584 :月命交差 ◆4OkSzTyQhY:2009/01/04(日) 19:41:53
教会の聖堂で、一人の女が祈りを捧げている。
この寂れた山村にしては、そこは中々に立派な教会だった。
すし詰めにすれば村人が全員入るかもしれない。掃除も行き届いており気持ちが良いほど清潔だった。
居心地のいい空間ではあったが、今日は日曜日ではなく、小さな村の住人に昼間から時間をつぶせるような余裕があるはずも無い。
故に彼女は一人で長椅子に座り、手を組み、俯いている。
別段、彼女が信心深いという訳ではなかった。
ただ今の格好ならばこうしているのが尤もらしいだろうというだけの理由だ。彼女は修道服を着ていた。
「シスター・シエル。貴女宛の荷物が届きましたよ」
教会堂の扉が僅かに開き、そこから顔を覗かせた年配の男が彼女にそう伝える。
男は黒いスータンを着ていた。彼はこの教会を管理している神父である。
この大きさの建築物を管理するのは中々重労働の筈だが、彼はそれを今まで一人で行ってきた。
仮に聖職者という製品をライン生産するとしたら彼が見本になるだろう――
というのが、昨日からこの男を見てシエルと呼ばれた彼女が抱いた感想である。
対して、修道服を着ているだけのシエルはあっさりと祈ることを中断した。
ありがとうございます、と礼を言って椅子から立ち上がり、神父の横を通り抜けて外に出る。
教会の敷地は背の高い鉄柵で区切られていた。
敷地の大部分は教会堂が選挙しており、残っているスペースには物置小屋や村人の者ではない墓が建てられている。
シエルは建物から出て真っ直ぐ進み、開きっぱなしになっている鉄棒を組み合わせた門を潜った。
門の前には、人が何とか抱えられそうな木箱がいくつか山積みになっていた。
燦々と降り注ぐ陽の下にあるそれは、どこか牧歌的な雰囲気を醸し出している。
だが和んでばかりもいられなかった。あるべきはずのものがない。
「ああ、荷物を運んできた方なら、荷を降ろすなり急いで帰られてしまいましたが」
きょろきょろと辺りを見渡す此方を見て察したのだろう。教会の扉を閉めながら、神父はその事実を告げた。
「お引止めしたほうがよかったですかな?」
「いえ、いいんです。近くを通るついでに頼んだ物ですし、それに仕事はきちんとする人物ですから」
風評が事実ならその筈だった。そして風評通り臆病であるらしい。ならばきっと仕事もこなすだろう。
もっとも、その成果を人目につくところで確認する訳にも行くまい。
シエルは木箱をひとつ持ち上げると、それを教会の中に運び込み始めた。
「私もお手伝いしましょうか?」
「お気遣いは有り難いのですが……大変重いので」
僅かに言い淀む。確かにこの箱は老人が運ぶには少々重い。だが、どちらかといえば中身の性質自体の方が問題だった。
神父にいい思い出はあまりないが、シエルとしてはあまりこの気のいい好々爺に心配をかけたくは無かったのだ。
だが神父は中身が何か大体分かってしまったらしい。柔和な笑顔が引っ込み、その顔に影が差した。
「そうですか……できればそのようなものを使うようなことは無ければいいのですが」
「……私としてもそう願いたいですが、これが仕事なので」
「分かっています。厚かましいようですが、此度の事件、どうかよろしくお願いします」
深々と、自分よりも年下の娘に頭を下げる神父。
(ジェディバ・メーアー神父。確かこの教会に派遣されて三十年でしたか……)
ならば、ここは彼にとって故郷のようなものだろう。
故郷の大切さをシエルは良く知っている。失くしてしまったのだから、とてもよく知っている。
シエルはただ力強く頷き、必ずこの事件の犯人を捕まえなくてはと決意をあらたにする。
だが同時に、自分の初仕事がこんな怪事件であることに対しての不安も無いわけではなかった。
◇◇◇
それはシエルの立場が『標本』から『異端者』に変わり、
さらにそこから殺し屋集団へ加入――あるいは転落――してから数ヵ月後のことだった。
「さて、どうだろう。そろそろ一通り訓練も終わるようだし、お前に仕事をやって貰いたいのだが」
完全に小動物を嬲る子供の残酷な目つきで、目の前の執務机に着いている女性はそう会話を切り出した。
部屋の中は明るかった。午後のやや傾いた気怠い陽光が窓から差し込み、
怪しげな所はないのだと証明するかのように部屋の全てを浮き彫りにしている。
これは驚くべきことだった――少なくともここがどういう場所なのかを知っていれば、
暗幕で斜陽を遮って蝋燭の明かりのみで生活していた方が万人のイメージには適うのだろう。
(……そんな部屋に住みたいとも思いませんけどね)
その女性と相対する緊張から冷や汗が流れるのを自覚しつつ、シエルはそれを誤魔化すためにそんなことを頭の中で呟いた。
ここは牢獄だった。眼前の女性、現埋葬機関の第一位にして殺人狂、ナルバレックを幽閉するための部屋だ。
事情をしる代行者達の間で長年『仮病を装ってでも行きたくないスポット』No.1の地位を不動の物にしている場所でもある。
それはそうと、尋ねてきておいて女性はシエルの返答を待つ気はなかったらしい。
陽の光を背中一杯に浴びているからだろうか? その光線と同じような気怠い口調で、ゆっくりと後を続けてくる。
「まあ死なないだけが取り柄な訳だし、紛争地帯とか地雷原に突っ込ませても良かったんだが。
ユル軽い仕事が丁度一件あったみたいなので、そっちを回して貰った。神と私の采配に感謝するんだな」
「……そうですね」
胃が痛い。
きりきりと痛みを伝えてくる腹部を押さえながら、シエルは早くこの部屋から出たいとそれだけを切に願っていた。
ナルバレックの言葉に苛立ちを覚えなかったわけではない。
特にシエルが忌み嫌っている自身の不死性を揶揄するような部分に対しては今でもそうだ。
最初の頃は我慢さえしなかった。瞬時に怒りに支配され飛び掛り、そして躊躇無く文字通り頭を吹き飛ばされた。
幽閉されたナルバレックの世話係兼秘書が三回替わったというのは、どうやら噂だけというわけではないらしい。
結局は慣れなのだろう。胃の痛みと引き換えに、シエルは我慢を覚えたのだ。
「場所はハイレオットという国内の小さな村だ。そこで村人が何人も行方不明になっているらしい」
それだけ言って、ナルバレックは机の上の書類綴じを手に取り、こちらに放り投げてきた。
あわてて受け取り――損ねて、古びたバインダーは床に落ちる。
それを拾っているシエルをサドっ気たっぷりの視線で机の向こうから見下ろしながら、ナルバレックは構わず続けてくる。
「詳しくはその書類を読め。以上」
どうやらそれで説明は終わりということらしい。
これ以上ないほど簡潔な説明をしてくれた上司に殺したいほど感謝しつつ、シエルはそそくさと回れ右をした。
この部屋の空気を、もうこれ以上吸いたくない。
そんな心情を読み取ったのか、ナルバレックはケタケタと笑いながらシエルの背中にこんな言葉を投げつけてきた。
「ところでこれは噂なんだがその地方に最近、封印指定された魔術師が逃げ込んだとか。
ということはきっと協会の封印指定狩りも派遣されるのだろうなぁ。戦闘に特化した凄腕の化物が。
ああ、シエル。"分かっているだろうが"、遭遇した異端者は積極的に打ち滅ぼすように、な」
どうやら嫌がらせはまだ終わっていなかったらしい。
せめてもの抗議に扉を自分が吃驚するほど強く閉め、シエルは廊下で盛大にため息を吐き出した。
◇◇◇
「ああ、あのニヤケ顔を思い出すだけでも胃がねじ切れそうです……」
そんな事をぶつぶつと呟きながら、どうにか全ての箱を部屋に運び終えた。
伝票が貼り付けてあるわけではないので、正確な中身は開封してみないと分からない。
「さて、と」
適当にひとつ選び、蓋を開ける。外れだった。
中にはビニール製の密封パックに詰められた食品がぎっちりと押し込まれている。
「あれほど雑にしないでくださいとお願いしたのに」
具がつぶれる、とかなんとか言いながら、二個目の箱を開封する。
今度は当たりだった。中にはエアクッションに包まれた黒光りする金属の塊が詰められている。
銃やら爆弾やら、とにかくそういった物騒な類のものだ。
ちなみにどれもこれも銃火器登録も届出もしていない、非合法な代物だった。
「税関がないと楽でいいですねー」
梱包を剥がし、動作確認をしながら今後の予定を確認する。
自分の仕事はこの村で起きている事件の解決と犯人の処理。
昨日一日で村の住人には暗示を掛け終えていた。武装も届いたし、村の中で動くことに関しては問題は無い。
さて――
最終更新:2009年04月04日 16:39