154 :遠坂桜 ◆0ABGok2Fgo:2008/10/04(土) 18:15:07
数時間前、桜はガードに尋ねられた。
桜にとっての勝利とは何なのか、と。
今なら、その問いにも答えられる。
そう。戦いには目的が必要だ。
それが正しかろうと、間違っていようと、どんなに下らないものだろうと、だ。
当然、イリヤにも目的がある筈だった。
「……変な、部屋」
桜は朦朧とする頭を振って、辺りを見回した。
暗い部屋、その境界は闇の寄せる波に揺らいでいる。
まるで夢の世界だった。どうやらイリヤの幻術から逃れ損ねたらしい。
「この幻覚、どういうつもりなんですか?」
桜は部屋の中央の少女に話しかけた。
少女が振り返った。
イリヤだった。ただし、現実よりも更に幼い。その目に、涙がうっすらと浮かんでいた。
「キリツグが、帰ってこないの」
イリヤがたどたどしく言った。
「あの、どうやったら出れます?」
桜はきょろきょろと部屋を観察した。
「帰ってくるって言ったのに」
イリヤが涙を堪え、俯いた。
「ぱっと見た感じ、出口はないですよねえ」
桜は難しい顔で腕組みをした。
「ずっと待ってるのに」
イリヤが体を震わせ、手を握り締めた。
「あ、そこ退いてくれません? 床も一応、調べてみますから」
幻覚の世界から逃れるなら、その世界の矛盾を見つけるのが確実だ。
魔術とは定められたルールに従って発現する。
つまりルールの綻びを見つけさえすれば、如何なる魔術でも破るのは容易い。
信じがたいことに、イリヤは無工程で魔術を行使した。
その力量は、恐らく桜を凌駕するのだろう。
だがイリヤがどれほどの魔術師であっても、原則は覆せない。
「ほらほら、退いて」
桜はイリヤを手で追い払いながら、屈んで床を検分した。
その桜の無防備な尻を、イリヤの見事なドロップキックが襲った。
潰れた蛙のように、桜は床に突っ伏した。
「な、何てことするんですかあ!」
「キリツグが帰ってこないのっ!」
顔を真っ赤にして抗議する桜に、これまた真っ赤な顔のイリヤが叫んだ。
幻とはいえ、今にも泣き出しそうな幼女の相手は面倒だった。
何より桜自身が気後れしそうなのが面倒なのだ。
だから、桜はこのイリヤを相手にしたくなかった。
したくなかった、のだが。
「……仕方ないなあ」
桜は渋々、イリヤと向き合った。
部屋に矛盾はない。というより、部屋は碌なルールを与えられていない。
ならば、矛盾を見つけるには幼いイリヤの相手をするしかなかった。
「で、誰なんですか。そのキリツグって人は」
「……イリヤの父さま」
「よりによって、そんな重そうな話題を……」
桜はうなだれ、首を掻いた。
「な、なによっ。ホントのこと言ったのにっ!」
「趣味悪いですよ、イリヤちゃん。こんな話を作って聞かせて、どうする気なんですか」
食って掛かるイリヤの頭を文字通り押さえつけ、桜は嘆息した。
「まあ、次を聞きましょう。どこに行っちゃったんですか、お父さんは」
「……フユキって言ってた」
河豚のように頬を膨らませ、イリヤは呟いた。
桜は眉を跳ね上げた。
マスターであるイリヤの父が、イリヤが幼いころ、冬木から帰ってこなかった。
妙に現実味があった。
前回の戦争は十年前。些かイリヤの年齢に違和感はある。
しかし。ひょっとすると、これは本当に『ホントのこと』ではないか。
イリヤの語ることは、虚構ではなく、現実にあったことなのではないか。
その疑念を確かめるには、更に多くの情報が必要だった。
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最終更新:2008年10月08日 17:34