62 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/09/19(金) 19:38:44
桜は喘いだ。
喘ぎに呼応して部屋に響いたのは腹の虫の音だった。
「お腹へった」
桜の胃袋は限界だった。昼過ぎにパスタを食べただけなのだ。
「服も乾きましたし、何か食べに行きません? 夜中でも開いてる店もありますし」
「ご自重下さい」
主の窮状を知らされたのに、少年の返事は素っ気無いものだった。
「腹が減っては戦はできぬって諺、知らないんですか?」
桜はぶすっとして、体を揺らした。
それを見た少年がため息をついた。
「マスター。以前から思っていたのですが、貴女には忍耐が足りません」
「うっ……」
常々、綺礼や霧島にも言われていることだった。
理由や判断の正否はともかく、耐えなければ、と思い込んだ桜は強い。
しかし、つっかえ棒のない桜は恐ろしく自分に甘い。
桜は咳払いをした。
「我慢強くないのは認めます。けど、今、ご飯を我慢する意味があるんですか?」
桜は粘った。空腹は桜にとって大きな問題なのだ。
少年の表情は動かなかった。
「貴女の気持ちはわかります。
闇雲な忍耐は何も耐えないことよりも罪深いものですから。
しかし今は不用意に出歩くのは危険です。
未だ敵が港湾に潜む可能性は高く、夜明けまで行動を控えるべきでしょう」
「……わかりますけど。
でも、戦うのを避けてて何ができるんです?」
桜は口を尖らせて言った。
俄かに少年の目に強い光が宿った。
桜はたじろいだ。
今までも少年を困らせ、怒らせたが、これほど冷たく恐ろしい目は初めてだった。
「あの…怒ってます?」
「……いえ」
「ええっと、ですね。
今夜だけで何度も死にかけてる人間が言えたことじゃないのは解ってます。
いや、ご飯が食べたいから言ってるんでもないですよ。
避けてるだけだとよくないんじゃないかなーって、ちょっと思っただけで」
「マスター」
「はいっ、ごめんなさい!」
「貴女の仰る通りです」
「へ?」
頭を下げた桜は、上目遣いに少年を窺った。
少年が目を逸らした。
「私は英霊を敵とすることに臆病になっているのかもしれません」
「臆病、ですか。そんな風には見えたことないですけど」
誰でも弱気になることはある。少年もどこか弱っているのか。
「実を言うと、私は同格以上の者と命を奪い合った経験がないのです」
「……悪いことみたいに言ってますけど、それって負け知らずってことじゃないですか」
不敗は臆病さの理由にならない。
だが少年の表情には卑屈さが垣間見えていた。
その卑屈さを見て傷ついた自分に、桜は気付いた。
「私が負けを知らなかったのは、強者が味方だったからです。
私は、仕切られた檻の中で不敗だったに過ぎません」
少年は言葉を切って、瞳を閉じた。
檻の中と言ったとき、少年の顔は嫌悪に染まっていた。
あの冷たさも恐ろしさも少年自身に向けられていたのだ、と桜は思った。
掛ける言葉が見つからなかった。
何を言っても更に傷つける気がして、桜は俯いた。
「腹が減っては戦はできぬ、でしたか」
不意に少年が目を開き、言った。
「は?」
「貴女は正しい。リスクを避けてばかりでは何も得られません。食事に行きましょう」
「……いいんですか?」
「敵と衝突するときには、します。もしかすると、既にそこに居るかもしれません」
「またまたぁ」
「無論、冗談です」
桜は笑ってみせた。少年も笑い返した。
その笑顔を見て、桜はほっとした。
「じゃあ、行きましょうか」
ドアを開くと、銀髪の少女と禍々しい巨人がそこに立っていた。
桜は喘いだ。
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最終更新:2008年10月08日 17:33