575 : ◆4OkSzTyQhY:2009/01/02(金) 18:44:41
「なんじゃこら」
油染みだらけの新聞紙を摘み上げながら、ベンチに座っていた男が呟く。
彼は平凡かつ堅実に生きるただの男であるので、今回の件に直接的にはかかわらない。
仮に彼の名をAとしておこう。
Aがいるのは公園である。昼時なので、周囲の会社に勤めている者や子連れの家族がそこかしこで弁当などを広げていた。
その例に漏れず、Aも昼食を取るためにこの公園に足を運んだ口である。
もっとも、すでに彼は食べ終えていた。
故に手持ち無沙汰であり、だからこそその詰まらない紙切れに表記された文字を読む気になったのだ。
彼が眺めているのは、適当な屋台で買ったこの国の名物料理である魚とジャガイモの揚げ物の包み紙として使われていた新聞である。
古新聞、というほど日付は古くない。割とここ最近のものだ。
Aは染みだらけで読みにくいそれを何とか解読しようとしていた。
見出しだけ黒地に白抜き文字だったので、油染みが余計に読みにくくさせているのだ。
それでも、さほど時間を掛けずにAはその見出しを読み上げた。
「『現代の神隠し! 山村で頻発する蒸発事件』――これ書いた記者は馬鹿だな」
さほど魅力的な記事ではなかった。欠伸と共に、だが酷い断定を下す。
神隠しと蒸発では意味が違うだろう。強制されたものなのか、それとも自発的に消えたのか。
あるいは、それで記事の続きを読ませようというのか。もしそうならばこの記者なりに考えた記事なのだろう。
「故に、俺はこうするわけだ」
Aはぼそりと呟くと、そのまま新聞を背後に向かってポイ捨てした。
他人の敷いたレールを行くなんざまっぴらごめんだ。ていうか他人の努力を無為にするのはゾクゾクするし。
さて、とAはベンチから立ち上がった。昼休みもそろそろ終わるし、そろそろ仕事に戻らないと――
「待てや、兄ちゃん」
突然の、非友好的な声。
Aは顔を引きつらせながら後ろを向いた。
そこには、何故か油まみれの新聞紙を頭に載せた大柄男が一人。声音とは対象的な笑みを浮かべている。
彼もこの件には直接かかわらない。だから名前はそう、仮に――アウトローその一とでもしておこうか。
「――なあ、誠意、あるいは痛覚って言葉知っとるか?」
「あははは、えーと」
かくして、この幕間は終了である。
Aはポイ捨てにしては少しばかり大きなペナルティを負い、新聞紙はどこかへ捨てられるだろう。
だがそれに記された事柄はそうはいかない。その事実は生憎と、風にまぎれて消えるほど薄いものでもなかった。
その事件は小さなものだとも言えたし、未曾有の大災害だったとも言える。
舞台はヨーロッパ。とある片田舎の山村。
ハイレオットと呼ばれるその辺境の村は、最寄の町から車でも数時間はかかるような社会から隔絶された場所である。
特産品があるわけでもなく、観光の名所というわけでもない――つまりほぼ自給自足が成り立つほど小さな村だということだ。
そんな村で、奇妙な事件が頻発していた。
立て続けに起こる村人の失踪。数ヶ月前から発生し、すでに被害者の数は総人口の八割を超えていた。
だが、それなのに村はいまだ村としての機能を保っている。何故か。
その理由は簡単だった。失踪した村人が例外なく全員帰ってきているからである。
ただし失踪している間の記憶を被害者全員が失っており、事件解決の目処は立っていない。
傷を負った、財布を取られたなどと申請する者もなく、結果としてただ意味のわからない怪奇現象として捉えられていた。
――そう。怪奇現象。
それは本来ならば在り得ざる事象のことをいう。
そして、そんな在り得てはならない現象を追う者たちがこの世界には存在していた。
『あなた』はそんな事件が起きているこの村に、外から訪れた人物である。
『あなた』の名前は――
最終更新:2009年04月04日 16:37