「ぼぶぼばぶばあ!」
止めろ、と言いたかったのだが、慎二の口からは妙な声しか出なかった。
海風に乗って最高速に達した白馬は疾風の如く空を駆け抜ける。
闇夜を射抜く白い風は幻想的で圧倒的であったが、同時に殺人的でもあった。
如何に神秘で護られているとはいえ、空気抵抗は恐ろしいものだ。
生身で白馬の背に跨る慎二は呼吸するのも困難を極めた。
口を開いたが最後、閉じることすらままならないのだ。
「ち、間に合わぬかもしれん!」
流石はサーヴァント。ライダーは風を受けながらも平然としていた。
彼女はタップする慎二を気にも留めず、未遠川を遡ってゆく。
焦りに頬を紅潮させるライダー。
酸素不足で黒ずんでいく慎二。
二人を乗せ、白馬は数多の灯りを置き去りにしていく。
後塵には、撒き散らした鼻水と涎と涙が共に夜風に吹かれていた。
無論、慎二のものである。
「……む」
ライダーが呟き、腿の締め付けを解いた。
応じた白馬が脚を緩め、並足へと歩を変える。
そのおかげで慎二は、この世への復活を果たした。
「……が、おま…………ふざけんなよ!
急に走り出しやがって、ゲホ、死ぬかと思っただろ!
くそ……僕が乗ってるときはスピードを考えろって言ってあるだろうがっ」
「トオサカとそのサーヴァントが敵サーヴァントと交戦していたのだ。
場所は橋の下だ。姿形からすると、敵はアサシンだな」
「あんな遠くから見えたワケ? 嘘吐けよ」
「我らの奉ずるは狩猟の神だ。加護を受けた私の遠方視力は、貴様と比べ物にならぬ」
「……ふーん。見えたって言うなら、それでもいいけど。それで?」
「うむ。トオサカの危機だったようだから、この仔を駆けさせたのだ」
「いや、そうじゃなくて。
僕が組んでるのは衛宮で、遠坂じゃないんだけど?
おまけに僕らは魂狩りの魔術師を探してる最中だし」
「魂狩りはアサシンの仕業だと考えれば、しっくり来るではないか。
ヤツは一般人をコソコソ襲うには適任であろう。それに」
「それに?」
「――あの娘は特別なのだろう?」
ライダーが意地の悪い笑みを浮かべる。
慎二はぎょっとして、そっぽを向いた。
いつの間にそんな情報を仕入れたのか。
確かに、慎二は
遠坂桜に若干の恋愛感情を抱いている。
ちょっとトロそうなところがいい。
凛という姉妹を持つ慎二にとって、女の子はそのぐらいの方が好ましいのだ。
すぐに尻を蹴っ飛ばすような凛が良いなどとは、よほどのマゾ男しか言うまい。
「ふ、ふん。別にどうでもいいけど、助けに行ってやっても構わないよ」
「そうか。残念だったな」
「残念?」
「あの娘、もう危機を脱した」
慎二は口をひん曲げ、不機嫌を露にした。
横に伸びた鼻水のせいで、実に滑稽な顔だった。
ライダーが忌々しげに冬木大橋の方角を見つめた。
「トオサカのサーヴァント……まだ情報が無いのはランサーとアーチャーか。
しかし、どちらにも見えんな」
「槍とか弓は見えないだけだろ、どうせ」
「そうかな。あの宝具といい、私にはイレギュラーにしか見えん」
「どんな宝具だって?」
「盾だ」
「盾ぇ?」
ライダーは刺さるような視線を送り続けていた。
慎二は好機を逸したことでいじけ続けていた。
「ともあれ、戦闘は終わった。何が起きたのか、アサシンも引き上げたようだ」
ここに留まる必要なし。
ライダーの手綱に従って、白馬は首を巡らした。