136 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/26(日) 01:40
「…………っ、————!」
にたり、なんて擬音が似合いそうな邪悪な笑みを浮かべるライダーさんを見た。
「シロウ、どうしたのですか、そんなに怯えて」
吃驚するほど綺麗で穏やかな声音で語りかけるライダー。
その口元は確かに笑みの形を象っている。
しかし、眼帯に隠されて見えないけれど、彼女の眼は絶対に笑っていないだろう確信が持てた。
今のライダーの笑みは、そういう、見てる方の背筋がぞわぞわっとくるような笑みだった。
「う……わ……う……」
俺は問いに答えられず、情けない言葉を吐きながら思わず後じさ……れない。
首だけがライダーに向いている格好で、身体は正面を向いたままだ——っていうか、一歩でも動けば、その
瞬間に俺の聖杯戦争が終わってしまいそうな気がする。
「シロウ、このままでは喋りにくいでしょう」
「うお————!」
ぐいん、と。襟首を掴まれた、と思った瞬間。
ライダーは俺の俺の身体を片手で軽々と持ち上げて掲げ、そのまま半回転させた。
まるで子猫のように扱われたが、今の状況で不平など洩らせるわけもなく、すとん、と地面に下ろされる。
「……さぁ、シロウ。どういう事か——あのマスターとはどういう関係なのか説明していただけますね?」
穏やかな口調が孕むのは、台詞とは裏腹に絶対の命令形。
それで確信する。ライダーはとても怒っていらっしゃる、と。
何度も咎められながらも、勝手に遠坂と言い合って、勝手に折り合いをつけ、ライダーとセイバーの戦いを
邪魔してしまったのだ。いや、元はと言えば勝手に飛び出したライダーも悪いような気もするのだけれど、
そんなものは気の迷いだ、と目の前の畏怖すべき邪悪な笑みが一刀両断に切り捨てた。
「あ————いや、その、ですね…………何と言いましょうか、あの…………」
蛇に睨まれた蛙とはこのことか。
変な丁寧語でしどろもどろに語を濁すことしか出来ない俺を、ライダーは笑んだまま微動だにせずに見つめ
ている——ような雰囲気と、身が凍りそうな怒気を醸し出している。
「あの…………、ライダー……怒ってる……よな?」
「はい、とても。
————ですから、早く納得のいく説明をお願いします」
ライダーは頷き、続いてにこりと笑みを深めた。
本来なら胸焦がすであろうその流麗な貌も、間近に迫る艶やかな肢体も、今はよく耳にする伝承のとおりの
ゴルゴンの怪物にしか見えない。
俺は壊れた機械人形のように何度も首を縦に振り、取り合えず俺が通っている学園のことから簡潔に説明し
はじめた。
145 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/27(月) 00:12
interlude1-2
或る理由のため霊体化できないセイバーは武装をそのままに、衛宮邸から遠坂邸への坂道を歩きながら、傍
らで難しい顔をして唸っている自らのマスターである遠坂凛とこれからの戦いについてのささやかな作戦会
議——とはお世辞にも言えない口論の最中であった。
「……貴方が怒る理由はわかってるわ。アインツベルンがあんな化け物を二人も用意してきた。
勿論万全の貴方なら敵では無い。けれどその万全を期すためにも他の敵は叩けるうちに叩けって言いたい
んでしょ」
叩ける敵、とは無論ライダーと衛宮士郎のことである。
速度や魔力はかなりのものがあり、傷を負っている状態のセイバーであったが、それでもあのまま戦えば宝
具を使われない限りセイバーの圧勝であっただろう。
そして彼女の言う化け物二人、そのうちの一人はあの鉛色の巨人・アーチャー。
白い少女——凛とセイバーにイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと名乗った少女の駆るサーヴァン
ト……だと思っていた、彼女と当のアーチャーの話を聞くまでは。
「……っ、そこまで判っているのなら何故です、リン」
「何故も何も無いわ。さっきも言ったけど、私フェアじゃない戦いは嫌いなのよ」
声を荒げるセイバーに対して、反対にさも当然とさらりと返す凛。
その言葉は確かに彼女の本心であったが、妹の想い人を殺す覚悟の方が出来てなかったのもある。無論声に
は出さないが。
「……それに見逃すのは今夜だけって言ったでしょ。彼がもしアイツの話を聞いて尚戦うって言うのならい
の一番に潰す。これなら文句は無いでしょ————いいえ、これ以上の文句は認めないから」
だからこの話はここでお終いよ、と凛は強引に話を終わらせた。
セイバーはいかにも不服です、不満です、納得いきません。という顔をして眉を顰めているが、マスターに
ここまで言われては諦めざるをえないのだろう。「わかりました」と小さく呟いた。
小さく呟いて、せめてもの反抗だと頭の中で抗議の声を上げる。
(……リン、貴方は甘い)
その脳裏にに浮かぶのは、白い少女に仕える二体の巨人。
前回の聖杯戦争時に受肉し、今までアインツベルンが匿っていたサーヴァント・アーチャーと、
今回の聖杯戦争でアインツベルンが呼び出したサーヴァント・バーサーカー。
単純なスペックなら万全の彼女に匹敵するだろう力を持つその大英雄の名はヘラクレス。
二つの巨大な死の具現を前に、鞘の加護無しで、はたしてどこまで戦えるだろうか————
interlude out
151 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/28(火) 00:26
「————と、いうわけなんだけど……」
手短簡潔に説明を終えて、ライダーの顔を窺いながら何時の間にか額に滲み出ていた汗を拭う。
拭って、その汗の冷たさに自分で驚いた。
果たしてこれは外気温の所為か、先ほどから表情を全く変えないライダーの所為か。
無論それを問う勇気なんてこれっぽっちも無いのだけれど。
「ふむ————」
ライダーは口元に手を当てて小さく呟くと、あの背筋にくる邪悪な笑みを漸くおさめてくれた。
俺がほっと安堵していると、それから何事かを——恐らく遠坂のことだろう——考えるように沈黙する。
俺が説明したことは、アイツとは面識は殆ど無いのだが、たまに顔をあわせると挨拶くらいはする仲で、共
通の後輩——桜の面倒を見てくれる面倒見のいいヤツで成績も優秀だ……ってな具合に殆ど褒めているばか
りだけれど、俺はアイツが魔術師だったなんてまったく知らなかったってことと、此処とは反対側の住宅地
の上の古びた洋館に住んでいて、そしてぶっちゃけるとあまり——出来るなら戦いたくないということも伝
えた。
いくらなんでも住んでいるところまでは、と一瞬考えたが、相手も俺の家を知っているんだ、喋りすぎって
ことは無いと思う。
そんなことを考えているうちに、考えが纏まったのか、ゆっくりとライダーが口を開いた。
「あれほどの魔力を持った魔術師の存在に今まで気が付かなかったとは、シロウは本当に半人前なのですね
……と、この問題は今は置いておきましょう。それに未熟とはいえ、あのような召喚ながらパスは繋がり、
魔力は好ましい類のものが充分、とはいかないもののしっかりと流れてきています。
シロウも感じるでしょう——この確かなつながりを」
左胸に手をあてて語るライダーは先ほどの様子とはうって変わってどこか嬉しげだ。
パスという聞きなれない言葉どころか、そのライダーの言葉が俺にとって悲しいものなのか、はたまた嬉し
いものなのかさえよく判らないが、頬が熱くなっているってことは多分俺にとって何か恥ずかしい話なのだ
ろう。
俺は赤くなり始めた顔を隠すようにそっぽを向いて、取り合えず「う、うん」と曖昧に頷いて先を促した。
「では————率直に言いますと、不本意ながらここであのマスターのセイバーと戦わずに済んだのは僥倖
です。
僅か数合の打ち合いでしたが、白兵において私があのセイバーに勝るのはスピードのみであることはこの
身を以って深く理解出来ました。
それに先ほども言いましたとおり、あのマスター——トオサカと言いましたか、彼女の魔力量はずば抜け
ています。可能ならば、彼女らとの戦いは可能な限り避けるべきでしょう」
居住まいを正し、真剣な、既に馴染みになった無機質な声でライダーは淡々と語る。
俺を責めることもなければ、セイバーに劣る自らを恥じることもない。
今の彼女はただ冷静に、サーヴァントとしての役目を果たしている、そんな感じだった。
152 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/28(火) 00:27
「……そうか」
ライダーのそんな声を聴いて顔から熱が引いていく。
だが、いくらライダーが冷静だからって俺まで冷静になれるってわけじゃない。
ライダーの言葉の意味を広く捉えれば、当分の間遠坂とは戦わなくていいことになった、という事になる。
そのことに関しては素直に嬉しい。けれど、あんなに強いライダーが、あのセイバー……俺より年下の女の
子には敵わない、という事には酷いショックを受けた。
相手の正体も宝具も判らないのに断言したのだから、嘘や謙遜やそんなものは一切なく。本当に、純粋にラ
イダーはセイバーには勝てないのだ。
「————————」
知らず拳をきつく、きつく握り締めた。
セイバーの見えない何か——剣に違いない。でも見えるわけじゃない、そう感じる……って、何よりセイバ
ー何だから剣を使うに決まっている——に切伏せられたライダーの姿を想像して、瞬時にその忌々しい光景
を頭から振り払う。
本当に未熟で、馬鹿の一つ覚えみたいに一つの魔術しか碌に使えない俺だけれど、絶対にライダーをそんな
風にはさせない。まだ出会ってから一時間ほどしか経っていないけれど、色んなことに驚かされたけれど。
ライダーは良いヤツだし、何より、いくらゴルゴンが何だとか言っても、別に兵士でも何でもない普通の女
の人なんだ。
相手がランサーみたいなヤツだったらどうしようもないかもしれない。けれど、相手がセイバー——”剣”
——を使う相手なら、俺にでも何とか出来る……筈だ。
『士郎……いいか、お前は絶対に魔術で創った”モノ”を他人に——特に、他の魔術師に見られてはならな
い。それから創っていいのはガラクタか——コレだけだ』
親父の言葉を思い出す。
つい一時間前まで——親父から魔術を習ってからというもの、俺はその言いつけをずっと守ってきた。
毎晩の鍛錬は常に親父が結界を遺してくれている土蔵で行い、創ったモノは誰にも見つからないように、こ
れまた親父が遺してくれた秘密の収納に保管してある。
今では溢れかえらんばかりに増えたソレは、親父が遺してくれたヤツの模造品……贋物ばかりだけれど、親
父が居た頃ずっと鍛えてくれたおかげもあってか、ランサーの槍から俺を護ってくれた。
ならば、きっと、セイバー相手でも少し時間を稼ぐくらいなら出来るのではないか。
だから、もしライダーが危うくなったのなら、絶対に助ける。助けてみせる。たとえ相手があんな女の子で、
そのマスターが遠坂、だったとしても。
「————行こう。
郊外の教会……言峰教会。行ったことはないけれど、場所は知ってるから」
そう誓って、いまだ靄のように残滓する嫌な光景を完全に打ち消すためにライダーにそう告げる。
ライダーは急に渋い顔で拳を握り締めた俺に一瞬怪訝そうな素振りを見せたけれど、「はい」と小さく頷い
て、続けて俺に確認するように問うてきた。
153 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/28(火) 00:28
「シロウ、そのコトミネ教会はここからどれくらいの距離でしょうか?」
「え——、あ……そうだな、新都の——ビルが沢山並んでるオフィス街の外れにあるから、俺の足で歩いて
往復したら二時間半くらいはかかるかな」
「————ふむ、かなり離れた場所にあるのですね」
遠坂と無条件で戦わずに済むのは一応今夜だけだ。
こんな深夜に出歩くのも拙いし、タクシーでも……って、ライダーを乗せるわけにもいかないよなぁ。
上に何か羽織れば格好自体は誤魔化せるかもしれないけれど、異様な形の眼帯が怪し過ぎるし、何より、こ
んな俺みたいな普通の学生と、超が何個付くか判らない美人のライダーが深夜に二人きりでタクシーで隣町
に出かける、ってのは色々拙い。何が拙いのか判ってるからあえて何が拙いかは言わない。それくらい拙い。
「……そうだな、だったら自転車でも————って…………!?」
ライダーなら直に走った方が早いような気もするが、あんなスピードで走られて俺が付いていける筈が無い
し、一般の人に目撃される心配もある。
バスも電車も止まってるし、ならばここは学生の足の代表自転車さんで——と思って俺が話し出した、その
瞬間。
何を思ったか……というか何故そんなことをするのかまったく意味が判らないのだが、ライダーはどこから
ともなく短剣を取り出し、その切っ先を己の首筋にあてがい、そして、
「……っ! ちょ、なに———なにやってんだ…………っ!!」
おもむろに掻き切ったではいか————!
「あ————、あぁ————」
突然のことに何も出来ない。
ただ呆然と、息を呑むことさえも出来ずその光景を見つめる。
……飛び散る、夥しい量の鮮血。
ライダーの白い首筋から吹き出たそれは、切り裂いた傷が明らかに致命にいたるものであることを示してい
た。
———なのに、ライダーがこのままでは死ぬというのに、やはり俺は何も出来ない。
俺はただ、呆然とそれを見つめるだけ。
撒き散らされた血液が空中に留まり、ゆっくりと陣を描くのを見つめるだけ。
「……っ!?」
それは血で描かれた、見たことも無い魔法陣だった。
例えようもなく禍々しい、まるで命を持った生物のような図形。
……それは俺には想像も付かないほど強力な魔力を帯びていた。
だから、それがもしかしてライダーの言っていた”宝具”ってうヤツなのかもしれない————
「え———————?」
そんなことをぼんやりと考えていると、突然。
目映い、まるでライダーが現れた時のような閃光が当のライダーを中心にしてあたりを包み込んだ。
それに驚く暇も無い速度で光がひいて行き、何事かと思って思わず瞑った目を開けた、その瞬間。
「———シロウ、この子がペガサスです。今後とも宜しく———」
俺の目の前には翼の生えた白馬に跨り、優雅に微笑むライダーが居た。
「よ……よろ、よろしくおねがいします」
もう何が何だか判らないというか理解に苦しむというか、実はまださっきのことを怒っていて、ワザと俺を
驚かせる為に何も告げずにペガサスを召喚したんじゃないかって疑わずにはいられないけれど。コレが騎乗
兵たるライダーの本来のスタイルなんだ。と、強引に納得して、ライダーに促されるまま白馬のやたら綺麗
な身体に跨った。
「それでは行きましょう。出来るだけ抑えますが、それでも振り落とされないようにしっかりと掴まってい
て下さい。それと道案内も宜しくお願いします」
ライダーの頼みにこくこくと首肯だけを返して、言われるがままにライダーの身体に手を回し————呆然
自失とした状態だったから、何も考えずにスムーズに出来たのだろう————掴まって身体を固定するには
丁度良いでっぱりを発見して、腕にきつく力を込めた。
「ぁ……」
「? どうかしたのか、ライダー?」
「————いえ、何でもありません。————では、せい……っ!」
ライダーが出発に合図にとペガサスの首筋をぱしんとはたいた。
それに合わせてペガサスが大きく嘶き、前足を上げて翼をはためかせる。
——途端。
「ぅおぉぉぉぉぉ…………っ!!!!!」
身体にかかる強烈な衝撃と浮遊感と疾走感とその他もろもろとにかく息が出来ない————!?
「あぁぁぁぁぁ————…………っ!!!???」
まず屋敷の屋根が見えた。
続いて藤ねえの家が見えた、学園が見えたビルが見えた、雲が見えた月が見えた。
景色が流れていく。
残像を残して消えていく。
というか息が出来ない、このままじゃ死ぬっていうか道案内どころじゃない———っ!!!
154 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/28(火) 00:53
「シロウ、街を二周しましたが教会らしき建物は一つだけでした。
————あれです、十二時の方向。あれがコトミネ教会なのですか?」
「————————」
ライダーは慣れている——というか身体の作りが違うのか、こんな状態なのに優雅だ。
だがしかし俺は勿論返事など出来るわけが無い。
首肯さえ出来ず、俺は何とか応の意を伝えるためにライダーの身体に回した腕に出来るだけ力を込めた。
「————っ。……判りました。それでは降ります」
それで伝わったのか。
ライダーは小さく息を吐いた……? 後、そう言って、もう次の瞬間にはペガサスは言峰教会の前——だろ
う、少し離れたところに教会風の大きな建物がある、広い広場に降り立っていた。
「————はぁ、はぁ、はぁ…………」
ペガサスに跨り、ライダーにしがみ付いたまま肩で息をする。
早く着いたかどうとかそんなコトさえ考えられない。
ただ、ちびらずに済んで良かった、とか、気絶せずに済んでよかった、とか、死ぬかと思った、とか情けな
いコトばかり考えながら心の中で安堵した。
「……良い子ですね、助かりました。ありがとう」
ライダーは感謝の言葉を紡ぎながら愛しげにペガサスの鬣を梳いている。
後ろからで見えないけれど、きっとその顔は優しく、可憐に微笑んでいるに違いない。
と、そんなライダーの顔を想像した途端。
ライダーに後ろからしがみ付いている今の状況がとてつもなく恥ずかしくなってきて、ばっ、とライダーの
身体に回していた手を振りほどき、慌てて飛び退いた。
「シロウ、どうしたのですか? 酷く疲れて……動揺しているようですが」
「……っ、何でもない。勝手に俺が一人でびびって慌ててるだけだから気にしないでくれ……っ!」
俺が飛び退いてから僅か、ライダーもペガサスから降りる。
そしてライダーが何事か呟くと、ペガサスの姿が霧散するよう散っていき、沢山の光の粒子となってライダ
ーの周囲を舞い、首に残っていた傷に吸い込まれるようにして消えていった。
その傷を覆うように首輪のようなバンドを巻きながら尋ねてくるライダーに手を振って誤魔化す。
「実はちびりそうだった」とか「今更だけど抱きついた格好になってドキドキした」などと言える訳が無い。
「……はぁ」
怪訝そうな表情で生返事をするライダー。
勿論気恥ずかしくてその顔を見れず、俺は「話を聞いてくるからライダーはここで待っててくれ」と早口で
告げ——待たせるのは悪いけれど、やっぱり他人に合わせるのは拙い——て、教会へと駆け出した。
高台の上にある豪勢な広場の向こうにある教会。
或る理由で今まで寄り付きもしなかった神の家に、こんな目的と手段で足を運ぶことになるなんて想像さえ
しなかった、と心の中でひとりごちながら。
156 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/29(水) 01:42
interlude1-3
ずるずると音がする。
それが鳴声なのか、粘着質の物体を引きずる音なのか、爛れていく音なのか、判別することは難しい。
ただ判るのは、そこには腐蝕したモノ、腐蝕するモノしかないということ。
四方に張り巡らされた石壁は、長い年月を経てかなり脆くなっており、空気は質量を持って蕩け、蜜のよう
に甘い。
地に這う生き物は熟した果物のそれと同じに溶けており。其処では空気が流れる時間さえ腐っていた。
否、気が遠くなるほどの時間を経て、磨耗しきった其処には腐っているもの以外存在していなかった。
「————これで漸く七人目か」
その腐敗の中心で、一際巨大な腐蝕が蠢いていた。
ずるずるという音と、ぎちぎちという蟲の鳴声。
そして、腐って腐って腐りきった肉の、肉だったものが発する匂い。
地下室の主たるソイツは生きながらに腐り落ち、腐り落ちながらに生き、地下室の住人たる蟲に集られてい
る。
ずぶずぶ、じゅぶじゅぶと足元から這い上がる蟲は踝から皮膚に吸い付き、軟体生物の吸盤じみた吻で肉壁
を貪り食い進み、骨にたどり着くと神経に潜り、尚じゅぶじゅぶと音をたてて這い上がっていく。
……その蟲の数は百や二百ではない。
千か万か、はたまたそれ以上か。
地面を壁を埋め尽くす、その黒い生物の絨毯に集られたのなら、一の人間など分を待たずして崩れ落ち、人
間でなくなってしまうだろう。
人間としての外見を纏ったまま、中身だけを、内臓や骨や肉だけを”蟲”にとって代わられ、それこそ文字
通り”骨抜き”になって崩れ落ちる。
「足りぬ。足りぬ足りぬ足りぬ。足りぬわ————」
けれどソレは崩れ落ちることはなかった。
いや、むしろ蟲が己の体内に侵入するたびに、ソイツの骨は肉は内臓は作り上げられていく。
本来、人間ならばこのような状態にあって分を人間のまま持たすことなど出来はしない。
ならば、ソレは蟲に食われているのではなく、夥しい数の蟲たちこそが、ソレに食われるモノだと、ソレは
人間ではないと、そういうことであろう。
ぎちぎちと食用蟲たちが蠢く。
その数は万か、億か、はたまたそれ以上か。
貯蔵量にして百年をゆうに超える。だから、蟲を食うソレの命も、それだけを約束されていることになる。
「……まだ先はある。此度はが最後という訳でもない。万全でなければ静観に徹するべきなのだが——」
さて、とソレは考える。
今回の”場”は決して万全と言えるものではない。
前回の戦争から十年という短い年月で開こうとしている孔。
最強たるアインツベルンのマスターが二体のサーヴァントを有し、トオサカの子倅は最優たるセイバーを呼
び出した。
条件は良くはない、どころの話ではなく、最悪に近い。
このような不安定極まりない戦いで満ちる杯など完全には程遠い。
たとえ門が開いたとしても、中にあるモノまでは手に届くまい————
157 名前: 衛宮士郎/ライダールート 投稿日: 2004/09/29(水) 01:43
「———静観すべきだ。……だが、困ったことに持ち駒だけは適しておる」
聖杯を奪い合う場としての条件は最悪も最悪であるが、唯一点———今まで十を超える歳月の間、手をかけ
暇をかけ作り上げた”モノ”の仕上がりは万全であった。
出せば、解放すれば、開放させれば必ず到達するに違いない。
必ずや聖杯にたどり着く、なにしろアレは聖杯の中身そのものといってよいモノだ。
同じモノ同士ならば引き合うのは当然。
骨を肉を神経を魂を聖杯の欠片に侵食された細胞具たるアレは、必ずや我が理想を具象してくれる。
「ワシには次があるが————。……ふん、あれは次まで保つまい。
元は胎盤として貰い受けたものだが、よもやアレほどのモノになろうとはの————」
皮肉なものだ、とソレは嘲笑する。
実験として用意したモノは、いまや期待を良い意味で裏切ってほぼ完全と言えるまで適合している。
このまま使い捨てる予定であったが、使えるのならば使うべきだ。
どちらにせよ廃棄する予定であったもの。
戦いに敗れ破壊されようが不能になろうが朽ちようが果てようが、なんにせよ棄てるという結末は既に決ま
っている。
————もとより、アレはそういうモノだ。
「と、なると問題は一つ。
……アレをどうやってその気にさせてやるるか、だが————」
用意した適合作たるアレは、あろうことか戦いを嫌っている。
しかも都合の悪い事に、アレの精神防壁、魔術回路は一級品だ。
洗脳して自由意志を剥奪することは出来そうに無い、アレの奴隷たる魔術師ならば可能だろうが、アレを嫌
っているとはいえ仮にも主人。そのようなことを許すはずがない。
我が奴隷たる暗殺者ならば気付かれずに近づくことは出来るだろうが、所詮そこまでだ。
「———一度、唯一度でよい。
僅かな隙間さえ開けば、後は自ら聖杯を求めるのであろうが、さて…………」
その隙間を開ける事が最も困難なのだ。
この世で最も堅固な要塞たるアレは、他者からの強制ではけして崩れはしない。
故にアレを崩すのは内側からでなければならない。
アレ自身の昏い感情こそが、アレを変貌させる鍵となる。
「————来たか。さて、どうしたものやら」
こつこつと石で出来た階段を下りる足音が、腐敗した闇に響く。
現れた何者かは、そのまま、其処に巣食う蟲たちに怯むそぶりすら見せずソレへと歩み寄り、
”どうしてもマスターは全員殺さなくてはならないのか”
などと、予想通りの問いかけをした。
「————————」
無論、そのような事は返答するまでもない。
マスターは全員殺し、サーヴァントは全て奪う。
今回の争いで、それがどんなに困難なことかと判っていても、それがこの魑魅魍魎の温床たる地下室に渦巻
く想念であり執念であり————ソレは気付かないが、妄念だ。
だが、問いかかられたソレは、そんな全てを押し殺して、
「お前がそう言うのであらば仕方あるまいて————。では、今回も傍観に徹するとしよう」
ソレが言うのと同時、弛緩する空気。
もはや戦いの意思など微塵もない、とソレは偽りの笑みを浮かべたあと。
「しかし、そうなると少しばかり癪だのう。今回の依り代の中では、遠坂の娘が中々によく出来ておる。勝
者が出るとすれば、恐らくは彼奴であろうな————」
……そう、心底残念そうに呟いて、
”———————”
再び張り詰めた空気と、僅かな変化————見逃してしまうほどの小さな負の感情を確かに見つけ、
「ク————」
腐肉を歪ませ、腐臭を吐き散らし、今も尚腐り落ち続けるソレは、幸甚とばかりにクツクツと笑った。
interlude out
最終更新:2006年09月03日 19:34