728 :アトルガンの娘 ◆6/PgkFs4qM:2008/08/15(金) 17:40:55
分厚い皮の靴底からは、一歩を踏み出すたびに硬質的な音階が奏でられ。
幅広く奥へと続く街道に敷き詰められたタイルの枚数は数えることすら億劫で。
つい数刻前にその上に立っていたであろう、
或いは蛇と人の融合した死者、或いは二の足で大地を踏みしめる蜥蜴、
或いは鉄と筋肉の鎧に身を包む妖精といった、人外の怪物達……。
いつかの書籍で目に触れたバーラトにも似た景観に
幻想世界らしからぬおかしさを感じながら、
コンコンと控えめに、胸に秘めた期待と微かな歓楽を悟られぬよう留意しつつ、
目の前に据えられた塊を柔和に握られた掌で叩く。
それと同時に堅い材木の板張りで作られた物体からは乾いた空洞の音が響き、
板と板の合わせ目から空気が抜けるより早く、
扉から飛び出た部屋の主は訪問者である私の手を親しげに組んだ。
「……セイバー!」
「アフマウ」
扉から覗く顔は無垢の光を湛え、未だ穢れを知らぬ純粋さを含んだ眼差し。
彼女は以前不覚にも海原を漂っていたところを介抱してくれた恩人にして、
私がこの世界で一番初めに出会った人間だ。
まだあどけなさの残る顔立ちと頭の後ろで結ばれた金色の髪が愛らしく、
一層目に付く赤い衣が艶やかな花を連想させる。
「ヨっ! 無事、マムークかラカエッてキたヨウダナ!」
アヴゼン。
常に少女の傍らに寄り添う紅い人形。
人形……の筈なのだけれど、少女の指先から伸びる繰り糸はおろか、
一切の接続がない状態で動いたり喋ったりするのはどういう理屈なのだろう?
お喋りに過ぎる陽気な声はまさか少女の腹話術なワケがなく、
人間の子供のように一挙手一投足はしゃぎ回る様は真の生者そのもの。
人形は繰り手の指先を離れて動き、
糸を必要としない動作は正道を遥かに超越して生を得る。
傀儡師である筈の者は操る人形と至って楽しく雑談までする有様。
故に人は呼ぶ。
一握りの敬意と親愛を込めて――――無手の傀儡師と。
で、何故に今、私は恩人でもある彼女の元を訪れたのかというと……
「くんかくんか」
「…………」
「う~ん、運動した後だから汗を掻いているのかな?
私も丁度まだだし……一緒にお風呂入ろっか、セイバー。
その後は着替えねっ。今日は貴女のためにとっておきの衣装を縫ったのよ」
「ノヨッ! ノヨッ!」
言いながら、隠し切れぬ悦楽の笑みを秘めて、両の手で掴んだ白い装束を振り動かす
何と言うか。
アイリスフィール然り。キャスター然り。
現世に召喚されてから気付いたことだが、
この時代の女性は私に様々な服を着させて喜ぶ趣向があるようだ。
「さあ! 早く! お風呂に入りましょう!!」
がっしと掴まれ固定された肩は抜け出すことなどあり得ず、
こちらを見つめる血走った眼は尚のこと恐ろしい。
「ええ、ええ、慣れてますから……。もう好きにしてください、アフマウ」
――――――――。
「ね。セイバーがここに来てから結構経つけど……もうアトルガンには慣れた?」
掌で模られた水鉄砲が水を噴き、
水の衝突し合う音と飛沫がこちらに届くのを同じくして、少女は問うた。
「そうですね。慣れたかと言われましても、
ここしばらくは襲い来る魔物の相手に追われてばかりいましたから……。
風土や歴史への興味は尽きませんが、私には力無き民の無事が先決ですし」
「天蛇将のルガジーンさんが言ってた。
防衛戦……ビシージに、恐ろしく腕の立つ騎士が居るって。
その振る舞いと礼節から、他の傭兵の人達から『騎士王』って呼ばれてるって……」
「ふ、騎士王ですか」
笑わせる……いや、皮肉と受け取るべきか。
誰が言ったか、騎士の王と。
王であることを放棄し、
あまつさえ騎士として在り続けることすら困難なこの私に対し、
誰からともなくそんな呼び名を言い出した者が居た。
全ての剣執る者達の王。
騎士として誰もが憧れ続ける頂に立つ者。
――――本当に、笑わせる。
その実は、祖国を滅ぼし、未だ主の元へ馳せ参じることも叶わぬ三流の騎士であるというのに。
「ふふ、それに、もう一つの呼び名も……」
「?」
「何物も恐れず突進し、蛮勇を奮う様から――猪王、とも」
「なっ……」
「ふふふ、あっははは!」
心底愉快そうに笑う彼女とは裏腹に、
湯船の熱さによるものとは違う紅潮が全身に広がり、
そのまま顔を沈めてしまいたい衝動に駆られる。
確かに自分の気性が人一倍烈しいのは認めるが、それにしてもその様を指して猪だなんて……。
一体誰が言い出したことなのか。
元来戦は巧遅ではなく拙速が基本であるというのに、
それを本能に任せた獣の突進と同義に取るだなんて、そんなのってない。
「……あ、ごめんなさい。ちょっと度が過ぎちゃった。気にしてる?」
「…………」
「ご、ごめんなさい。マウはセイバーのこと猪だなんて思ってないから。
いつも街を守ってくれてること、本当に感謝しているの……」
「別に、気にしてなんていません。
私も、アフマウには大変感謝しているのですから……。
貴女が私を介抱してくれなければ、その後はどうなっていたか分からない」
瞬間、傍目から見ても沈んでいた少女の意気が、ぱっと元来の輝きを取り戻す。
「本当? 良かった……」
そのまま湯殿のとろける様な暖かさに身を任せ、私も、アフマウも、
何も口にすることなく、何も考えることなく、ただ目下の疲労の回復に努めた。
今回行ったマムークへの侵入は、
幸いにしてそれ程の難敵に鉢合わせすることなどなかったが、
それにしても敵の本拠地へ足を踏み入れるのは、継続的に精神を磨耗させることに他ならない。
このまま皇都の防衛戦に尽力しているばかりでは、
幾千幾万の大軍に僅かしかない魔力を浪費するだけで、とどのつまり埒が明かない。
元を断たねば……物事の根源となる原因を絶たねば、私も皇国も滅びの日を待つのみ。
三つの蛮族が手を組んで皇都を襲う理由は、彼らを結び付ける理由は、
そして私の主であるシロウの行方は、令呪を使わない理由は、一体何だというのか――――。
「ねえ、セイバー」
「……何でしょう、アフマウ」
「突然だけど、ね。マウの……私だけの騎士になってみる気はない?」
「え……」
本当に突然の誘いに。
それまで雑多と頭を占めていた考えは、地を這う突風に晒されたが如く吹き飛んだ。
二群
これから考えること
Ⅲ:シロウについて
Ⅳ:この国の聖皇について
Ⅴ:オーディンについて
三郡
Ⅵ:かわいそうなランサー
Ⅶ:かわいそうな凛
Ⅷ:かわいそうな桜
Ⅸ:かわいそうなライダー
Ⅹ:今日も子ギルは元気
投票結果
最終更新:2008年10月08日 16:50