910 :邪気姫 ◆CC0Zm79P5c:2008/08/29(金) 22:21:08
遠野秋葉に残された選択肢は二つ。
地の果てまで逃げ一時の安息を得るか――
――それとも死をも覚悟で巨悪と戦い、もっと大切なものを手に入れるか。
(……そう、そうよね。ここで逃げたら、あの時の焼き直し)
前を向く。扉の向こうにいる敵の姿を夢想し、自然と髪が赤みを帯びていく。
鬼種混血による異能。檻髪による視界射程呪詛。
彼女はそのスペシウム光線的な一撃必殺能力を、己が兄と呼ぶ人物に使うつもりだった。
そうでもしなくては、あの怪物は打倒できない。
仮に、もしも負けた場合どうなるか。
死ぬならばまだ良い。アレと戦い人として死ねるならそれは幸福だろう。
だが、もしあの惨劇が再び繰り返されてしまうなら。
脳裏に次々と忌むべき記憶が映像として流れていき――
「――無理」
即断した。
固めた決意は四散して、伸ばした膝はくず折れた。
それは、人という種が対峙するにはあまりにも暗すぎる闇である。
「もう、もう……喋るぬいぐるみとコスプレしてカード集めなんかしたくないのよ……っ」
切実だった。
家に閉じこもっていたあの頃とは違い、いまや遠野秋葉という人間は公と関わり過ぎている。
被害が出てしまえば、もみ消すことは不可能に近い。
故に、打てるのは逃げの一手のみ。
逃走を決意した。だが世界の果てまで逃げるには、まずはこの屋敷から脱出しなければならない。
この場から玄関までの最短ルートを思い浮かべる。生まれ住んだ家だ。さして難しくはない。
だが道筋を思い浮かべた、その瞬間。
ギィ――と、目の前のドアが僅かに開いた。
「――っ!?」
瞬間、遠野秋葉は駆け出していた。
頭はいとも容易く混乱の極みに陥り、自分がどこに向かっているのかすら把握できない。
そうだ、アレはそうして人の平穏を轢断するもの。
最優先すべきことは、兎に角あれから遠ざかることである――
◇◇◇
そして、数分後。
遠野秋葉はどこかの部屋の中に逃げ込んでいた。
気取られないように、電灯をつけることは出来ない。窓から注ぐ月明かりが唯一の照明である。
幸い、どうやらアレを振り切ることに成功したらしい。
ただし、その代償は大きかった。まずここがどこだか分からない。
ずっとこうして隠れ続けることが出来るわけでもない。だが、外に出る勇気はもうなかった。
ほとんど引き篭もりの心境である。
「なんで、なんでこんなことに……」
とりあえず潜り込んだ机の下で、彼女はうわ言のように呟いている。
あの日から、ずっと我慢していたものが彼女の瞳を潤ませていた。
(兄さん――)
自分の命を救ってくれた想い人。彼に会える日をどれだけ待ち望んでいたか。
だけど現実は優しくない。こうしてその当人から逃げ回らなくてはならない。
あまりにも惨めだった。膝を抱え、机の下でぐすりと鼻を鳴らす。
これから、どうすればいいのだろう――
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最終更新:2008年10月25日 16:37