183 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/06/03(火) 19:47:02
結論から言えば、戦闘はあっさりと終結した。
いや、それは戦闘と呼べるほどのものではなかった。
狩られる側に回るなど一考だにしていなかったのだろう。
魔術師はアメンボのように用水路を這っていた。
哀れ、彼は抵抗する暇も無く、サーヴァントの徒手の一撃に昏倒したのだった。
「拍子抜けだなあ……」
盗用、もとい徴収したボートの船底に転がった魔術師を見て、桜は呟いた。
本物のアメンボでも、子供の投石を避けるぐらいはする。
だが、魔術師は何の盛り上がりも無く捕まった。
初の実戦に出た桜の昂揚も、今やすっかり醒めてしまっていた。
「もとよりマスターでもない魔術師。私が遅れを取ることはありません」
「そりゃあ、そうなんでしょうけど」
「被害が拡大する前に捕らえたことは喜ぶべきことでしょう」
兜の奥で、サーヴァントが言った。
この魔術師も、一般人には脅威だったろう。それは間違いない。
しかし綺礼が、この程度のことで愉しめるのか。あれほど嬉々として語っていたのだ。
「…とにかく港まで行きましょう。工房は壊しておかないと」
流れに従い、ボートは特に漕がずとも、港へ向かっていた。
二人はしばらく押し黙った。
エンジン音も無い静寂。星空の映える水路が移ろいゆく。
船上で異変があったのは、そんな風雅な光景の中だった。
「え?」
桜の背後で音がした。
『影』で縛られた魔術師に動きは無い。
だが船底のシートの下で、何かが蠢いていた。
「何が……?」
サーヴァントも、その異状に注視した。
「魔力に動きは、」
「ありません。そうなると……」
そうして、ソレは静かにシートの覆いから姿を現した。
名前はあえて考えなかった。
それは中々に巨大で、黒光りし、太古より決して人類と相容れない存在。
二人は顔を見合わせた。
そして相争って、船先へと駆け上がった。
「ちょ、ちょっと! 貴方は英霊でしょう! 何で逃げてるんですか!」
「緊急避難なるものがあります。時には後退が必要とされるのです」
「たがが虫一匹に緊急避難しないで下さい!」
「それは誤りです。当該生物は、視覚的危険に疑いの余地がありません」
「ただ気持ち悪いってことじゃないですかっ!
そんな理由で、騎士のクセに逃げていいんですか!?」
「騎士の果たすべきは、貴婦人への奉仕と名誉ある戦いです。
あのような生物との格闘は義務の埒外です」
「わたしだって貴婦人ですよ!?」
「騎士を投げ飛ばす貴婦人はおりません」
二人は言い合い、押し合い、小さな舟はガタゴトと揺れた。
そして、件の生物が羽を広げた。
絹を裂くような桜の悲鳴が、水路に響き渡った。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
数億年来の仇敵が飛び去っていくのを見届け、桜は胸を撫で下ろした。
「正に危機一髪でした。軌道が少し違えば、御顔が襲撃されていたやもしれません」
「ええ、本当に。危うく令呪を使わなくちゃいけないところでした」
桜はしばらくサーヴァントを睨みつけた。
ガサゴソと不吉な音がして、二人は飛び上がった。
一匹いれば、という教訓は、人間の遺伝子に深く刻まれているのである。
「…マスター。私は霊体化して、偵察に赴こうかと」
「ダメ。絶対ダメ」
桜は恐怖から目を逸らすように、舟の行き先へ顔を向けた。
「ほら、そこの船着場まで――」
サーヴァントの手が、不意に桜の肩を掴んだ。
一瞬遅れ、生温かい液体が桜の首筋に触れた。
船底に転がっていた魔術師。
胸に刃が突き立ち、赤水が噴き出していた。
その様は、まるで公園のオブジェのようだった。
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最終更新:2008年10月07日 18:14