760 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/08/17(日) 23:37:40
路地を埋め尽くした水。
それは川の流れの如く。
合わさり、別れ、再び合流することもある。
だが分かれたときには、小石ゆえか分水嶺ゆえかを知る由など水には無い。
ただ合流するのを待つのみである。
水ならば、だが。
「普通のサーヴァントは、マスターが危ないのに放っておかないですよねー。
わたしが危ないことも判ってた筈ですしー」
桜は少年の頬を指で押した。
少年は顔を背けたが、桜の指は執拗に続けた。
「放っておいたのではありません。遅参に関しては謝罪致しました」
「謝って済むなら警察は要りません。
そんなに離れて無い筈なのに、どうしてあんなに遅れて来たんでしょーか?」
「どうか、ご寛恕を」
桜は少年のほっぺたに指をグリグリと押し付けた。
無駄な肉は無いくせに、柔らかくてすべすべの頬だった。
「ゆーるーせーなーいー!」
「マスター。心情はお察ししますが」
「なんでこんなに肌が良いんですか。
わたしなんて、いっつも魔術のせいで夜更かしして、荒れてて困ってるのに」
桜はきめ細かな頬をぺたぺた触って、ふにふに摘んだ。
少年が無言で桜の腕を振り払った。
「さすがに許容範囲を超えています。お止め下さい」
「ごめんなさい。ちょっと調子に乗りました。
………で、どういうお手入れしてるんですか?」
「我々にそのような概念は存在しません」
サーヴァントは全盛期の姿で召喚される。
実体化しなおせば、お手入れ不要なのである。
「でも、それは元が良いってことですよね。
もしかして、すごくいい育ちだったんですか?」
「食うや否や、絶えず命の危機、という境遇には置かれませんでした。
それは育ちがよいと言っても差し支えないのかもしれません」
「やっぱり。だから、お茶淹れとかも出来るんですね」
「マスター、それについては後ほど。未だ追撃される可能性はあるのですから」
言って、少年はフードを目深に被り直した。
「なんで、そんなに深く被るんですか?」
「正体の隠匿は聖杯戦争の基本です」
「でもキャスターの側に居たときは、兜もフードもしなかったですよね?」
「状況が異なります」
「そうかなぁ…」
「マスター……それよりも、どうか追撃の危険を考えて頂きたい」
「セイバーの追撃はないだろう」
それまで黙っていたアサシンが、口を開いた。
腿から先を失った彼女は、桜の後ろに横たえられている。
傷口は桜が縛り、今や大量に流れ出していた血も止まっていた。
サーヴァントでなければ、とっくに失血死だっただろう。
「その娘の強迫が効いた。今ごろは自分のマスターの無事を確かめている筈だ」
「強迫?」
「……色々ありまして」
マスターを狙うと仄めかしたのだ。桜は、さぞやセイバーの怒りと恨みを買っただろう。
先を考えるにつけ、気持ちが暗澹とする。
「私は去る。側に暗殺者が居たのでは落ち着くまい」
アサシンが上体を起こした。
「ちょっと待って下さい……その体で、マスターも居ないのに?」
「彼女はサーヴァント。霊体化すれば移動可能です」
「然り。実体化はあと一度きり、残された時間は一時間に満たない魔力だが」
白面の下から、小さく笑う声がした。
「意外だな。私に止めを刺さないのか」
「我が主は貴女に慈悲を。それを斬り捨てろと?」
「なるほど。騎士らしい甘さだ」
「はい。ですので、もう一つ甘さを。
二度と無関係な人々を殺めぬと、貴女の名誉に誓って頂きたい」
「……誓う名誉などない」
アサシンの姿が消える。
誓わないとは言わなかった、と桜は思った。
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最終更新:2008年10月08日 17:21