563 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/07/31(木) 10:37:27


 暗さも感じない闇。
 時間が止まり、朽ちることも無く、ただ漂っている。
 もう一度。
 そう願った。まだ終わりたくなかった。立ち上がりたかった。
 なのに、瞼を開くことが出来なかった。
 覆しようの無い終幕。
 苦しむ間もない、死。
 きっと、白刃が胸を抉った。
 あのとき逃げていれば、こんなことにはならなかった。
 だが、それがどうだというのか。
 逃げられなかった。だから桜は踵を返したのだ。
 肯んずることが出来なかったのだ、逃げ出す自分を。
 桜は、遠坂桜なのだ。
 時臣は死んだ。本来の後嗣は坂の下へと去った。
 桜には、泣いていることなんて許されない。
 だから、戦わなければ―――――違う。
 違う。そうではない。
 思ったのは、きっともっと単純なことで、それは
「わたしは」
 声が出ていた。
 はっきりと、急激に、世界が開く。
 川辺の公園。灯りの下、桜は長椅子に横たわっていた。
 すぐ側に男が居た。いや、少年と呼ぶべきか。
 兜は無く、鎧も無く、殉教者のように真白い装束を纏っている。
 素顔で向かい合うのは初めてだった。
「わたし、生きてる?」
「はい、マスター」
「え、でも、どうなったんですか?」
「寸前で助けが間に合いました。アサシンは彼自身の事情で撤退したようです」
「……そう、ですか」
 それから気絶していた、ということなのか。
 手を握り、開いた。もう一度、それを繰り返す。
 生きているのだ。そう思った。
 アサシンの短刀が迫ったのが一瞬前の出来事に思える。
 しかし現実には、アサシンが退き、桜は船の上から公園に来ていた。
「マスター。なぜ引き返したのですか?」
「え?」
 少年が、静かに桜へと歩み寄った。。
 派手さはないが、姿形は清潔で美しく、動作は洗練されている。
 よく出来すぎていて、まるで工芸品のようだった。
「それが如何に無謀か、判っていた筈です」
「でも、アサシンに目論見があったと思ったんです」
「では、身を引き換えにして、私を守るつもりだったとでも?」
「……そうじゃ、ないです。死ぬ気なんて、少しもありませんでした」
 桜は言った。
 死にたくない、と思った。もう一度、と願った。
 もういちど。何をするつもりだったのか。はっきりとは判らない。
「けど――聖杯戦争は、わたしの戦いなんです」
 少年の瞳。透き通り過ぎて、生き物の棲めない川のようだ。
 桜は腹に力を篭めて、その視線を真正面から受け止めた。
 やがて、少年が小さく息を吐いた。
「―――そうですね。そして、私の戦いでもある。
 そのことを、私も貴女も失念していた」
 少年の表情が、ほぐれていく。
「実は、アサシンが去ってから、ライダーと遭遇しました。
 ライダーのマスターは容易く私の情報を得て、去っていった。
 貴女がライダーを目視できれば、痛み分けでした。
 しかし、そうはならず……ひどい敗北感だけが残った」
 目を伏せた少年の睫毛が揺れた。
 異なる色彩。対峙しているのは人だ。桜はそう思った。
「今、ようやく理由が判りました。
 マスターとサーヴァントで一組。これは、私たち二人の戦いだった」
 言われて、はっとした。
 二人で戦う。それは、桜にも欠落していた意識ではないか。
 少年の手が、桜へと差し出された。
「マスター。もう一度、やり直しましょう。
 今度は投げないで頂きたい」
 少年が微笑む。
 召喚直後、一番最初に触れたのは手の平だった。
 もう一度。その意味を、桜は理解した。


絆:手を取る。
導:だが断る。
変:唾を吐く。


投票結果


絆:5
導:2
変:1

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最終更新:2008年10月08日 17:17