルラインが復活すれば、神の扉が開く……。
 その時こそ、伝説の真世界は甦るのだ」
「そう、神々の住まう真世界、永遠の楽園……。ジラートの、一万年の夢が、ついに現実になるんだよ」
「ジラートだと!? お前達、まさか……失われた古代人だというのか? 大昔に滅んだといわれる?」
「ジラート? 古代人? さっきから、何を言っているんだ、アンタ達は……?」


 祝福されしヴァナ・ディールの地に、
 おおいなる災いが満ちる。
 何万年の長きに渡り
 暗黒を退けていた古の封印が破れ、
 終わりなき悪夢が目覚めようとしている。
 罪なきものの血が大地を流れ、
 世界は恐怖と哀しみ、
 絶望に覆われるであろう。


「ふん、馬鹿なガルカめ。みんな、カスみたいな生命さ。お前ら人間も、獣人共も。
 前にも言ったろ? 僕らの世界は誰にもあげはしないってさ。
 獣人や人間なんかには渡さない。“僕らの”なんだから」
「不純物とこの地の力との接触は絶たれた。ノイズはなくなったようだな。
 二十年前の時は、まさか単に滅ぼしただけではノイズは消えないなど、思いもしなかった」
「要らぬ手間がかかったよ。
 僕らには、そいつをクリスタルから解放してやるなんて芸当は、出来そうになかったからね。
 しかし、まさか語り部と感応者が同じ場所に居合わせているなんて。
 渡りに船……ちょっと面白いことになるかもな。まあ、それはいいや。
 ――――ああ、聞こえる……生命の歌が……来るよ、クリスタルの遣いが……」


 だが、希望がないわけではない……。
 どんな嵐の夜をも貫き、
 輝くひとつの星がある。
 どんな獣の叫びにも消されず、
 流れるひとつの唄がある。


「所詮この世界は神の墓場であり、お前達は屍に蠢く虫けらでしかない。
 そろそろこの世界には、死んで貰うとしよう。聞け、我らが希望の唄……お前達の弔いの唄を!」


 そうだ。
 知恵と勇気と信念を携えた、
 誇り高き者……
 さあ、深き眠りより醒め、今こそ立て、
 伝説の勇者達、クリスタルの戦士!


「さあ、この地上より、歪な悪しき者どもを一掃するのだ。
 今こそ目覚めよ、かつて世界を救った大英雄……クリスタルの戦士よ!」



Ⅰ:クリスタルの戦士(Ⅰ)1
Ⅱ:クリスタルの戦士(Ⅲ)3
Ⅲ:クリスタルの戦士(Ⅴ)5
Ⅳ:クリスタルの戦士(ⅩⅠ)11


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最終更新:2008年08月19日 03:25