73 :邪気姫 ◆CC0Zm79P5c:2008/09/19(金) 21:35:35
ひとつ積んでは開かぬよう。
ふたつ積んでは蓋をして。
みっつ積んでは見つからぬように祈りつつ……
何やら怪しげなことを呟きながら、遠野秋葉は部屋の入り口を塞ぐ為に部屋にあった家財を積み上げていた。
後始末のことなど微塵も考えていないのだろう。目に付くものを片っ端からドアの前に組み上げていく。
壁際に置かれていた重厚な本棚の類すらバリケードの材料にされている始末である。
もともと置いてあった家具が結構な量だった為、いまやその部屋は寒々しいほど広々として見えていた。
「……これで、ラストォ!」
最後に、自分が隠れていた書記机を堆く盛られた家具の山に投げつけ陣地構築は完了。
なにやらバキボキと破滅的な音が響いた気もするが――構うまい。これでしばらく心の平穏が保てるのだから。
「中々の出来ね」
満足げに頷きながら独りごちる。
確かに、その障害物の総重量はかなりのものだろう。
外側から押し開けようとしても、先にドアの方が参ってしまいそうな程である。
バリケードとしての質は申し分ない。
だが次の瞬間、彼女はくず折れるようにその場にへたり込んでいた。
重たい家具を無理やり動かした疲労。無論、それもある。
だが何よりも、一時の安堵が彼女に冷静な思考を呼び戻していた。
(何を……しているのかしらね)
自らが作り上げた瓦礫の山を眺めながら、殆ど吐息を吐くような閑静さで呟いた。
確かにこれでドアから侵入されることはないだろう。
だが、同時に自分も出ることは出来ないことに彼女は今になって気付いていた。
当然ながら室内に食料、飲料水の類は一切存在しない。
図らずも自ら兵站を断絶させ、兵糧攻めの体裁を整えてしまった。
それに、"アレ"がその気になればこんな障害など――
「……何をしているんですか、貴女は?」
唐突に、背後から声が掛けられる。
恐慌状態に陥らなかったのは単にそんなことに構う余裕がないほど疲れていたせいだろう。
秋葉は立ち上がりゆっくりと後ろを振り向いた。この声に聞き覚えはない。
ならば、少なくとも最悪の敵ではないということだ。臆する必要はない。
いつの間にか窓枠に腰掛ていたその人物に、秋葉は堂々と応対した。
「――見て分かりませんか。部屋の模様替えです」
「そうですか。どうせなら、窓も塞ぐことをお勧めしますよ」
「そうね。そうすれば失礼な来客も防げるでしょうし」
そんな皮肉を気にした風もなく、その謎の不法侵入者は窓枠から部屋の内部へと飛び込んでくる。
その無作法に、秋葉は半眼になって呻いた。
「せめて玄関から入ったらどうです?」
「そうしても良かったんですけどね。ちょっとこれを見てください」
そう言って、侵入者はひょい、とカソックの裾をつまみ上げると此方に見せ付けるかのように軽く持ち上げて見せた。
よく見ると、スカート部分の中央、足の間に穴が空いているのが分かる。
高さで言えば太腿の辺りになるのだろうか。
今は裾を持ち上げられているため穴の位置も高くなり、かなり際どいことになっている。
「痴女?」
「何を言ってるんですか、貴女は」
やはり疲れているのだろうか。
秋葉が思いついたまま口にした単語に、呆れるように侵入者は摘んでいた布を放した。
そしてどこか強張った笑顔を浮かべると、
「撃たれました」
そんな、この国では滅多に聞くことのないような被害届けを口にした。
「……はい?」
我ながら間抜けのような声を出したな、と秋葉はどこか他人事のように思った。
だがそれも仕方のないことだろう。それほどまでにこの眼前の人物の訴えは奇妙だった。
「ですから、狙撃されたんです。暗闇の中で普通に当ててきたんですよ。
なんですか、ここはヘイヘかゴルゴでも飼ってるんですか」
「そんなものを雇った覚えはありませんが――」
否定を口にしながら、だが秋葉は薄ら寒い予感を覚えていた。
この屋敷には、確かに銃器の類が置いてある。
槙久が趣味で所持していた猟銃やライフルの他にも、明らかに非合法と思える物品がいくつか。
相続の際にそれらを確認してはいたが、処分するのも面倒だったので確かそのままにしてしまっていた。
だけど、それを扱える人物なんて――
「……秋葉さん?」
いないはずだ。そういないはず。そんな人物なんてイナイ。
自分に対して必死にそう言い聞かせる。何かに惑わされないように目を閉じ耳を塞ぎ、完全な暗闇の中で自身を説得しようとする。
だがその暗闇ですら口のように三日月に裂け、嬲る様な言葉を吐いた。
存在しないはずのものが存在するなんて異常事態は、八年前に経験済みだろう――?
自分で水を注ぎ、白濁させた忌まわしき記憶。
その中で、確かに自分はは実包が破裂する音を聞いていたはずだ。
――では、"誰が銃器の担当だった?"
「ちょっと、大丈夫ですか?」
ガクガクと肩を揺す振られ、はっ、と現実に回帰する。
いつの間にか、またトリップしていたらしい。八年前のあの事件の後遺症だった。
あの時のことを思い出そうとすると、どうしても現実のほうが疎かになってしまう。
「大丈夫……大丈夫です」
肩に置かれていた手を乱暴に振り払って、しかしその反動で秋葉はフラフラと数歩後退した。
そして、その時になってまるで初めて存在に気付いたとでも言うように懐疑的な視線を侵入者へ送る。
「貴女、誰?」
「……どうにも、重症みたいですね」
疲れたように溜息をつきながら、侵入者。
疲労しているのは此方だというのに生意気だ。秋葉は思った。
「まあ兎に角、時間がないので。私のことはシエルとでも読んでください。
ところで遠野秋葉さん。単刀直入に聞きますが、貴女の――」
時間がない。シエルと名乗った人物はそう言った。
だけど、本当に時間がないと分かっていたのなら、すぐにそこから逃げるべきだったのだ。
彼女達が思っている以上に、怪物たちは俊足だった。
物理的に、何かの変化が起こったというわけではない。
もし変化が起こってから動き出していたのなら、間に合わなかっただろう。
第六感。虫の知らせ。そういった類のものが、『彼女』に警告を送った。
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最終更新:2008年10月25日 16:38