冬。水に濡れれば寒いのは当たり前だ。
服は乾燥機の中でぐるりぐるりと回っている。
桜はタオルと毛布で身を包み、ストーブの前で暖を取っていた。
歯が震え、がちがちと音を鳴らした。
”偶然にも“鍵が開いていた事務所の中である。
中には桜と少年しか居ない。
少年が桜を気遣ってくれたことは、ありがたかった。
服を脱ぐ際に卑しい行為を一切しなかったのも含め、実に紳士的だと言っていい。
だが納得がいかなかった。
半裸の少女を前にして、少年はそっぽを向いていた。
桜だって自負はある。絶世の美女ではなくても、多少なり魅力を備えているつもりだ。
それが際どい格好で側に居るというのに、少年は一寸たりとも意識する様子がない。
何なのだ、と思う。
紳士なのか、興味がないのか。
あるいは、ラジオがそんなに楽しいのだろうか。
「これがラジオというものなのですね」
少年が言った。
やはり桜の方を見ようとはしない。
不能か。それともベクトルが男に向いてるのか。
「知ってるんですか?」
「知識だけは、召喚の際に与えられました。
操作法を存じませんので、所有者がつけたまま忘れてくれて助かりました」
少年の声は弾んでいた。こころなしか、後ろ姿もそわそわして見える。
初めて外見相応の子供らしさを見た、という気がした。
少し安心した。見た目は桜と変わらない年頃なのだ。
「ねえ、何を聞いてるんですか?」
「詳細は判りかねますが、どうやら演劇の座談会のようです」
「座談会、ですか」
「先ほどは、演劇のあらすじを大まかに紹介していました。
現在は二名の役者が気取らない会話をしています」
「へえー」
桜も耳をすませて、ラジオの音を拾ってみた。
恐らく、話題になっているのはラジオドラマか何かなのだろう。
宣伝も兼ねて、質問に答え、舞台裏の話などもしているようだった。
「ドラマの題名は言ってました?」
「ドラマ……演劇のことですね。
演目は確か、
銀剣物語、だったと思います」
桜の知らない名である。とはいえ、桜はそのテのものにはひどく疎い。
少年は嬉々として、ラジオに聞き入っている。
「意外ですね。貴方はこういうのが好きじゃないと思ってました」
「好悪の判断は、まだ下せません。ですが興味は間違いなくあります。
生前はこういった、日常の娯楽を嗜むことが出来なかったからでしょう」
「んー、そうですね。昔はこんな娯楽は少なかったでしょうし。
今はその分、自由に自然を駆け回ったりしにくいんですけどね」
「それは残念です。一度は気ままに野山を駆けてみたかったものです」
少年の言葉には無念さが滲んでいた。
桜は眉をひそめた。
「……『一度は』って。もしかして、そういう経験が全然ない……?」
「はい。私の生前は、およそ殆どの時間を一つの建物の中で費やしていましたから」
「ずっと、同じ建物の中?」
信じがたい、という気持ちで桜は訊いた。
「乗馬などの訓練は、さすがに内庭で行いましたが」
「そんな。その建物から出ようとは思わなかったんですか?」
「そのような行動の記憶はありません。そも養育者たちが許したとは思えません」
「でも。ずっと同じところで、何を」
「騎士としての鍛錬です」
遮るような言葉に、桜は壁を感じた。
この話題は、これでお終いだ。
ラジオの音が事務所の静寂に響いている。
少年が楽しそうに、少しだけ体を揺らす。
桜は手を唇に当てた。
ストーブがもやを扇ぐ。
冬は、寒い。