803 :371@銀剣物語 ◆snlkrGmRkg:2008/08/20(水) 22:16:10
結局、俺と氷室がヴェルデから出てきたのは、午後の四時半を過ぎてからだった。
「中々に有意義な時間を過ごすことが出来たな」
氷室はそう言って満足そうにしているが、俺はそれどころじゃない。
気を抜けば足元がおぼつかないくらいだ。
もっとも、別に気分が悪いというわけじゃない。
むしろ気が動転していて地に足が着かないのだ。
「どうした、随分ふらついているじゃないか。
さっきのことが、そんなに意外だったのか?」
「……いや、実際意外だろ。
まさか氷室があんなことしてくるなんて、普通は思わないって」
不思議そうに尋ねてくる氷室に、重々しく頷いてやる。
なにしろヴェルデでの氷室は……いかん、思い出しただけで赤面しそうだ。
「とにかく、今後はああいったことは人前でやらないように。
あと、ネコミミとかも禁止な」
「ほう……では、二人っきりのときならば、私にしてほしいのか?」
「そっ、それはもっとダメだろ!?」
「ふふふ、冗談だ。
存分に堪能させてもらったからな、しばらくは自重するさ」
しばらくかよ。
先ほどまでの大騒ぎを反駁するかのように、氷室はニヤニヤ笑っている。
ああもう、穴があったら入りたい。
「……さて、そろそろ、由紀香たちと落ち合う時間だな」
と、氷室がポケットから携帯電話を取り出した。
……女の子って、話題を切り替えるのがあっさりしてるなぁ。
それとも、俺が引きずりすぎなんだろうか……?
「……もしもし、由紀香?」
そんな俺をヨソに、氷室は電話越しに話し始めた。
相手は三枝さんか。
聞き耳を立てるのもよろしくないだろう、と思った俺は、ぼんやりと明後日の方向を向いて待つ。
「……とにかくバス停でいいんだな?
わかった、詳しくはそのときに聞く」
あまり時を待たずに、氷室の電話は終わった。
しかし、再び携帯電話をしまう氷室の顔は、なぜか怪訝そうだった。
「……バス停で落ち合おう、ということになった。
なにやら、予期せぬ人物が来るらしいが」
「予期せぬ人物?
誰のことだ?」
「さて、それがどうにも要領を得なくてな……」
恐らく、三枝さんも電話口でうまく伝えられなかったんだろう。
となると、あまり面識が深くない人物……だろうか?
「そりゃ確かに気になるな……先にバス停に行って待っていようか」
「そうだな」
幸いというべきか、ヴェルデから新都のバス停まではすぐそこと言っていい距離だ。
俺と氷室はバス停に立った。
他に人の姿はない。
混み合いだす時間には、やや早かったか。
氷室と二人、並んで待つ。
嫌でも思い出すのは、昨日の出来事。
それは、氷室のほうも同じようで。
「ふむ、またバス停か」
「ああ、またバス停だ」
「また、二人きりだな」
「ああ、また二人きりだ」
「……また、私から言おうか?」
「……いや、今度は俺から言わせてくれ」
今を逃したら、もう二度と言えないかもしれない。
そんな衝動に駆られて、俺はゆっくりと息を吸った。
「……確かに氷室の言うとおりだ。
俺は、一度に二つのことを考えられるほど器用じゃない」
本当に、俺という人間は、切り替えがうまく出来ないようだ。
昨日からずっと、同じことを引きずり続けているだなんて。
だから、いま考えるのはたった一つだけ。
目の前に居る少女だけを見つめて、はっきりと応えよう。
「俺、氷室のことが好きだ」
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最終更新:2008年10月25日 16:05