261 :Fate/Rise of the Zilart ◆6/PgkFs4qM:2008/06/14(土) 22:48:30
涼やかに吹き荒ぶ大気のうねりが縮れた髪を梳かし、
密生された屑糸を掻き分け、隠された地肌を冷やしめる。
ふと、そんな他愛ない一場面に気を惹かれ、何とはなしに周囲を見渡せば、
じわりと湿度を含ませた風が頬を濡らし、穏やかな波の音色が静謐に耳をノックした。
闇を満たすせせらぎに混じり、鼻腔を刺激する爽やかな潮の臭気。
そして、道端には水溜りも浮かぶ、鼠が住む如く陰鬱とした岩窟の奥に映る、
ちらほらと、しかし、確かな人の形。
海蛇の岩窟――――。
以前俺達が旅をしたミンダルシア大陸の遥か南方、
エルシモ大陸において陸地の大半に密生する大森林の更に奥地、
そこには西端に掘られた長大な岩穴があった。
名前の由来は、岩穴を掘ったとされる獣人サハギン達が崇拝する
巨大な海蛇が住んでいたことに由来するらしいけど、
正直それは今の俺にとって興味ある逸話ではないので、深くは聞いていない。
元の世界では幻想の一種として数えられる怪物、サハギン。
これは完全についでの話なのだけれど、
まるで魚に直接手足が生えた外観に、それに似つかわぬ高い知性を併せ持ち、
他の獣人と比べて流暢な言語を扱うとのこと。
この海蛇の岩窟には強いサハギン達が山ほど居て、
中には話せば分かる友好的な奴もいるらしいのだが、
迂闊に出歩いては骨にされるのがオチという話だ。
尤も、それ以前に、こんな薄暗くて不気味で、
そこら中濡れっぱなしの場所なんて、誰が好き好んで訪れるというのか。
では何故、こんな薄気味悪い場所に人が居るのかだが……
これにはちょっとした理由がある。
「おっ、もう起き上がって平気なのかい?」
思考を一時中断して声の主の方へと振り向けば、丁度帰って来たらしい木造船舶の甲板から、
荷袋を背負った女性が縄梯子を伝い降りてくる途中であった。
さして頑健でもない細い体なのに抱えた荷物は彼女の半分近くの大きさを占めており、
足場の危うさも加わって、余計なお世話だとわかっていても、
見ているこっちとしては非常にはらはらしてしまう状況だ。
もしもの可能性を頭に浮かべてしまった以上、とにかくいてもたってもいられず、
俺は考えるよりも先に、彼女に向けて声を掛けていた。
「サリサさん、危ないぞ! 代わりに俺が持つから、そこから落としてくれ!」
だというのに、俺の言葉を受けた彼女は、
直後拍子抜けしたように呆気にとられ、何が可笑しいのやら、
紫色の髪を棚引かせながら、にやりと頬を緩ませた。
「大丈夫だよ。それに、こんな距離から落としたら、お前の方が下敷きになっちまうだろ?
生憎と、俺はそこらにいる男どもの数倍丈夫に出来ているんでね。力仕事なら任せろって」
「で、でも……」
「そうそう、今日は大収穫なんだ。
デカい商船が船団を組んでいたおかげで、無駄に多く通行料が手に入ったよ。
荷物を全部下ろし終わったら、早速宴会の準備だ。
お前の分も取っといてやるから、参加しろよな」
言い終わるより早くサリサさんは梯子を下り終え、
朗らかな笑みを湛えながら岩窟の奥へと姿を消して行った。
そのすぐ後に、意気揚々と歩を進める彼女に続き、
船内から何人かの逞しい男達が現れ、荷箱を脇に抱えながら大股開きで下り立って行く。
決して日の光の当たらぬ海蛇の岩窟の最奥に作られた町、ノーグ。
人相の悪い男や見慣れぬ装束に身を包む人間が大手を振って歩き、
用途の判明しない種々雑多な道具を詰めた木箱がそこら中に安置されている。
そこに住む全ての住人が他者から財産を奪う海賊行為を生業とし、
禁制された物品を売り捌く密売組織を兼ねた暗黒の町。
そして、俺達がクリスタルの戦士と戦い、敗れ、後に流された場所がここだった。
非合法な暴力行為により罪無き人から金品を奪い、
そうすることでしか糧を得られないならず者の集団。
本当ならこんな悪事見逃していい筈がないのだけれど……
助けてもらった恩義に加え、あくまでも通行料として積荷の“一部”を要求する行為が、
俺達三人世話になっている手前、
情けない話だが、俺の抗議をぎりぎり咽喉の奥まで仕舞い込ませていた。
「ふう……」
吐く息は少々複雑なもので……。
誰かに依存し続けなければ生きられない人の性を、この時ばかり意識したことはなかった。
「ああ、言い忘れていた」
「うっ」
思わずぎょっとして振り向けば、
視界の端には荷袋を下ろし手ぶらになったらしいサリサさんの姿。
「何だよ、『うっ』って。案外失礼な奴だな、お前」
「ご、ごめん。そ、それよりっ、何か用があったんじゃないのか?」
驚く俺にむっとしたらしく不機嫌そうに顔を歪ませる彼女だったが、
すぐさまお茶を濁したのが功を成したらしく、淀むことなく話の先を進めた。
「いや、ちょっと困ったことになってさ。
参ったことに、今日の戦利品に並ならぬ極上のモノが混ざっていてね。
どうしたものか処分に窮しているんだよ」
「なんでさ? 極上って……そこは喜ぶ所だろ。
ああ、うん。本当なら元の持ち主に返すのが堅気人の行うべきスジなんだけどさ」
俺の言葉を受けて、彼女は『うーん』と重そうに頭を傾かせる。
はて、彼女は一体何に対して戸惑っているのだろう?
本来なら盗られた持ち主の方が困惑するのが常識だというのに、
盗った海賊の方が困惑するだなんて、こんなおかしな話があってたまるか。
「盗ろうと思って盗ったモノなら、俺だって黙って喜ぶんだけどさ。
逆に、盗ろうと思わないのに盗ったモノは、心が受け付けてくれないっていうか……
俺の長らく経験してきた海賊のプライドが許さないっていうか……」
「何だよそれ。もったいぶるのなら、聞かないぞ」
「それは困る。何故なら先方はお前を指名しているのだからな」
「えっ……?」
「出ておいで」
言ってから、彼女の足元からひょっこり飛び出す季節外れの雪兎。
「あっ」
瞬間、全ての時が止まった。
かつて見た純朴なる眼差しも、穢れを知らぬ無垢なる指先も、
口元に湛えた優雅な笑みも、抱き締めたくなるくらいあの頃のままで――――
染み一つない白い体表に、目一杯泣き腫らしたかの様な赤い瞳。
そうだ。確かに“それ”は、見紛うことなく、兎に違いなかったろう。
しかし、それならば、目端に浮かぶ輝きは、
笑みの裏に隠された微かに震える唇は、何を意味するというのか。
「…………」
ジメジメとした薄暗さを宿す岩窟とはあまりに見合わぬ綺麗な白に見惚れたから――――
粗野な印象ばかり漂う海賊の町において、あまりに清らかだったから――――
だが、それだけではここまでの驚愕に身を包むことなどあり得まい。
“彼女”が自分にとって、狂おしいほどに大切な女性だから――――
だから、俺は今、思うまま涙を零したくて、
その小さな体を思い切り抱き締めたい衝動に駆られているのではないか。
「会いたかった……シロウ……」
「イ、リ、ヤ……」
俺の手を掴む指先は冬を示す容姿に違わず冷たくて……
もう一年が経とうというのに、記憶にある姿とは何も変わらない彼女を目にし、
衛宮士郎を守る防波堤は呆気なくも斜に亀裂が走る。
抱き締めたい。以前と同じように、その小さな体を覆い包み、僅かな体温を存分に感じ取りたい。
でも、俺は……。
「……髪、真っ白になっちゃったね……」
投票結果
最終更新:2008年10月07日 21:44