897 :月命交差 ◆4OkSzTyQhY:2009/05/15(金) 18:28:25 ID:RgfcG9n20
「ええ、構いませんよ」
食事を一緒に摂ろう。
さほど悩まず、シエルは決断した。
だいたいパウチを暖めるにしても台所は借りなければならない。
神父が昼食を作っている中、自分だけ別メニューを、というのは失礼だろう。
それに実質この村で信用できるのは彼一人。その人物の信頼を昼食一回で得られるかもしれないとしたら安いものだ。
荷物を無作法に足で部屋の隅に追いやりながら、立ち上がる。
さすがに一人だけ食卓について待つという訳にもいくまい。信頼関係は共同作業から生まれるものだ。
「お手伝いします。これでも一通り料理は出来るつもりですから」
「いや、これはすみませんな。今日の昼食は華やかになりそうだ」
「ふふ、あまり期待されすぎても困りますが」
思わず笑みが零れる。
シエルにすでに肉親は居ない。あの殺し屋集団で気の置けない人物など存在するわけもない。
だから、この何気ない会話が嬉しかった。
扉を開ける。そこには穏やかに微笑み、顔の皺を一層深めた老神父の表情があった。
もしかしして祖父というのはこんな感じなのだろうか――ロアに蝕まれる以前の記憶は殆ど薄れていたが、そんなことを思う。
「それで、何をつくるんですか」
「スパゲティを茹でようかと――」
「却下です」
「……は? あの、シスター――」
あらゆる行動が介入するより早くにこやかに告げ、バタン、と扉を閉めた。
何か聞こえてくるが無視して反転。扉に背を向け、部屋に備え付けられていた書き物机の椅子を引いた。
着席する。そこからは勢いだった。
両肘を同時に机に叩きつけ、その両腕の中間に額を打ちつけ、そのまま頭を押さえ込むように頭上で手を組む。
「くそっ! やってしまいました!」
絶叫する。部屋のドアが強めに叩かれ「シスター? シスター・シエル!?」とかいう声が聞こえたが、無視。
信頼関係を築こうという目論みは水泡に帰した。
ここからの関係修復はエロゲの主人公でもないと絶望的だろう。
「ロアめ……こんな無様は初めてです……!」
パスタの呪い――
蘇生してから、何故だか彼女はパスタの類が食べられない。体が受け付けないのだ。
今では名前を聞いただけで拒絶反応が出る。黒歴史のせいだろう、と関係者は述べる。
シエルの黒歴史といえばロアだ。だからロアのせいだ。
(くぅっ……しかし困りました。いまさら台所を貸して下さい、なんていえませんし)
彼女は不老不死だが、だからといって飢餓感は麻痺していない。
むしろ、昼食を食べ損ねそうだと分かると空腹はさらに自己主張を強めている。
失態の焦りと飢え。その両方が彼女の思考活動を阻害した。考えているつもりでも、すでに思考の堂々巡りに陥っている。
どうやって信頼を回復するか、どうやって空腹を紛らわすか、どうやって――
「……なんだ、あるじゃないですか」
その堂々巡りが終わるまで、どれほどの時が経過したのか。
すでに彼女の目は白濁し、正常な像を結んでいるのかさえ怪しい。
だが、それでも彼女の手はまるで機械のような無機質さで動き、標的を捉えた。
木箱の中からレトルトの袋を一つ掴み出し開封。直接袋に口をつけて吸入開始。
熱を通していないためまだ粘性の強い褐色のペーストをぢゅごごご、と袋がぺらっぺらになるまで一気に嚥下する。
「ふう」
口元を勢いよく手の甲で拭い、空になったビニールを床に投げ捨てた。
味が、よく分からない。
当たり前だ。舌に触れる暇さえ与えず、博愛も憐憫もなく、ただ飲み下しただけなのだから。
「あ……じゃあもうひとつ、食べなくちゃ」
銀色の袋をもうひとつ掴み出す。
もはや封を切ることさえもどかしく、彼女達が忌む鬼どものように、犬歯を被害者に突きたてた。
ひぃっ、と悲鳴。見れば、心配になってドアを開けることをようやく決心したらしい神父が青い顔をしてその場にへたり込んでいる。
何を怖がっているんだろう。自分はただ食事ヲシテイルダケナノニ。
刺激臭が部屋中に広まっていく中、彼女は噛み切れぬパウチをがじがじと噛みながらそんなことを思った。
BAD END No.4 みんなカレー
「……まあ、現実逃避はこのくらいにしますか」
そんなことを呟くシエルがいるのは、教会の敷地を区切る鉄柵の外側である。
あの後、咄嗟にドアを閉めてしまっていたたまれなくなったシエルは窓から飛び出したのだ。
もう昼食は昨晩も利用した村の食堂で摂れば良い。信頼の方は――時が全て解決してくることを祈ろう。
「さて、とりあえず何処から手をつけたものか――」
呟いて。
シエルはふとあることに気づいた。
目立たないように縫い付けられたポケットを探り、嘆息。部屋に村の地図を忘れてきてしまった。
どうやら、今日も実のある探索はできなさそうだ。
◇◇◇
――それから数時間後。
太陽は山の向こうに沈み、村は闇に包まれた。
結局、収穫はなし。疲労感だけを伴って、とぼとぼとシエルは教会への帰路を歩いていた。
村に入って二日目、こうも手がかりがないと焦りが生まれ、自信を喪失していく。
せめてプライドだけでも保とうと、夜空に向かって愚痴を吐いた。
「そもそも、魔術師の探索に関して私は門外漢なんです。ベテランの一人や二人つけるのが筋ってもんでしょうに、
まったくあの腐れ殺人狂はっ!」
直後、奇妙な悪寒に背筋が泡立つ。
慌てて周囲を警戒してしまってから気づいた。
どうやら本能がその人物の悪口を紡ぐというリスクを拒否しているらしい。
「うう、どんだけトラウマになってるんですか私は……」
どんどん情けなくなりながら、シエルは呻いた。
やがて教会を囲う鉄柵が見えてくる。次いで、その近くに佇んでいる人影も。
(人影?)
気づき、シエルは物陰に身を隠した。
もう夜もかなり更けている。こんな時間に村人が活動するとも思えない。
かといって、老神父が出迎えてくれたというわけでもないようだ。人影は複数だった。
最終更新:2009年07月23日 19:46